Blog / ブログ

 

【報告】ワークショップ「いまなぜ儒教か」

2014.03.19 中島隆博, 石井剛, 馬場智一

2014年3月12日東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム4にて、『現代思想』連動ワークショップ「いまなぜ儒教か」が行われた。

本ワークショップは、直前に刊行された『現代思想』(青土社)3月号における特集、「いまなぜ儒教か」と連動した企画である。登壇者はもとより、会場には特集への寄稿者も多く集まった。本レポート報告者もその一人であるが、儒教や中国思想を研究の専門としていないゆえ、以下不十分ではあるが、理解できた範囲で報告させて頂く。

ワークショップでは、企画主催者である石井剛氏(UTCP)から簡単な主旨説明があった後、登壇者による発言が二部に分けて行われた。第一部ではまず羽根次郎氏(愛知大学)、伊東貴之氏(国際日本文化研究センター)、澤井啓一氏(恵泉女学園大学)から、休憩を挟み第二部では中島隆博氏(UTCP)、石井剛氏、丸川哲史氏(明治大学)からそれぞれ10分程度の発言がなされた。第一部、二部ともに会場(ほとんどが特集寄稿者)からの質疑応答が後に続き、最後にディスカッションが行われた。

ishii.jpg

「儒教とはなにか」ではなく、「いまなぜ儒教か」というテーマは、今回会場にいらした『現代思想』の押川氏から解説された通り、一つの問題提起という意図を持っている。中国では近年に至るまで、さまざまな形態での儒教復興がみられる。近世以降、儒教は朝鮮半島や日本列島で「土着化」(澤井氏)する。儒教が各地でそれぞれの発展をみた東アジアでは、近年政治的緊張関係が高まっている。しかし周知のとおり列島では、近年排外主義的な傾向がヘイトクライムやヘイトスピーチという具体的な現実となり、その憎悪は皮肉にもとりわけ近隣諸国に向かっている。その意味で「いまなぜ儒教か」という呼びかけは実に時宜を得ている。

この問題提起に対応するように、各人から様々な応答がなされた。それらは、(1)中国における儒教の歴史およびそこから浮かび上がる、「儒教」(「儒学」、「儒知」、あるいは「儒」)の特性、(2)近世および近現代東アジア、とりわけ日本思想におけるその受容(3)現代日本の儒教研究史(4)儒教復興や儒(教)の歴史が今日もつアクチュアリティ、と分類できるかもしれない。儒(教)の歴史とは、長く多様な歴史的状況のなかでその都度異なるある種の役割を担わされてきたものである。逆に言えば、儒教はこうした多様性、多元性を担い得る「形式」でありその「内容」は各地域、歴史で異なる。澤井氏の報告にあったように、儒教は外部から入ってきた宗教や文化を土着的なものを利用しながら「領有」することを可能にする。

儒教は「中国」思想の一つとみなされているし、近代日本において儒教は国民道徳の形成というイデオロギー的操作に利用されもした。しかし儒教は「国民国家」が占有できるなにかではないし、さらにその源とされる「中国」も「国民国家」という近代的な国家形態に還元できるものではない。羽根氏が発言のなかで強調したように、中国は多元的なものであり、かつその多元性は「漢民族と少数民族」に限らない。漢人内部の多元性および周辺諸国家の多元性もある。また、現代中国にみられる「庶民の儒学」としての「国学」の流行は、階級問題と切り離して考えることはできない。

img1.jpg


「国学」ということでいえば、澤井氏が概要を示した儒教の土着化の歴史のなかにも、日本近世における儒教の「国学」化があった。中国近世における儒教の成功とは対照的に、近現代において儒教はヨーロッパとの関係を解消していない。儒教はその歴史上つねに儒教のうえに別のもの(仏教、神道、等)を「二重焼き付け」することを重ねてきたのだが、近代における「二重焼き付け」はまだ行われていない。内村鑑三におけるキリスト教と儒教、西田幾多郎の哲学における陽明学の役割など、近代日本思想におけるその焼き付けの再検討はこれからの課題であろう。こうした思想史上の検討課題は、日本における中国思想史研究から引き継がれている問題でもある。伊東貴之氏による研究史の回顧、さらにはフロアからの本間次彦氏によるコメント(溝口雄三、島田虔次ら中国思想史研究の先達に関するもの)から示唆があったように、陽明学に現代につながる何を見ようとするのか、という中国思想史研究の問題でもある。

