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【報告】藤原帰一教授講演会

2013.07.09 高田康成, 文景楠

2013年7月1日、東京大学駒場キャンパスにて、藤原帰一氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授)による講演会"The Noble Savage: Japan and the Orient in American Film"が高田康成氏(UTCP)の司会のもと開催された。藤原氏は国際政治を専門とする研究者だが、映画に関しても造詣が深いことで知られている。今回の講演会では、戦前から近年にいたるまでのアメリカ映画における日本と東洋のイメージというテーマで議論して頂いた。

藤原氏は、戦後のアニメーションであるHashimoto-san(1959-63年)の内容を紹介することから講演を始められた。そこにはHashimotoという名前のネズミが日本人をキャラクター化したものとして登場する。藤原氏が注目するのは、このネズミの描かれ方である。彼は(欧米人が往々にしてもつような)日本人のイメージを体現する存在ではあるが、「~さん」や「あ、そう」、「ばんざい」といった日本人キャラクターならまず口にすべきとされていた言葉を多用したりはしない。また、服装や振る舞いなどは日本的ではあるが、その描き方に(滑稽さはあるものの)悪意を伴った歪曲は感じられない。藤原氏によれば、東洋人をこのように穏当に描くということは、アメリカ映画の歴史を考慮すれば決して普通のことではなかった。戦前のアメリカ映画においては、東洋人は、異様なほど神秘的に描かれるか、西洋人のヒロインに危害を与える悪党として描かれることが多かったのである。

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日本の経済成長が注目されるようになったころのアメリカ映画では、再び脅威としての日本人というイメージが色濃くなる。藤原氏が興味深いと考える点は、そこで日本人に与えられるイメージ(父権主義や性的倒錯)には、ナチスがユダヤ人に与えようとしたイメージと重なるものが多いという点である。このような暗いイメージとは反対に、例えば比較的近年の映画であるLast Samurai(2003年)では、日本は文明化された社会が失ってしまった美徳が守られる場所として描かれている。藤原氏は、脅威としての日本のイメージも憧れとしてのそれも、等しくオリエンタリズムの対象としてアメリカの内部的事情を反映したものであることをまず確認した上で、そのようなものを単純に否定するのではなく、訂正の可能性を含む出発点として肯定的に考える必要性もあるということを強調された。

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藤原氏は、最後にLost in Translation(2003年)という、東京を舞台にしたアメリカ映画への言及で講演を終えられた。藤原氏は、彼にとってこの映画が複雑な気もちを巻き起こすものであることを述べた上で、その理由を次のように語る。そこでは、(今まで論じてきた映画とは異なり)東京の風景がほぼ脚色なしに描かれており、その異様なまでのリアリティーが逆に見るものを不安にする。それは、東京のことを知っているものにとっては(アメリカのことも知っているものにはなおさら)あまり注目したくないディテールを、不気味なまでにくっきりと浮かび上がらせるのである。アメリカ映画における日本のイメージは、どうやら新たな視点からの評価を要求するものへと変容したようである。

(文責:文景楠)

関連するUTCPイベント

Kiichi Fujiwara
(Professor of International Politics, the University of Tokyo)

"The Noble Savage: Japan and the Orient in American Film"

Moderator: Yasunari Takada (UTCP)

使用言語:英語|入場無料|事前登録不要

主催:東京大学大学院総合文化研究科・教養学部付属 共生のための国際哲学研究センター(UTCP) 上廣共生哲学寄付研究部門
共催:総合文化研究科・表象文化論コース

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