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【報告】シカゴ大学共同ワークショップ

2015.10.20 中島隆博, 川村覚文, 崎濱紗奈

去る2015年10月8日から9日にかけて、東京大学・シカゴ大学合同のワークショップ「東京大学とシカゴ大学の日本研究」が、シカゴ大学東アジア言語文化学部にて開催されました。東京大学からはUTCPを通じて平井裕香氏、崎濱紗奈氏、池田真歩氏が参加しました。以下では三名の発表内容について、報告いたします。

平井裕香(東京大学大学院博士課程)

"Sensuality without Sexuality? Gender and Body in Kawabata Yasunari"と題した発表を行った。発表には、川端康成の作品におけるジェンダーと身体の表象を、「片腕」を主な分析対象にして論じた。自分の研究が、東大およびシカゴ大の「日本研究」という大枠の中で、どのような位置を占め得るのか、どのような貢献をなし得るのかという、不安と期待をもって臨んだ。テクストの読解に関して他の参加者と議論し難いのは、発表者が今後向き合うべき課題であると感じたが、他方、川端康成を事例として討論に参加できたことは、私にとってひとつの自信であり、希望である。ときに交錯し合う問題意識を持ちながら、異なる場所で、異なる観点からの研究がなされているということから、今後も刺激を受け続けたい。

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崎濱紗奈(東京大学大学院博士課程)

崎濱紗奈は、”Revisiting Asianism in the Context of Okinawa”というタイトルで、アジア主義を近現代沖縄思想史の文脈から検討した。アジア主義をめぐって、大日本帝国がかつて支配した地域においては、大東亜共栄圏とナショナリズムという二つの大きな問題系が存在する。旧宗主国である日本、旧植民地である諸地域の双方にとって、それは批判的に検証すべき課題として存在しているものの、両者の態度には微妙なずれが生じる。崎濱は発表の前半で、陳光興や孫歌などの議論に触れ、旧植民地の知識人たちがむしろ、日本の知識人に比べて、「アジア」に思想的可能性を見出そうとすることを指摘した。しかし、「アジア」という概念が、先に触れた二つの問題系を想起させる以上、これを無批判に称揚することもまた不可能である。発表の後半では、戦後沖縄を代表する思想家・詩人である川満信一(1932-)の「琉球共和社会憲法C私(試)案」(1981)を分析しつつ、「アジア」を語る際に、「近代」という問題に向き合うことが不可欠であると指摘した。「西洋」に対する「アジア」、「近代」に対する「反近代」という対立軸ではなく、「アジア」が経験した「近代」を踏まえつつ、沖縄をはじめとする「辺境」地域からの視点を重層化させることによって、来るべき社会を構築するための政治言語を創造する必要性を主張した。

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池田真歩(東京大学大学院博士課程)

今回のワークショップでは、 "Local Organization in pre-war Tokyo: Unbalanced Development of the Local Self-government”と題した報告を行った。報告では明治大正期の東京における区公民団体、ついで町内会の広がりという現象を、地域組織の発達過程としてひと続きにとらえたうえで、近代的地方自治の中核となるはずの地方議会が地域統合の役割を果たさなかった事実との密接な関わりを指摘した。シカゴ大の報告者には、異文化摂取をめぐる理論的装置などについて教えられた一方、一般住民の意識をとらえるための方法論について意見を述べた。日本研究の課題についても意見交換を行い、学問分野や使用言語を超えて研究者が自他のアプローチの異同を共有することが、課題の認識と克服に不可欠であることを学んだ。

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