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【報告】ピーター・ハーテロー氏講演・体験イベント

2013.07.01 清水将吾, Philosophy for Everyone

2013年5月9日・13日・18日、立教大学などにおいて、オランダのエラスムス哲学実践研究所のピーター・ハーテロー氏による講演と体験イベントが行われた。UTCPのイベントではないが、いずれの内容も、UTCPの上廣共生哲学寄付研究部門L3プロジェクト「Philosophy for Everyone(哲学をすべての人に)」ときわめて密接に関連し、興味深く珍しい実践の紹介があったため、この場でご報告させていただきたい。

哲学コンサルテーションのワークショップ
5月9日には、立教大学池袋キャンパスにて、哲学コンサルテーション(哲学カウンセリングとも呼ばれる)のワークショップが開催された。前半では、ハーテロー氏による哲学コンサルテーションの概説があった。哲学コンサルテーションは、哲学者と依頼者との1対1の対話で、1980年代にドイツのG・B・アヘンバッハによって創始された。現在では、オランダ、フランス、アメリカなどで、多様な進化を遂げている。ハーテロー氏がビデオを使って紹介したのは、フランスのO・ブルニフィエ氏によるコンサルテーションと、アメリカのR・ラハヴ氏によるコンサルテーションだった。(ラハヴ氏は、東京大学でも複数回ワークショップを行っていただいたマリノフ氏の一派に属する実践者である。)ブルニフィエ氏のコンサルテーションは、ハーテロー氏の言葉では「ラディカル」かつ「アグレッシブ」で、哲学者が依頼者に対し、質問に答えるよう粘り強く迫っていくような対話である。対して、ラハヴ氏によるコンサルテーションは、依頼者に自分のことを自由に話させる形式をとっていた。ハーテロー氏によれば、哲学コンサルテーションの分野では、実践者がそれぞれ自分なりのスタイルを作り上げていくのである。

後半の実践練習の時間では、哲学的知見を、ビデオで見た依頼者に対して当てはめる練習が行われた。たとえば、ハーテロー氏は、参加者に好きな哲学者を言ってもらい、「その哲学者だったらこの実例について何と言うだろうか」と問いかけていた。個人的な問題について、「その哲学者なら何と言うだろうか」と考える練習は、哲学コンサルティングを離れても、哲学的思考そのものにとって重要であるように思われた。ハーテロー氏は、コンサルテーションを行ううえで、哲学について網羅的な知識が必要だとは言わず、自分の好きな歴史上の哲学者を当てはめてみることから始めればよいと言う。「哲学者自身が哲学プラクティスである」というアヘンバッハの言葉をハーテロー氏は引用していたが、それぞれの人が哲学者として生き、哲学者として考えながら、コンサルティングのスタイルを創造していく自由を、このワークショップで感じることができた。

ネオ・ソクラティク・ダイアローグ
5月13日には、同じく立教大学池袋キャンパスにて、講演会とワークショップ「哲学プラクティスと子どものための哲学」が開催された。講師の1人であったハーテロー氏は、この日はネオ・ソクラティク・ダイアローグの体験ワークショップを行った。

参加者が体験したのは、ドイツで開発されたソクラティク・ダイアローグが、オランダでアレンジされてできた対話方式である。通常、ソクラティク・ダイアローグでは、テーマとなる概念について、対話者たちの具体的体験とその抽象的概念化のあいだを往復しながら、テーマとなっている概念の定義を対話者たちが考えていく。ところが、ハーテロー氏の対話は、そのような定義は存在しないという意味での反プラトニズムに基づいており、概念の定義を確定することを目指さない。そのかわり、対話者が1人1つずつ出した概念をすべて使って、個々の対話者が短い物語を作ることになる。抽象的な概念だけでできたお話や、動物を主人公にしたお話などが出され、それらのをお話もとに、テーマとなる概念について考えを進めていく。定義の確定を目標とするような対話とは対照的に、考えるための素材を増やして思考を広げていく対話のように見えた。また、対話者たちが自作のお話を披露しあったあとの、ユーモラスでありながら不思議な雰囲気は、そこから何かを考えてみたいという気をそそるようなものであった。

私自身としては、対話の手法の背後にも(上記の意味での)プラトニズムや反プラトニズムのような哲学的観点が隠れていることが、興味深く感じられた。実践者が対話の手法を考えて創造してく作業は、まさに哲学的問題を考える作業なのである。

哲学ウォーク
ハーテロー氏による一連のイベントのなかでも、とりわけ個性的で印象的だったのは、5月18日に江の島で行われた「哲学ウォーク」である。「哲学ウォーク」は、対話というものを、物との対話ということまで含めて考えておられるハーテロー氏が考案した対話方法である。

ハーテロー氏は、哲学者の言葉(禅の公案からの言葉や、ハーテロー氏自身の言葉も含まれている)が書かれた小さな紙を何枚も用意してきており、参加者は、くじ引きのようにして1枚を引く。その言葉はほかの参加者には見せないようにして、参加者全員で歩きはじめる。歩きはじめたら、「歩くか話すかどちらかだけ(Walk or Talk)」というルールを守らなければならない。歩いている間は、絶対に声を出してはならない。沈黙して、自分のもっている言葉にふさわしい場所を探しながら歩く。ふさわしい場所を見つけたときには、1つの概念が頭のなかになければいけないので、その概念のことも考えながら歩く。そのようにして、ここだと思う場所を見つけたら、「ストップ」と言う。参加者たちは立ち止まり、その場所で輪になる。「ストップ」と言った人は、もっている紙を見せて読み上げ、自分の頭のなかにある概念を言う。そして、その場所と、哲学者の言葉と、自分の概念とのあいだの関係を説明する。すると、ほかの参加者は手を挙げ、質問をする。このとき、質問に答えるということはしない。いくつかの質問のなかから、一番いいと思った質問を1つ選ぶだけである。質問を1つ選んだら、再び全員で黙って歩きはじめる。歩きながら、自分が選んだ質問について考えるのである。

歩き終わったあと、ふりかえりの時間では、「ストップ」と言うまでの時間が早かった人の順番に、時計回りになるようにして輪になって座った。そして、「ストップ」言うまでに自分が何を考えて歩いていたかを、時系列的にふりかえって話した。最後には、それぞれの参加者が出した概念を、時計回りに順番に言っていくということをした。それを物語のようにして聞くという趣旨である。するとたしかに、物語が思い描けるように思われた。ここでもハーテロー氏は、参加者が経験から出した様々な概念をもとに、1つの物語を構成させることで、参加者の思考を刺激したと解釈できる。

文章では伝えにくいが、この対話方法の思考に対するインパクトは、歩きながら目で見て肌で感じた風景と切り離すことができない。人々が自然や街並みのなかを黙って歩きながら考える姿。人が自分の選んだ場所で語る姿。異様なまでに印象的な場面はいくつもあり、いまも私のなかで何かを喚起しようとしている。たとえば、1人の女性は、荒波が岩と磯に打ちつける場所を選んだ。紙に書かれたニーチェの言葉「神は死んだ」を見せて読み上げ、自分が考えついた概念として「希望」と言った。ほかの参加者は、強風に髪と服をなびかせながら、女性に一言で問いかけていた。

ほかの参加者の方々も、この日に得た特異な体験について話していた。このイベントをきっかけに、同種のイベントが日本でも行われるようになればと思う。「哲学ウォーク」の対話方法は、ごく少人数でも行えるかもしれないし、屋内や室内の対話にも応用できるかもしれない。ここにも、対話方法を創造していく自由があるように感じられる。

(報告:清水将吾)

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