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【報告】ワークショップ「章太炎の解読と近代中国思想」

2015.01.20 石井剛

 2013年11月29日(土)・30日(日)、東京大学駒場キャンパスにて「章太炎的解読与現代中国思想」工作坊(ワークショップ「章太炎の解読と近代中国思想」)が開かれた。このワークショップは、科研費基盤研究(B)「現代中国思想史構築のための中国知識界言説研究」プロジェクトが主催し、UTCPの共催を得て開かれた。以下、主催側の一人である林少陽(東京大学)による報告を掲載する。

 本ワークショップのタイトルにある、中国の思想家章炳麟(一八六九~一九三六、号は太炎)は、学問的には古典学(特に諸子学、漢字学)の集大成者としても知られているが、政治的には彼は一九〇六年六月に革命の海外基地である東京に渡り、東京を拠点に革命組織同盟会の機関紙『民報』の主筆などの活動を中心に、清朝打倒のための理論的工作を、革命が勝利を収めるまで担当していた。
 本ワークショップの初日には七名の発表が行われ、朝9時台から夜19時近くまで、ニ十数名の発表者および参加者による濃密な議論が展開された。

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 最初の江湄教授(北京首都師範大学)は、「「地上に本来道はなし」——章炳麟の『易』学、『春秋』学及びその歴史観念を論ず」と題して報告を行った。従来、章炳麟の反近代をめぐる思想に対する研究においては、「俱分進化論」など、老荘思想と仏教哲学を融合した論文に焦点が当てられてきたが、江教授は、章炳麟の『易』と『春秋』の解釈にもそのような思想が強く現れており、そこには章炳麟の目的論的歴史観や、理性などの形而上学的概念を批判する理論的哲学的批判の特徴が見られると指摘した。江教授はさらに、そもそも章炳麟にとって歴史とは何かという問題を取り上げ、主に章炳麟の『易』解釈を通して議論を展開した。

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 第二番目の発表者、坂元ひろ子教授(一橋大学)は「「初期グローバリゼーション」としての近代と章炳麟」と題して報告を行った。坂元教授の研究は、仏教と中国近代思想の連関を中心とし、なかでも章炳麟の思想を多く扱ってきた。坂元教授は、ベネディクト・アンダーソンの提唱する「初期グローバリゼーション(the early globalization)」の概念に依拠しながら、近代の進化論的言説における「人種」のような概念が、一方では、抑圧者の自己合理化の言説として機能し、他方、この抑圧に対する反抗者もその世界観が「人種」概念に縛られながらも、このような言説によって反抗者の国際的な連帯の構築をも可能にした、と指摘した。坂元教授は、章炳麟のインド独立運動への共鳴、およびアジア弱小民族の連帯をめぐる実践と思想をこのような反抗の結果とし、これらを「初期グローバリゼーション」の文脈にある国際主義としてとらえた。坂元教授の議論では特に、章炳麟の政治思想と同時代インド知識人との関わりに重点が置かれた。

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 第三番目の発表者、張鈺翰氏(上海人民出版社編集)は、もともと復旦大学において章炳麟研究者として知られる朱維錚教授(1936-2012)のもとで博士号を取得し、現在は新たな章炳麟全集の編纂に取り組んでいる。張氏の発表の題目は「『章炳麟全集』整理脞說」であり、編集者ならではの貴重な体験に基づきつつ、若手研究者としての視点をも生かした、ユニークな発表となった。張氏は、最初の章炳麟全集が誕生した70年代末の思想的、学問的な文脈を整理し、今回の新しい全集との関連および異同について紹介した。