現代における「二重焼き付け」には様々な方向が含まれ、その行方は誰にも分からない。その中でも中島氏は、石井氏らと近年行った現地調査で得た知見や、ロバート・ベラーの所論を導きの糸にしつつ、市民により運営されている儒教復興運動に、何らかの封建的なものの残滓でもなく、ナショナルなものに回収されるなにかでもなく、民主主義がなければ成立しえないある種の「市民宗教」ないしは市民的スピリチュアリティを見出だす可能性を示唆した。この種の儒教復興が形成するのは、国家的秩序とは区別される市民的公共領域である。こうした役割はある種NPO法人が果たす役割にも比せられる。その意味で「市民的スピリチュアリティ」は、権力に対する批判的機能も果たし得る。

nakajima.20140312.jpg


思想としての儒教が本来もっている批判的機能、「和」して「同」ぜずというあり方は、孔子その人にみられた。中国における儒教復興運動のなかにはもちろん国家的な秩序形成に資する要素も存在する。そしてそれはこれまでの歴史において繰り返されてきた。仮に「同ぜず」が批判的機能を代表するとすれば、「和」とはなにを意味するのだろうか。「和」は簡単に「同じであれ」という圧力に変質しかねない。東アジアにおける近代植民地主義の歴史を振り返るなら「和」とは王道楽土、五族協和の地としての満州国の理念にも含まれていた。国家が形成する「和」ではない「和」とはなんなのか。石井氏は孤軍奮闘した孔子に遡り、和が「孤独であり仲間を持っていること」を強調した。孤独でありながら仲間をもつこととは、「文」を通じ時空を越えて仲間を持つことを意味する。この意味での「和」は国家的秩序ではないだろう。歴史的、空間的に切り離された諸個人が「文」という共通体(フランス語communautéの中国語訳)に属すことによって成立する「和」は、おそらく市民的スピリチュアリティとも完全には重ならない別の抵抗の形態だろう。

『現代思想』の特集で柄谷行人氏と対談を行った丸川氏は、柄谷氏による「帝国」論を参照しつつ、儒教を国家権力への抵抗の契機と捉えるというよりも、「帝国」の「伸縮」を調べる際のリトマス試験紙として見直す可能性を提案した。中国大陸における国家の歴史においては、諸民族の共存を許す「帝国」(帝国主義ではなく)の存在があった。ところで大陸の広さを考慮することなしに、この「帝国」性を考えることはできない。この広さを理解する際、列島の狭さと比較することは有益である。ある社会集団間での対立関係が強まり、一つの集団が逃げる場合、日本列島では平地の少なさから必然的に山へ逃げ込むことになり、「山人」が生まれる。これに対し、中国では山に逃げ込むことなく平地を逃げ続けることができる。王朝の交替と領土の伸縮はこの広い大陸の上で繰り広げられる。「形式」としての「儒」とはこの移動の原理となる。流動性を可能にするのが儒知である。列島に閉じ込められるのが孤島苦(柳田国男)だとするとこちらは流動苦と呼べる。この流動苦のゲームの規則を決めるのが儒知である。その時「儒」は国家の内でもあり外でもある。

質疑応答で石井氏から質問があったように、「帝国」を語る場合、確かにかつて帝国として語られたものを検証する必要があるだろう。ただ柄谷氏の帝国論には世界を語る際に「東西」論ではない別の軸を導入する必要がある。『世界史の構造』に見られるように交換様式による秩序の変動を見極めるためには、「国家」とは別の視点が必要とされる。移動の原理としての儒は、国家でもなく、市民的公共性でもなく、「文」の共通体でもない、あいだの空間を形成する。

img2.jpg

「形式」としての「儒」はその内容として様々なものを含み得る、いわば一つの入れ物である。反復的に再興を可能にする構造を有した「儒」という「知」は、おそらく哲学と宗教のあいだにあり、その開放性は権力も非権力も受け入れ得る。そしてそれぞれの形態は登壇者のそれぞれ異なる発言にみられるように、さまざまでありうる。それゆえ儒教がもつアクチュアリティもまた、多様であり、読むものがなにをそこから引き出そうとするのか、その意図に応え得る豊さをもっているのだろう。その意味で儒教とは、繰り返し読み得る古典にふさわしいものであるが、その読み方は常に開かれている。儒教が辿ってきた歴史もまた多様な読解を待っている。

企画者の石井氏が述べていたように、緊張が走る東アジア情勢の緊急性に対して、人文的な知の営みの時間性はそれに即座に対応することができないし、そうすべきでもない。しかし儒とその歴史は、こうした情勢と無関係ではないし、国家間の緊張とは次元を異にする、市民的スピリチュアリティを、文の共通体を、あるいは、領土的論理とは異なる「帝国」的想像力を、東アジアにもたらすのかもしれない。決して約束されてはいないが、開かれている、儒教というトポスへのそのような再訪が可能なのではないだろうか。 ワークショプは、そのような予感を抱かせる濃密な3時間だった。

報告:馬場智一(CPAG)

Recent Entries


  • HOME>
    • ブログ>
      • 【報告】ワークショップ「いまなぜ儒教か」
↑ページの先頭へ