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【報告】シンポジウム「立憲デモクラシーの危機と東アジアの思想文化」その2

2015.01.13 川村覚文, 國分功一郎

前回に引き続き、シンポジウム「立憲デモクラシーの危機と東アジアの思想文化」の模様について、報告いたします。

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つづいて、最後の登壇者として島薗氏が発題された。島薗氏はまず、このシンポジウムが開催されることになった経緯を述べられたのち、なぜ「東アジアの思想文化」というテーマとしたのか説明された。「憲法」や「立憲主義」と行った概念はそもそも西洋由来であり、そのため非西洋世界に住む者にとってはあたかも上からやってきたような印象を受ける。そのため、現在の立憲デモクラシーの危機に際しては、西洋と日本を対立したものとして捉えたうえでその対立線に沿って議論してしまう傾向がみられるが、島薗氏によれば、そのような対立的な見方を採用すべきではないという。近年は日本にとって西洋の存在が遠くなり、むしろ反発という形で中国や韓国に似てきていると分析された上で、島薗氏は近くの文化との共通性を考慮に入れた文明史的見方が必要と指摘された。しかしそれもまた、そのような東アジア地域の文明的な近さを反省した上で、そのような土壌に西洋由来の理念をどのように根付かせるかを構想するために必要なものであり、決して異質であるという理由によってそういった理念を拒絶するためのものではないという訳なのである。

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島薗氏によれば、氏自身の専攻である民衆宗教論もまた、このような目的に沿ったものであるという。すでに國分氏の登壇において触れられた1973年は、島薗氏が文学部で宗教学を専門に研究し始めた時期であり、その当時を回想されつつ、戦後民主主義批判および丸山昌男批判が盛んな時期であったと氏は述べられた。しかしそれは決して反動的なものではなく、むしろ上から与えられるという形で導入された民主主義を、より自分たちの根っこに近いものとして理解しようとする運動であったのである。その流れの中で当時人気があったのは、民衆文化論や柳田國男による民俗学などであり、島薗氏の専攻する民衆宗教論なども、その文脈に位置づけられるという。

このような民衆宗教論は、西洋的な個人主義には否定的だが、個の自覚を大変尊ぶ傾向にあると島薗氏は指摘する。そして、この傾向は東アジア的な国家を尊ぶ精神性が強い土壌から、個人あるいは人権を尊ぶ精神性を構想することはいかに可能か、という問いへのヒントになりうるのではないか、と島薗氏は述べられた。島薗氏によれば、近年伝統的な諸宗教教団は自民党から離れつつあり、それは諸伝統教団が脱原発および平和憲法護持の原則を自民党に求めているということに関連している。そして、今日では伝統教団とは別の宗教勢力が自民党・安倍政権を指示しており、それは例えば日本会議や神道政治連盟といった「國體」論的な勢力であるという。彼らの台頭は、「上からの民主主義」への対抗ビジョンを提出する勢力として顕著になってきているものであり、その意味では彼らはある意味戦後体制への革新である一方で、国家・天皇を中心とした秩序を思考しているという意味では明確な保守であるといえよう。島薗氏は、民衆宗教論に依拠することで、上からの民主主義への対抗ビジョンがこのような昨今の国家・天皇中心主義的な秩序構想へと回収されることをさけつつ、西洋的「個人」ではないかもしれないが、東アジアにおけるより多元的な宗教的伝統を前提にしながら、その多元性を媒介しうるような共有されるべき価値を問題にすることが可能となり、それによって下からの民主主義を構想することが可能なのではないか、と示唆された。島薗氏によれば、現にコミュニタリアニズムはこのような発想にもとづいて、基本的人権が尊重されるような社会を構想しようとしているという。

以上の考察に続いて島薗氏は、「國體」論と立憲デモクラシーとの関わりについて、より踏み込んだ議論を展開された。島薗氏は、すでに触れられた日本会議に関して、宗教集団としてはそれほど大きくはないが、影響力があると指摘された。そして、彼らの特徴であるところの、国家と天皇の尊厳に何よりも重きを置く「國體」論的な思想について、それが明治維新の基本理念と大きく関係していると述べられた。「國體」論の淵源は明治維新に大きな影響を与えた水戸学派の思想に求めることができ、そして水戸学派によって唱えられたものとは、儒学と日本の天皇制を接合することで祭政教一致を唱えるイデオロギーであると理解できる。このイデオロギーにおいては、万世一系の(つまり王朝の変化がおこったことのない)天皇を中心とした国家であるということが日本の他国への優秀性の根拠として唱えられており、そのような認識を基盤にして天皇による神道政治の正当性が主張されていたのである。島薗氏によれば、これは儒教政治の日本版であり、いわば中国的なものを使って日本的なものを構築しようとしたものであるとして理解できるという。