 第四番目の発表者、竹元規人准教授(福岡教育大学)は、「学術における進と退――章太炎をめぐる考察」と題して報告を行った。竹元准教授は、主に民国時期の中国学術史について研究を進めており、今回の発表はその成果を強く反映するものとなった。竹元准教授は、民国時期において新進の歴史家であった顧頡剛を代表とする「疑古思潮」や,「地の下の新たなる材料」によって「紙の上の材料を裁断する」という「二重の検証法」などに対する章炳麟の批判的な態度を紹介した。竹元准教授によれば、章炳麟にとっての「歴史」とは、新しく発見された資料によって古代の歴史を検証する作業というより、『資治通鑑』の如く、一つの時代を代表する歴史的書物の蓄積を指す。章炳麟の「歴史」とは、各時代の歴史家の文脈、およびそうした書物を前にした今日の人々の文脈や、歴史的責任などに対する意識の連動による書物である。
 竹元准教授は、このような文脈を踏まえた上で、戦後日本の章炳麟研究を代表する島田虔次(1917-2000)の見解を詳細に紹介した。竹元准教授の発表は、思想史的な解読というよりも学術史的関心に基づいており、特に章炳麟と民国時期の若い世代との思想的関連に重点を置いている。また章炳麟を介して、竹元准教授自身の学術史的関心が、島田の学術史的関心と重なっている点が印象的であった。

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 第五番目の発表者、陳継東教授(青山学院大学)は、「章炳麟「<『大乘起信論』弁>」を読む」と題して報告を行った。陳教授の専門は、中国の近代仏教史、特にその日本近代仏教史との関わりである。陳教授の発表の中心の一つである「大乗非仏説」とは、近代日本における客観的、科学的たろうとする近代仏教学の文献学的方法論に基づく学説であり、その趣旨は大乗仏教の経典は釈尊の直説ではなく、後世に成立したものだという点にある。その根拠は、釈迦牟尼の時代は主にパーリ語が用いられたのに対して、大乗仏教の経典はサンスクリットで書かれている、という点にある。陳教授によれば、近代中国の仏教研究界では、如上の説に対する反響はほとんど見られず、章炳麟が1908年に発表した「<『大乘起信論』弁>」は「大乗非仏説」に対する反応を初めて示し、かつ独自な論点を提起した論文となった。陳教授は、章炳麟の同時代人で、「大乗非仏説」の主な論者である村上専精(1851-1929)などに対する章炳麟の論駁を紹介した。

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 第六番目の発表者は、何俊教授(杭州師範大学)で、「章炳麟研究の歴史について」と題する報告を行った。実は何教授の主な専門は宋学である。しかし教授の所属する杭州師範大学は、章炳麟の実家のある杭州余杭区倉前に位置することもあって、近年盛んに章炳麟を始めとする浙江出身知識人の学術史の研究を推進しつつある。こうした背景もあり、何教授は意欲的に章炳麟研究を進めており、今回の来日も、日本における章炳麟研究の歴史と今後の動向についての理解を、目的の一つとするものだった。何教授は、中国における章炳麟研究の歴史を総括し、さらに章炳麟の思想と地縁的な学問系統との関係について詳細な検討を行った。

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 第七番目の発表者、石井剛准教授(東京大学)は、今回の主催者の一人である。石井剛准教授は、清代の学問的重鎮である戴震(1723-1777)と近代におけるその解釈史について研究しており、章炳麟はこの解釈史の重要な一端を形成する人物といえる。石井准教授の今回の発表は、「仏声、革命、国故―日本学術思想史において章炳麟思想の位置付けをめぐる問題がいかに表れたのか」と題するもので、戦後日本における章炳麟解釈について検討した。石井准教授の発表は、まず西順蔵(1914-1984)らを中心とする読書会から出発した。この読書会は1952年に開始し、1957年から1959年までの二年間は、もっぱら章炳麟の『太炎文録』の精読にあてられた。この読書会は、1953年9月に岩波書店から出された『中国革命の思想――アヘン戦争から新中国まで』(竹内好ほか編)の出版を準備するための読書会でもあった。
 石井准教授はさらに、この本の出版をきっかけとして、竹内好(1910-1977)を中心に、関東および関西の一部の中国研究者によって、1954年10月に発足した「中国近代思想史研究会」研究グループについて取り上げた。石井准教授は『中国近代思想史研究会会報』などの貴重な資料に基づきながら、戦後日本知識人思想史としての章炳麟解読史、そして章炳麟解読史と戦後日本の中国認識などとの関連について議論を展開した。

