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【報告】学術シンポジウム"Self and Person in East Asian Perspective"

2013.12.08 川村覚文, 杉谷幸太

2013年11月29日から30日の二日間にかけて、台北にある国立台湾大学人文社会高等研究院主催の学術シンポジウム、"Self and Person in East Asian Perspective"(『東亞視域中的「自我」與「個人」國際學術研討會』)が開催され、UTCPから川村覚文と杉谷幸太の二名が参加・発表しました。以下に、参加者からの報告を掲載いたします。

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杉谷幸太(東京大学大学院総合文化研究科博士課程、UTCP・RA研究員)

杉谷の発表「“知青文学”中的個人與集体(「知識青年文学」のなかの個人と集団)」は、文革後の新時期文学、とりわけ文革期に農村に下放された「知識青年」世代の小説に着目し、そこに「個人」がどのように登場するかを論じた。日本哲学(とくに京都学派)や中国哲学の立場から「自我」「個人」「人格」といった問題を扱った報告が多かったなか、中国大陸の文学というのは、やや異色なテーマだったかもしれない。

分析の切り口には、中国近代文学いらい、個人と社会(家)の相剋の主要テーマである恋愛・結婚問題が扱われている作品を選んだ。一方には、都市にいる母親が農村での結婚に反対するという身分違いの悲恋のような構図の作品がある。しかし他方、主人公が農村での恋愛を捨てて都市へ、外国へと逃避しようとすると、下放先の農村の老人が、主人公の選択に対する抑圧者として現れるという作品がある。いずれの場合も、作中に父親の影が薄いのが特徴で、おそらく農村の老人がフロイト的な「超自我」、あるいは理想の父親モデルとして機能し、現実の「家」における父親を代理しているためと見られる。

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つまり彼ら「知識青年」たちは、伝統的な「家」(より具体的には母親)から完全には自由でないと同時に、老人が象徴する社会主義の「集体」(collectiveの中国語訳)の圧迫も受けている。ただ恋愛・結婚に対する両者の圧力は反対方向である。これは、伝統的な家と近代の社会主義や国家が対立物であることを示すだろう。近代化を、伝統的な「家」から「個人」が解放され、「集体」ないし国家という新たな抑圧のもとへ回収していくプロセスと捉えれば、文革後の中国では、未だその力関係は拮抗しており、「個人」はその両方の圧力との関係で捉えられている、と結論付けた。実は、この結論は予め持っていたのではなく、質疑応答のなかで啓発されて辿りついたものである。その意味で、自身の研究全体のなかにおいても一つ大きな進展のきっかけであった。

(文責:杉谷幸太)


川村覚文(UTCP特任研究員)

台北に到着した初日は、思いがけない肌寒さに凍える思いだったが、会議二日目は気温も上がり、心地よい陽気の中で発表を行う幸運に恵まれた。私の発表は、"Representation or Expression?: the Political Implication of the Pursuit of the True Self"と題し、近代日本の政治思想史上における「表現」という概念の出現に関して論じたものであった。

美濃部達吉によって発展させられた天皇機関説と、それに支えられた大正デモクラシーの言説において、「代表」制政治の持つ意味は、それが教育的なプロセスであるということである。すなわち、代表者を選ぶこと通じて、投票者たる諸個人が自己の本来的な人格を見出すことが可能となる、というのがその意義であるのであった。そして筧克彦は、この議論をより発展させて、国家における代表者と代表される者は、実は同一の人格の異なった「表現」である限りにおいて、政治制度はその正当性を担保しうると主張した。そして、彼にとってそのような政治制度とは日本の「國體」であり、このような議論が実は蓑田胸喜などの國體ナショナリズムに影響を与えていたのである。

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以上のような発表であったため、哲学・思想系のほとんどの発表者が儒教や仏教といったいわゆる「東アジアの伝統思想」と、東アジアの近代哲学者―西田幾多郎や京都学派など―との関係性を論じていた中で、若干毛色の違うものとなった。実は私も発表の中で、西田が『善の研究』の中で「表現」という概念を使用していることについて、論じるつもりであったにも関わらず、時間の関係上割愛せざるを得なかったことが大変残念であった。

全体としては、色々と考えさせられることが多く、よい経験となった会議であったといえよう。本会議の成果は、今後出版といった形で発表・刊行される予定とのことである。また、国立台湾大学のスタッフの方々、特に陳如玫さんには、ホテルの予約やレセプションパーティー、そして送迎の手配など、様々な面にわたり大変お世話になった。ここであらためて、心よりお礼を述べたいと思う。

(文責:川村覚文)

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