1870年に「大教宣布の詔」が発されたが、これは神道を基盤にした、天皇とその祖先神が中心となる国の秩序を近代日本の基本原理としてみなすものであった。島薗氏はこの「詔」が一度も否定されたことがないことを指摘した上で、1870年以来「皇道」が日本の中心的原理とされてきたと述べられた。そして、教育勅語はこれを受けて祭政教一致の原理を凝縮したものとして、渙発されたのである。これらはいずれも「國體」論的議論を構成する要素であったのだ。

島薗氏は、民衆主義的な運動が、立憲主義的な体制に反対し國體主義的な政体を目指す革新運動へと回収されてきた歴史を、ある種の日本の伝統であることを指摘された。そして、現在の立憲デモクラシーの危機もこのような伝統の反復であると理解できることを示唆された上で、これへの抵抗を構想することがいかに可能であるかが一つの問題であるとの見解を示された。そして、この可能性を戦争体験に求めることを、一つの見解として述べられた上で、まさに戦争経験をその核に結実したものとしての戦後憲法の可能性をもう一度評価すべきであると主張された。その上で、このような可能性を哲学的・思想的に裏付けることが今まさに求められていることであると述べられ、発題を締めくくられた。

以上の発題の後、登壇者とモデレーターの松平氏をまじえてコメントおよびディスカッションが行われた。

その中で、特に松平氏によるコメントは次のようなものであった。松平氏は、まず自身がなぜ安倍政権において生じている立憲デモクラシーの危機に対処するべきという責任感をもっているのか、ということについて述べられた。その一つはルーツが長州=山口県にあることであり、おなじ長州出身者によって引き起こされている問題が看過できないこと。そして、もう一つは憲法学者として、安倍政権における「無理」な憲法解釈を「無理」だと認識させるような憲法学の教育が十分に行われていないことへの、責任感である、ということであった。

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無理な憲法解釈の例として、松平氏は、安倍政権による集団的自衛権容認の根拠に、憲法25条の「生存権」=「社会権」が引き合いに出されたことを挙げられた。松平市によれば、この権利は社会福祉保護の条文であるのであって、このような条文からどうやって集団的自衛権正統化の論理を引き出すことが可能なのか、憲法学的には全くナンセンスであるとして批判された。

1993年に大学に入学した世代として、国分氏との共通性を述べられた上で、松平氏は自身もフランス現代思想の存在を強く意識して、仕事をされてきたと述べられた。その上で、日本におけるフランス現代思想の紹介者でもある蓮實重彦の存在に触れられつつ、蓮實が翻訳したフローベールによる『紋切り型辞典』について述べられた。それというのも、現在の立憲デモクラシーをめぐる議論にはいくつかの紋切り型が在るのではないか、というのが松平氏の持つ批判意識であったからである。

松平氏によれば、まず立憲主義と民主主義を対立したものとしてみるのは、ある種の紋切り型ではないかとのことであった。なぜなら、戦後民主主義の理念においては、立憲主義が含まれており、むしろ民主主義と立憲主義の相互依存をそこにおいては見るべきであるからだ、と松平氏は指摘された。また、安倍政権は民主主義を笠に来ているが、それは要は多数決で多数派であるということであり、しかし多数決をすなわち民主主義であると見做すのも、ある種の紋切り型である、と批判された。そして、安倍政権及び自民党が政権を維持できているのは、民主主義の結果であるというよりも、二大政党制を前提にした現行の選挙制度において、対抗勢力となる野党(つまり民主党)が崩壊しているという理由の方が大きい、と指摘された。

以上のような松平氏およびそれ以外の登壇者によるコメントとディスカッションが行われた後、会場へ開かれた議論へと移行した。そこで活発な議論がなされ、まだまだ多くの人が議論に参加したいという雰囲気ではあったが、時間の制限もあり、惜しまれつつも大変盛況のうちに本シンポジウムは幕を閉じた。

本シンポジウムを通して報告者が感じたことは、一方で多くの人が現状に対して不満をいだいているということ、そしてもう一方で現状を変える原理として國體論的あるいは国家中心主義的なものが浮上し、それが不満を抱く人々を組織するある種の民衆運動的な原理として機能すること、この両者の連関を支えるのは何なのか、ということが大変気になった。それを例えば封建的・前近代的な原理の残滓であるとして理解することの不十分性を我々はすでに知っているはずだが、それではどのような説明が可能なのか。このような問題について考える事の重要性を痛感したことを記しつつ、本報告を終えたいと思う。

文責:川村覚文(UTCP)

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