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【報告】記憶と身体シリーズ第1回「身体技法と文化様式」 矢田部英正氏講演とワークショップ

2013.05.31 内藤久義

2013年4月20日、「記憶と身体」シリーズ第1回目の講演とワークショップが、文化史家で日本身体文化研究所代表の矢田部英正さんによって、東京大学駒場キャンパス18号館1階メディアラボ2(講演)、駒場コミュニケーションプラザ身体運動実習室3(ワークショップ)で行われた。
矢田部さんは私たちの日常を取り巻く物質文化の様式を「身体技法」の視点から読み解き、日本人が古来育んできた美意識の起源をヨーロッパや東アジア諸国とも対比をしながら、文化の型を形づくる身体の役割について、身体技法と文化様式の観点から講演した。

「記憶と身体」シリーズは、私たちの身体には、近過去からはるか古代の記憶までが内在しているのではないかという推論のもと、現在の身体にその痕跡をさぐり、記憶と身体をテーマに3名の講演者がそれぞれ「身体技法」「身体音楽」「身体文化」をキーワードに、レクチャーとワークショップから明らかにしていくシリーズである。
今回の矢田部さんの「身体技法」のレクチャーには40名の聴衆者が参加し、まずミロのヴィーナスの図像から、西洋の美の基準と日本人の美意識に表象される身体感覚の差異について述べられた。

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矢田部さんは講演会に着物を着ていらした。着物を着ると、求めている身体が西洋と日本ではまったく別のところにあることに気づくという。西洋の服飾はギリシャ彫刻のトルソのように理想化された身体があって、そこに布を貼り合わせるようにして洋服ができていく。
西洋の美が目に見える肉体美を強調することであるのに対して、日本人の身体への美意識は、着物のように目に見える肉体は完全に覆いかくしてしまうが、そこには失われてしまうことのない存在の印象があり、矢田部さんは「たたずまいの美」と称する。
着物は紐で胴回りを締め上げる。そうすると下半身に意識は集中し上半身に力は集まらない。日本人はどうしてこのように腰を強固にする服飾様式を要求したのか。そこには古来から日本人が培ってきた美意識、身体技法があったのである。
図像の提示から矢田部さんは、稲作を行ってきた日本人は田植えのときに中腰で背中を曲げて苗を植えていることを指摘する。一見、腰に負担のかかる不自然な身体のように見えるが、太古から稲を植え続けてきた日本人が、自分たちの腰を守る道具や技法を生み出しこなかったわけはない。腰を締め負担を軽減する機能を持つ帯や袴の存在があったのである。

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第一次世界大戦において、フランスの兵士は塹壕の中で休息するとき、ぬかるんだ地面に直接尻をつけて座っていた事例を述べる。これに対してオーストラリアの兵士は尻を踵の上に乗せて座る蹲踞のような身体技法を持っており、ズボンを濡らさずに済んだのである。
フランスにおいて、ほとんどの子どもがしゃがむことができる。しかし、成長し大人になるにつれ、それができなくなる。ヨーロッパ社会はイスの生活。家庭や学校で地面や床に腰をおろすことはない。この生活習慣がしゃがむことのできない大人を作り出す。イスに座ることにくらべ、床にしゃがむには股関節を開き、膝・足首を深く曲げなければならない。イスの生活の中で股関節や膝・足首を曲げる習慣が失われると、関節の稼働域はどんどん狭くなり、関節が曲がらなくなる。フランスの社会学・文化人類学者のマルセル・モースは、子どもたちから、しゃがむという姿勢を取り上げることは、社会的に非常に間違っていると訴えたという。

日本においても、和式トイレを使えない子どもたちが増えている。足首が固くなっているからである。現在の学校には畳の部屋がない。日本家屋の障子から透過する陰影を体感できる空間がない。自分自身の身体のなかに、日本の文化を感じられるような感覚がないと、情報は活字と映像に限定され、日本の身体技法は再生産できなくなってしまうことを矢田部さんは指摘する。戦前の日本では多くの人々は日本家屋に住み着物を着ていた。そこには西洋の美の基準とは異なる、日本独自の美意識が作られてきたのである。
しかし、それによって作られて来た身体感覚は、学問的に表現しようとすると非常に難しい。矢田部さんは履いてきた草履の歩き方を例にとり、同じ日本の履物でありながら、草履には草履の歩き方、下駄には下駄の形状にかなった歩行方法があるが、そういった身体技法は記録にとどめておくことができにくい。それはある社会の中で受け継がれて来た伝統的な流儀、身体感覚の伝承であることを強調する。

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後半のワークショップは会場を駒場コミュニケーションプラザ身体運動実習室の畳敷きの部屋へ移し、「「中心感覚」の技術と思想」のタイトルでボディワークが行われた。
身体技法という視点から日本の歴史を遡っていくと、競技スポーツを主体とした近代体育とは別の文脈で、優れた身体文化が培われてきたことに気づく。それは、力の源を筋力に求めることをしない独特の思想であり、「骨(コツ)をつかむ」という成語はそうした古来の身体感覚を伝えている。実習では、日常生活に立脚した動きを通して、骨格の自然に適った動きの基礎を体験しながら、身体を統率する「中心感覚」の所在を確認することから始まった。
印象的なワークが、二人一組になり正坐をした人の背中をもう一人が体重をかけて押すというものである。上半身はリラックスしながら、下半身に意識を集中すると微動だにしない。これも中心感覚であり、「骨」なのであろう。
ワークショップに参加した人たちは、身体の中心感覚やその仕組み、呼吸を矢田部さんから実践的に指導を受け、身体がどのような稼働域を持ち、それがどういった場合に機能をするのかという身体技法を学んでいった。

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最後に矢田部さんは、現代の西洋化された文脈の中で、どうやってすぐれた日本の文化を再生させることができるのかと自問した。西洋に日本的なものがあり、日本に西洋的なものがある。この重なっている領域をこれから追求していくことが大切であると結んだ。

報告:内藤久義(UTCP)

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