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不可能なものへの権利――小林康夫による希望の実験室

2015.03.09 西山雄二

2015年1月24日、UTCPシンポジウム「新たな普遍性をもとめて――小林康夫との対話」が開催された。UTCPの拠点リーダーを務めてきた小林康夫の退官記念イベントで、UTCPに在籍した若手・中堅研究者が登壇し、対話の相手役を務めた(筆者は総合司会を担当)。

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会場には学部学生や院生だけでなく、UTCP関係者、出版関係者など、多くの人々が詰めかけ、立ち見となった。退官する最後まで、いや退官後のこれからも現在進行形であり続ける小林の熱気が十分に発揮された実に稀有な会となった。東京大学における、人文知に対する小林康夫の功績が計り知れないことを誰もが再確認した六時間半の濃密な対話となった。小林が選んだ四つの主題「超・実存から/への思考」「神秘的なものの扉」「日本(語)の思考の可能性」「資本主義の彼方」はいずれも、現在の人文学、そして大学に関係する者にとって切実な問いである。

シンポジウムでは西山達也が、「『起源と根源』(未來社、1991年)を読み直してきたが、素晴らしい力作で、あの頃から小林の問いの重心は変わっていない」と喝破した。おそらく同じように、小林の制度実践に関して言えば、UTCPの理念と実践は、『大学は緑の眼を持つ』(未來社、1997年)以来、基本的な指針は変わらないと言える。東京大学教養学部の大胆なカリキュラム改革に際して、また、話題となった『知の技法』シリーズの編集の経験から綴られたマニフェスト的文章が並ぶ本書の主張は「知の行為を通じて、大学を開く」というものである。具体的には、ひとつの行為として知を実践すること、社会へと全方位的に学問を開くこと、国際的な活動を十全に展開すること、情報化時代の技術性を意識すること、多言語の経験を尊重すること、などである。要約すれば、それは大学の根底的な脱構築を誘発しかねない約束と危険を孕んだラディカルで過激な「現場」主義である。

「現場――それが、結局、われわれの企図にとってのキー・ワードである。とかく生き生きとした現場から乖離して自閉的になる傾向のある学問的な知に対して、思い切った現場性を回復すること。それぞれの学問とそれと関係のある現場とのアクチャルな結びつきを提示するだけではなく、同時に学問あるいは大学という場そのものが持つ現場性(教育と研究)をはっきりと認識すること。言うまでもなく、現場とは、完全にはコントロールできない場、つねに予測できない出来事が起こり、見知らぬ他者が現われるような場、それゆえに危険であると同時に魅力的な場のことである。」(小林康夫『大学は緑の眼をもつ』)

1998年、ジャック・デリダはスタンフォード大学(経済的な条件だらけの大学)で講演『条件なき大学』をおこなった。人文学のますますの社会的劣勢を意識しながら、デリダは人文学における「すべてを公的に言う権利」に大学の無条件的な抵抗の力を託す。もちろん事実上、だ無条件の大学など実在せず、大学の無条件性はその命脈を保つためにつねに考案し、発明し、定立しなければならない脆弱な力にとどまる。小林のラディカルな大学論がほぼ同時期に書き綴られたことは偶然ではないだろう。文化的コンテクストと主張の重心に偏差があるとはいえ、大学の内部と外部の限界(無条件的な現場)に触れながら、大学を原理的に思考し、その変形作業を実践する点で、デリダと小林は来たるべき未来を別々に遠望しつつも、互いに視線を取り交わしている。緑の眼をもつ大学とは、人文学の最低限の可能性を起点とする条件なき大学なのである。

UTCPの運営においても、そうした現場主義の核心は変わっていないが、しかし、今回集った研究者たちにこれらの理念が「受肉」されていたことは圧倒的な現実であった。小林氏は「この十年間で確実なことは、人文学を取り巻く状況が明らかに厳しくなっていること」と断言した。実際、国立大学での人文学不要論さえ、文科省から飛び出している。ただ、今回集まったメンバーを見てもわかるが、切磋琢磨している若手・中堅研究者のレベルは高く、いつでも国際的な勝負に出られる水準を維持している。こうした人材が活躍できない状況は日本の人文知にとって実にマイナスであることを再確認した。

神戸市外国語大学での学生時代、丹生谷貴志先生に「思想に関心があるならこれでも読んでみれば」とある日手渡されたのが、小林康夫氏の第一作『不可能なものへの権利』(書肆風の薔薇、1988年)だった。ざらついたボール紙の不穏な手触りと「風の薔薇」という版元名への違和感を覚えている。背帯文には堂々と「無の練習」とゴチック体で記されており、若い学部学生が畏怖の念を抱くには十分だった。この著作の第二部が「不可能なものへの権利」と題され、「レヴィ=ストロースと〈西欧〉の啓示」「ドゥルーズと希望の実験室」「ブランショと不可能なものへの権利」が配されている。ブランショに興味を抱き始めていた当時の私は、総題名、部の題名、論文題名と実に三度も出現する「不可能なものへの権利」という表現に深い関心を寄せた。「…への権利」という表現はそのとき(いつ?)、おそらく私のなかのどこかに宿り、数十年後、私自身が「哲学への権利(Le droit à la philosophie)」という題名の映画(2009年)を製作し、単著(勁草書房、2011年)、ジャック・デリダの訳書(みすず書房、2014年)を刊行することになった。

「『書かなければならない』──そして、もし万が一、書くことが可能であるとしたならば、それはそのような終りなき終り、そのような起源も終りもない沈黙への不可能な関係においてでしかないのである。〔…〕だが、その不可能なものへの権利、けっして返済することのできない負債にほかならないこの権利において、われわれは言うだろう、《来い》viensと。何に向かってか、限りのない夜に向かってか、それとも顔のない他者、それともあの《外》の沈黙に向かってか、それはもうどうでもいいことだ。われわれは来るものをけっして知らないだろうし、《来る》ということがあり得るのかどうかも判りはしない。いや、むしろ、その《来る》はもうすでに、ずっと前から来てしまっているのかもしれない。どうして、そうでないことがあるだろう。だが、それでも、われわれは言うのだ、《来い》と。」(小林康夫『不可能なものへの権利』)

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「…の権利(droit de)」は取得された規定の権利だが、「…への権利(droit à)」は獲得するべき権利という意味合いが残る。注意していないと失われてしまう脆弱な権利。人文学に即した「不可能なものへの権利」は絶妙な表現で、これは誰かが取得しうる権利ではなく、模索し続ける限りにおいて垣間見られるような思考の権利ではないだろうか。「不可能なものへの権利」は個人が所有するべきものではないがゆえに、誰かと共に分かち合うかぎりにおいて現れ出ると言ってもいい。退官記念イベントに集った若手・中堅研究者らが交わす言葉に間近で身を委ねながら感じたが、こうした実践的な対話の場──希望の実験室──においてこそ、「不可能なものへの権利」が招き寄せられるのである。

小林康夫がUTCPを去り、東京大学を退官した後、彼の教えに忠実であろうとするならば、だがそれでも、不特定の誰かが不特定の誰かと衝動的にとり交わす、「不可能なものへの権利」を求めるあの簡潔だが力強い呼びかけをこのキャンパスのどこかで、いや、各々の生の現場のどこかで、共鳴させ続けなければならない──「Viens来い」、と。

文責:西山雄二(首都大学東京)

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