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【報告】L2プロジェクト 共生のための障害の哲学 第10回研究会「脳性麻痺という経験」

2013.07.19 石原孝二, 西堤優, 共生のための障害の哲学

2013年6月5日、東京大学駒場キャンパスにて、共生のための障害の哲学第十回研究会「脳性麻痺という経験」が開催されました。登壇して頂いた方々は、大阪大学大学院人間科学研究科後期博士課程の河合翔氏、東京大学先端科学技術研究センター特任講師の熊谷晋一郎氏、およびNPO法人ノアール理事の熊篠慶彦氏の三氏で、コメンテーターは慶応義塾大学文学部教授の岡原正幸氏に務めて頂きました。

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最初に、「不随意運動の新しい見方―現象学という視点から―」というタイトルもと、大阪大学大学院人間科学研究科後期博士課程の河合翔氏が発表を行った。河合氏は、脳性麻痺者が経験する固有な身体感覚に着目し、「<健常者の身体>についてメルロ=ポンティが試みた現象学が<障害のある身体>においてどのように再構築されるのか」という問いを掲げ、脳性麻痺者の現象的身体論構築を試みた。この中で河合氏は、脳性麻痺者に生じる不随意運動を、正常者を基準とした外部環境にふさわしくない仕方で働きかける運動として扱うのではなく、不随意運動こそが脳性麻痺者の「主体的行動を支える基盤」であり、その生起は「意識が統御できない領野」であると主張した。河合氏による脳性麻痺者に固有の経験描写は、これまで脳性麻痺者のことをよく知らなかった私にとっては非常に勉強になるとともに衝撃的であった。特に、理学療法や心理療法における不随意運動理解の批判的考察によって得られた、脳性麻痺者と環境の関係についての当事者的考察が興味深かった。河合氏によると、理学療法における不随意運動は、環境からの刺激を適切な反応出力へと変換することのできない、変換機能の障害だと考えられている。また、心理療法では、とりわけこの場で取り上げられた「動作法」と呼ばれるものに関しては、脳性麻痺の不随意運動は、当人の心の状態と実際の動作の不一致に帰するものであると考えられている。どちらの場合も、人間が環境へと適応することが前提されており、人間にとって環境がどのようなものであるのかという「環境への主体的関わり」について考慮されていないという点で問題があるという指摘がなされた。今回、当事者である河合氏がメルロ=ポンティを援用することによって再構築した身体論は、知識として理性に訴えるだけではなく、ある種の共感感覚を聞く者に引き起こす力があったように思われる。彼の当事者的視点を入れた学術研究が今後どのように発展するのかが期待される。

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次に、東京大学先端科学技術研究センター特任講師の熊谷晋一郎氏が「不随意運動はなぜそうよばれるのか」という発表を行った。熊谷氏は医師であり、実際に当直などが必要とされる大きな病院での勤務経験がある。彼の発表では、不随意運動に関する医学的見解に依拠しつつ、自身のこれまでの脳性麻痺当事者経験を通して得られた知見を加味し、科学的・社会的文脈において「随意運動」と「不随意運動」という言葉が、一体何を表しているのか、また、何を含意しているのかについて考察がなされた。特に興味深かった点は、不随意運動が一つの動作として説明される場合、機械論的に、つまりその生起が身体メカニズムから説明されるが、随意運動が一つの動作として説明される場合、ある目的をもった動作として目的論的に説明されるという熊谷氏の指摘である。そのような説明のされ方の違いの一因は、熊谷氏によると、随意運動が私たちの社会において人々の一般的な動作を示す語として承認・意味づけされている一方で、不随意運動によって示される動作が特異的であり社会的承認・意味づけを欠いているからである。この指摘から、さらに、ある動作の意味が反復・関連パターンによって社会的に付与されるものであるなら、その逆方向の仕方によって、つまり不随意運動を意図的に目的論的語として語りなおすことによって(おそらく初期の段階でそれが可能であるのは脳性麻痺当事者らであると思われるが)、随意運動と不随意運動の境界線を曖昧にし、結果的に不随意運動を社会的に特異なものでなくすことが可能であるかもしれないという示唆もなされた。不随意運動や随意運動といった概念区分は、健常者にとって用いやすいように構築された概念でしかなく、どちらも身体運動として本質的に異なるわけではないというこの指摘は、私にとって非常に興味深いものであり、今後、不随意運動と随意運動という語がどのように変化していくのか、その動向に注目していきたい次第である。

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最後に、NPO法人ノアール理事の熊篠慶彦氏を中心に「障害者の性」について語りの場が設けられた。この場は、発表という形ではなく、熊篠氏と会場との対話形式で進められた。そこで語られた内容はタイトルの通り「性」に関することであり、障害者の性にまつわる様々なトピックが熊篠氏や会場から発せられ、それについて意見の交換がなされた。たとえば、会場の当事者からは、快楽経験について、障害者であるが故に感じることができる快楽(ここで挙げられた一つの事例は、筋肉の緊張状態が緩んだ時に引き起こされる脳性麻痺者固有の快楽)にもっと目を向けてみてはといった意見や、「性」に関する障害者と介助者の関係についての意見などである。この対話形式による語りを通じて、一人称的視点による世界についての語りの魅力に改めて気づかされたように感じた。それは、いわゆる健常者の視点を通してしか知ることのできなかった世界に加え、障害者の視点を通して知る世界が加わることにより、世界についての理解が深まったように感じられたからである。当事者自身による語りや学術研究は、これまでの健常者による世界理解に更なる深化をもたらすものであるように思われ、その発展が今後大いに期待される次第である。

(報告者:西堤 優)

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