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【報告】2015年度 高校生のための哲学サマーキャンプ(前編)

2015.09.11 梶谷真司, 江口建, 小村優太, 土屋陽介, 佐藤麻貴, 神戸和佳子, 榊原健太郎, 阿部ふく子, 安部高太朗, Philosophy for Everyone

2015年7月31日(金)と8月1日(土)の2日間に亘って、「高校生のための哲学サマーキャンプ」が、国立オリンピック記念青少年総合センター(東京・参宮橋)および東京大学駒場キャンパス 21 KOMCEE West K303を会場に開催された。全国各地から高校生が集まり、哲学対話ならびに哲学的エッセイライティングに従事した2日間であった。少々間が空いてしまったが、まずは初日の様子から報告したい。

【開会式】
開会式では北垣宗治先生(同志社大学名誉教授)から「2日間大いに哲学に向き合ってほしい」と開会のご挨拶をいただいた後、佐々木健氏(上廣倫理財団)から講師紹介がなされた。講師の梶谷真司先生(東京大学・UTCP)と林貴啓先生(立命館大学)から高校生に対して、国際哲学オリンピックの話題とともに、この2日間で哲学を共通の関心にした友人ができるであろうこと、および「『哲学』は問い、考え、語ることである」という話がなされた。

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【第1セッション:哲学対話】
第1セッションでは哲学対話を行った。高校生は次の4題の課題文から1題を選んで対話をした。

1. 「制服というものは、人間に安堵と尊厳を同時に与える。そして、すべての服装は多かれ少なかれ制服である。」——アラン『美学入門』
2. 「私は何か善を行おうとする希望をもち、そこに喜びを感じることもできる。だが、同時に、悪を行いたいとも思い、そこにも喜びを覚えることができる。」——ドストエフスキー『悪霊』
3. 「私の言語の限界は、私の世界の限界である。」——ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
4. 「頓て[ヤガテ]死ぬ けしきは見えず 蝉の声」——松尾芭蕉『猿蓑』

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いずれの課題文のグループでも多くの高校生は初めて体験する「哲学対話」という営みを楽しんでくれていたようである。報告者(安部)がコミュニティーボールを忘れるというハプニングもあったが、ファシリテーターのみなさんにご協力いただき、即席でタオルやネックピローなどを使ってその場で「コミュニティーボール」をつくって対話がなされた。普段は「哲学について興味がある」ということを学校で話すことがなかなかしづらいという状況があるようであったが、この場では高校生それぞれが問い、考え、語ることに集中できていた。今回がチューターとして初参加という大学院生も少なくなかったが、彼/女らにとってもこうした対話の機会は貴重なものであっただろう。サマーキャンプを哲学対話でスタートできたことはその後のエッセイライティングにもよい影響を与えたようにも感じている。

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安部 高太朗(UTCP RA研究員/東京大学大学院教育学研究科 博士課程2年)


【第2セッション:エッセイライティング】

哲学対話を終えた学生たちは、休憩の後、グループごとにテーブル席に移動して梶谷先生による目次作成方法のレクチャーを受けた。まず、印象に残ったトピックについて各自で考えを深める時、とにかくキーワードを書きだしてから考えること。これは哲学対話を各自で行うようなものである。そして、その中から必要なものを絞り込むこと。ここで章・節とも「3」ずつにするという制限をかけた意義がいきてくる。枠を狭く限ることで、その問いを本当に自分のものにしないと目次が作れないようになっているのだ。

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50分という時間は長いようだが、この作業は自らの頭脳との勝負で、あっという間に時間が過ぎてゆく。しかも順調にいくことは滅多にない。そのような時にひょいと現れて引っ掻き回すのがチューターの仕事であった。「助言」といっても自らの考えを述べるのではなく、彼らの考えに寄り添いつつ、問いによって考える手助けをする。たとえば抽象的なことばかり考えて行き詰っている子には「これ具体的にはどういうこと?」と聞いたり、安直な結論になっている子には「本当にそう思う?」と茶々を入れたり。すると、予想しなかったような鋭い回答が出てきたりする。彼我の思考回路が一瞬溶け合っては分裂する…を繰り返す経験は刺激的であり、また日常において如何に自分の考えに縛られて物事を見ているか思い知る貴重な機会にもなった。

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宇佐美 こすも(東京大学大学院総合文化研究科 博士課程1年)


【初日夜:哲学対話】

初日の夜には、エッセイライティングのことは少しく忘れ、哲学ということについて忌憚なく話し合ってみよう、という機会が設けられた。三つの組に分かれて、哲学対話の形式で進行するのだが特にこれというテーマを定めるわけではない。大学院生がファシリテーターとなって、専門に研究している先生方もまじえ、実際のところ何を考えているのか、高校生の側からいろいろ質問してもらおうということである。私の参加したグループでは「誰が哲学者なのか」「哲学は役に立たなければいけないのか」など面白い話題に盛り上がった。その後は場所を移動し、ソファーにくつろぎながら歓談した。「幸せとは何か」「どういうときに決断を求められるだろう」など、思い思いに語り合う時間となった。

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哲学について語り合おう、というのはややメタ哲学的に偏ったかもしれない。もうすこし身近な問いに近づければ、という反省もあった。しかし、私はチューターとして参加したのではあるけれども、むしろこちらの方にも得るものが大きかったように思う。実はなかなか難しかった。その模索しながらたどたどしく考えているということを高校生たちにはありありと見せてしまったのだが、それもまた糧にしてくれるのではないかという気がする。つまり「ともに考える」という経験ができたように思う。短い期間に哲学を語り合う友を得て顔を輝かす高校生と、私は同じ表情をしていたような気がするのである。


宮田 晃碩(東京大学大学院総合文化研究科 修士課程1年)

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