 第二日目は土曜日ということもあり、第一日目より多くの参加者が来場し、全出席者は三十名以上となった。
 第八番目の発表者、張志強教授(中国社会科学院哲学研究所)は「章炳麟の民族主義――倫理的民族主義は可能か」と題する報告を行った。張志強教授の主な専門分野は仏教思想だが、今回は仏教思想からやや離れ、章炳麟の論文「中華民国解」(1907年)を取り上げた。この論文は章炳麟研究者の間では難問として知られ、管見の限り、これをまともに取り上げた研究著作はほとんど無い。
 張志強教授によれば、「中華民国解」における基礎概念「歴史民族」は、康有為らの公羊春秋学(今文学派)の天下主義における概念「文化民族」に対置される。「文化民族」は「同」を重視し、同に基づく融合を強調するのに対して、章炳麟の「歴史民族」は「不同」を重視する。公羊春秋学の「文化民族」概念は、相対的には人ではなく、文化に重きを置くのに対して、章炳麟の「歴史民族」は生生不息を主な内容としながら、記憶を共有する人々の集合体を指す。共通の記憶という意味では、阿頼耶識を持ち関連しあう人々としても解される。張教授の解釈において、章炳麟の「歷史民族」とは、「政治民族」を構築する手段といえる。張教授は、章炳麟の無生主義と民族主義との関係についての、野村浩一による討論を引用しながら、章炳麟においては無生主義こそ目標であり、民族主義とは目前の緊急の問題を解決する方法に過ぎない、とした。それはすなわち、無生主義をもって民族主義の閉鎖性と狹隘性を乗り越えようとするもので、各民族の解放を希求する企図として理解されるべきだ、と張教授は結論付けた。

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 報告者は、最後の発表者として「魯迅の章炳麟「解読」――復古的新文化運動と反復古的新文化運動のあいだ」と題する報告を行った。本報告は、魯迅による章炳麟の解読が如何に章炳麟解読史に深刻な影響を与えたか、という点から出発した。この点は、一九一〇年代の章炳麟が魯迅に大きな影響を与えたことと対称的である。報告者は、魯迅による当該時期のテクストと章炳麟のテクストとの比較対照を通して、報告者による章炳麟解読の枠組みに照らせばこの時期の魯迅も「復古的な新文化運動者」に該当し、のちの「反復古的な新文化運動者」の旗手たる魯迅と対照的であり、革命精神の点において章炳麟のスタンスと一九一〇年代の魯迅自身のスタンスとの間に一貫性が見られることを論じた。本発表に対するコメンテーター、薛羽氏 (上海人民出版社編集)は華東師範大学で中国近代文学の学位を取得した経歴を持つ。薛氏は、魯迅の一九二〇年代におけるマルクス主義への接近による階級意識の明確化や、児童ならびに婦人の解放などの問題における章炳麟と魯迅との差異を指摘し、章炳麟と魯迅を並べて議論することは多大な慎重さを要する点を強調した。

 本ワークショップの総括として、最後にラウンドテーブル「章炳麟解読史の過去、現在およびその展望――近現代中国および日本知識人思想史との関連」が行われた。まず江湄教授と坂元教授から、それぞれ問題提起が行われた。江湄教授は、近年中国大陸における章炳麟研究が、主に康有為研究との関わりによって拡大しつつある状況について紹介した。但しこの状況において、知識人の主流による再評価の主な焦点は、(章炳麟というより)あくまで康有為といえる。しかし見方を変えれば、康有為こそ、将来の章炳麟研究の展開に大きな契機をもたらし得る存在だといえる。坂元教授は、日本における章炳麟研究史を、西順蔵を中心に紹介した。その背景には、坂元教授自身が、もともと西順蔵の章炳麟研究から強い影響を受け取っていたことがある。またフロアからは、丸川哲史教授(明治大学)による発言があり、竹内好による翻訳の問題を中心に指摘がなされた。その他、フロアから多岐にわたる意見、質問があり、討論は盛況のうちに幕を閉じた。
(文責 林少陽)

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