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【報告】「明清時代の地方意識と国家アイデンティティ」シンポジウム

2015.04.06 石井剛

春の上海を訪れるのもこれで3年連続となった。上海における国際的学術ネットワークの拠点となっている華東師範大学が「いつもの訪問先」である。今回の訪問は、2015年3月28日から31日、29日と30日の二日間、ここで「明清時代の地方意識と国家アイデンティティ」というシンポジウムが開かれた。

会場は、過去2回と同じ、閔行キャンパスの人文楼5303プレゼンテーション・ホール。この大学の人文系諸学部から人が集まって運営されている研究教育組織、思勉人文高等研究院が主催する研究交流がここで頻繁に開かれている。さだめし、上海におけるUTCPといった趣だ。異なるのは人文系諸学部を牽引する高度研究教育機関として大学が整備しているという点か。

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UTCPと華東師範大学との交流は、複数の回路をもってグローバルCOE時代から続いている。今回のホスト役である許紀霖氏とも長いつきあいがあるが、昨年来、東アジア発の普遍性問い直しをテーマとする交流が立ち上がり、韓国の延世大学も巻き込んだ三方対話のプロジェクトが進んでいる。

今回の会議はUTCPではなく、総合文化研究科地域文化研究専攻が、許紀霖氏が中心となっている華東師範大学・ブリティッシュコロンビア大学連合の「Joint Research Core Group on China in Modern World」が共同主催している。総合文化研究科は思勉人文高等研究院と学術交流協定を結んでおり、これもそのフレームワークのもとでの研究交流であるという位置づけだ。テーマは中国史に関するものだが、海外からも4名の韓国研究者、カリフォルニア州立大学サンディエゴ校の中国史研究者、ジョセフ・エシェリック氏、そして日本から4名(東京大学の村田雄二郎氏、吉澤誠一郎氏、筑波大学の山本真氏)の参加があった。大陸以外では台湾と香港からも参加者がいた。これら、異なる国と地域からの学者たちが中国語(「普通話」と呼ばれる大陸での共通語)を公用言語として、明清時代から近代に至る「中国」各地のローカル性とナショナル・アイデンティティの関係とを二日間たっぷりと議論し合った。「中国」とかっこをつけてみたのは、歴史的事実として、「中国」が指す対象地域は一様でないからである。この会議はまさにそのような歴史的事実を前提として、中華文明圏各地の多様な地方性が、そこに住む人びとのナショナル・アイデンティティとどのような緊張関係にあったのか、そしてそもそも「中国」をアイデンティファイするとはいかなる意味なのかについて論じたのである。

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それにしても、毎回ここで行われる会議に参加するたびに感じるのは、会議運営の細やかな周到さと柔軟な機動力、そして、個人的なホスピタリティの暖かさである。空港への出迎えには専門のハイヤーが用意され、ホテルのフロントに会議の受付が設置されている。出席者には論文集、プログラム、名札のセットが特別なデザインのバッグに収められて用意されている。到着当日夜から会議終了までの昼食と夕食がプログラムの中に入っていて、会場とレストランの移動は大型バスが出席者を運ぶ。当日の会場はマルチメディア会議室で、パワーポイントの設置もスムーズに行われ、控え室には果物やクッキーがデロンギのコーヒーメーカーと共に準備されている。こうした会議運営はすべて大学院生のスタッフによって支えられている。参加者は何のストレスも心配もなく、運営側の手配にしたがっていけばよいというのは、とりわけ外国人にとっては安心だ。

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到着の日の午後、翌日の発表に備えてパワーポイントを整理しているところへ電話が入ってきた。聞き慣れた声の主は許紀霖氏だ。いまロビーにいるから下りて話をしようというお誘いだ。思いがけず話題になったのは、つい先日許氏もわたしも別々の用事で訪れた香港のこと、そして許氏がそこで会議を共にした台湾の劉紀蕙氏(交通大学)や延世大学の白永瑞氏のことだ。彼らは香港で「中国とは何か」を問うシンポジウムを行ってきたという。劉紀蕙氏も白永瑞氏もUTCPの友人であり、彼らがそこで一緒になったのは偶然であるが、今日の東アジアにおける国際的人文学ネットワークがこうしたかたちでつながりあっていることは意外な楽しさを生むし、そのなかにUTCPが加わっていることの意味の大きさを改めて感じさせる。

最終日の午後には、同じ思勉人文高等研究院の羅崗氏が迎えに来てくれた。郊外キャンパスの閔行に籠もりきりでは上海の街を味わういとまもなかろうというわけで、地下鉄で市内のレストランに向かう。そこには、仲間の倪文尖氏も同席してくれた。どちらもUTCPと長いつきあいの二人である。さらには、昨年東京で開かれたICCT(国際批評理論センター)シンポジウムに登壇した作家の孫甘露氏、思勉人文高等研究院の譚帆院長、そして、昨年、やはりUTCPの共催した章炳麟ワークショップでお招きした上海人民出版社の薛羽氏、張鈺翰氏も加わり、楽しいひとときとなった。彼らはいずれも中国文学研究者として、会議とは別の角度から「中国」を思考している。

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「中国」とは何かという問いが、21世紀の人類社会において避けて通れないものであることは言うまでもない。この問いは、ダイナミックな学術ネットワークのなかできわめてバイタルに、そしてインターディシプリナリーなかたちで論じられている。そこで鍵になるのが、具体的な人と人を結びつける〈友好 amity〉であることを、今回もまた感じることになったのであった。

文責:石井剛(UTCP)

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