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【報告】ダグラス・ケアンズ教授講演会「Honour and Shame: Modern Controversies and Ancient Values」

2013.06.26 高田康成, 清水将吾

2013年5月31日、エディンバラ大学の古典学教授、ダグラス・ケアンズ氏による講演が開催された。講演の題目は、「名誉と恥辱-近代における論争と古代における価値」であった。

ケアンズ氏は、現代のわれわれの社会においても、名誉と恥辱の現象がたしかに存在すると指摘する。またそれゆえ、古代ギリシャ人にとっての名誉と恥辱は、われわれから切り離されたものとして研究されるべきではないと言う。すなわち、古代ギリシャ人の名誉と恥辱は、現代に生きるわれわれにとってもかかわりのあるものとして、研究されるべきだということである。

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ケアンズ氏によれば、名誉というものは、古代ギリシャの初期にあってすでに、複雑であり、動的であり、包括的なものであった。このことを、ケアンズ氏はホメロスへの言及を通じて示す。たとえば、『イリアス』において、アガメムノンとアキレスが口論をしている際、ネストルは彼らに対し、互いに相手のもっているものを敬うことを勧める。アガメムノンにはより高い地位があり、アキレスはよりよい戦士である。ネストルは、単一の基準を採用することを拒否し、アガメムノンとアキレスが互いに対して公正であるべきだと考えている。このことは、『イリアス』のなかで、名誉・公正さ・道徳が関連しあっていることを示している。

『イリアス』からのケアンズ氏の例をもう一つ紹介すると、プリアモスの懇願をアキレスが受諾する場面がある。プリアモスは、自分の息子の遺体を取り戻すよう、神々に命ぜられている。アキレスがプリアモスの懇願を受諾するのは、アキレスが、相互に敬意をもちあうということを理解しているからである。これにより、アキレスはゼウスから、栄誉、もしくは名誉を与えられる。ここでの名誉とは、男性的な競争といったようなことにかかわるようなものではなく、他の人間に対し、人間らしいことをするということにかかわっている。アキレスは、相手の側も、自分の側と同様、敬意を受けるに値すると見なしているのである。

アキレスとヘクトルは名誉を追い求めている。だが彼らは、名誉というものが、当初思われたよりも複雑なものだということに気づくに至る。共同体は英雄たちを評価し、英雄たちは共同体に義務を負っている。ホメロスにおける名誉とは、共同体の他の成員との交渉を含意するものなのである。

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ディスカッションでは、神々にとっての名誉、神々の計画、アリストテレスの徳、現代における「人間の尊厳」の概念など、非常に多岐にわたるトピックにまで話題が及んだ。議論は1時間を経てもなお活発で、質問とコメントの幅広さから見て、1時間ですら時間が足りないように思われた。このことは、ホメロスの「名誉」に対する現代の関心の高さを示しているように見えた。

(報告:清水将吾)

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