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【報告】Jakob Hohwy 連続講演会報告(前半)

2013.03.06 信原幸弘, 林禅之, 飯島和樹

予測する心。これが今回の連続講演会のテーマだった。脳はとにかくまず予測する。世界がどうなっているのかを。しかし、ただ予測するだけではなく、世界から与えられる感覚入力と予測とのずれ(誤差)を計算して、その誤差を最小化しようとする。そうやって世界の正しい表象に到達しようとするのだ。この「予測誤差最小化モデル」はじつに野心的である。それでもって心に関わるいっさいの現象を説明しようというのだ。

知覚も、信念も、欲求も、さらには、感情も、行為も、注意も、意識も説明してしまう。それどころか、予測誤差最小化メカニズムの何らかの異常・変調として、自閉症や統合失調症などの精神疾患も説明してしまう。じつに包括的なモデルである。もちろん、それだけに課題も多い。しかし、魅力的な課題を次々と惹起することもまた、この野心的なモデルの魅力のひとつだ。心に関するこれだけ包括的なモデルの出現を喜ぶとともに、今後のさらなる発展を期待したい。

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第1回 (2013.2.12)
信原幸弘
初回は、予測誤差最小化モデルの基本的な解説が行われるとともに、さっそくこのモデルをバインディングの問題と認知的侵入可能性/不可能性の問題に適用して、その威力の一端が示された。とくに認知的侵入可能性/不可能性の議論は、なかなか深みがあって、意義深かった。水に入れた棒は、たとえまっすぐだと思っていても、曲がってみえる。まっすぐだという信念は棒が曲がってみえるという視覚を変えることができない。このような事例から、従来、知覚に対する信念の認知的侵入不可能性が唱えられた。しかし、その一方で、信念が知覚のあり方を変える場合もある。二つのアヒル-ウサギの反転図形を互いに向かい合わせて見せたとき、ふつうどちらもウサギに見えるか、あるいはどちらもアヒルに見える。しかし、アヒルがウサギを食べようとしていると思って見ると、一方がウサギで他方がアヒルに見えてくる。これはじつに印象深い。どうやら、信念が知覚に侵入可能かどうかは、信念の内容が知覚の内容とうまくかみ合うくらい具体的かどうかにかかっているようである。信念の内容が抽象的だと、知覚の具体的な内容とかみ合わず、信念の内容を予測として提示しても、信念通りの知覚を生成することができない。なるほどである。

吉岡悠平
初回は、“The predictive mind and perception”というタイトルで行われ、おおよそ30名ほどの方が参加した。本講演では、まずHohwyさんの提唱する知覚の予測誤差最最小化理論の概要が説明され、次にその理論が結合問題をはじめとする知覚心理学上の問題にどのような解決を与えるかが説明された。予測誤差最小化理論とは簡単に言えばベイズ主義的な知覚論であり、我々が世界に対してもっている事前信念と感覚入力との誤差の最小化によって最適な知覚のあり方が決定されるという理論である。初日ということもあり本講演では理論の概要を提示するにとどまったが、ディスカッションでは活発な質疑応答が交わされた。私は「予測最小化理論は感覚間促進をいかに説明するか」という質問をしたが、感覚間促進は予測最小化理論を裏付けるような現象であるということを丁寧に説明していただいた。大変有意義な講演をしていただいたことに対し、この場を借りてHohwy さんにお礼申し上げたい。

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第2回 (2013.2.13)
飯島和樹
この回の講義は,予測誤差最小化 (PEM) 枠組みの中でも重要な位置を占める,精度最適化 (precision optimization) を中心的テーマとして扱った.脳は単に入力に基づいて外界を予測しているのみならず,その入力の精度まで含めて評価を行っていると考えるのである.これは,(外界の予測そのものを一階とすると)二階のパラメーターの最適化の問題である.こうした二階のパラメーターの個人差を考えることで,知覚と行為の関係を統一的に捉えることができるのが,PEM の強みだと Hohwy 氏は述べる.ここまでで PEM の基本的な道具立ては出揃ったことになる.最後に,Hohwy 氏は,PEM が,選言問題,「規則の順守」,(心的)表象,「中国語の部屋」といった従来の哲学的難問に対して,経験的な側面から回答を与えることができると述べた.
この日の特定質問者は脳機能イメージングによる言語神経科学を専門とする飯島が務めた.飯島は,PEM は,人間の言語の統辞処理に必要な弱文脈依存文法の計算力を実現できないのではないかという疑問を述べた.また,質問者自身の脳機能イメージングのデータも交えながら,PEM はマクロレベルの神経活動や行動との関連を説明する linking hypothesis を備えていないため,個体の認知・行動へと直接適用するのは難しいのではないかという指摘を行った.これに対して,Hohwy 氏は,計算力の問題については未解決ではあるが,任意の文法モデルを PEM に組み込むことはできると説明した.また,最後の問題については,確かにニューロン・レベルのモデルとマクロなレベルのデータとを結ぶ研究が必要であると応え,そうした萌芽的な研究 (Maier et al. 2011) を紹介して応答した.
Hohwy氏の講義は直観的に理解することが難しい精度最適化をシンプルに説明するものであり,その統一的な説明のもつ魅力がよく伝わるものだった.一方で,統辞処理のように,現状ではシンプルに説明できない現象も数多くある.特に,任意の諸モデルからの選択として学習を定式化することで,任意の既存の理論を PEM と一致させることは可能であるが,それ自体に脳や認知のメカニズムの説明としての利点があるわけではないことは,注意しておく必要があるだろう.しかし,このような統合的なフレームワークが整備されつつあることは,神経レベルから行動までの諸知見を共通言語で記述できるようになる可能性を期待させる.こうした基盤のもとに,さらに旧来の哲学的問題に取り組むことができるならば,PEM は,哲学の自然化における,ひとつの理想的な事例となる潜在力を秘めているといえるだろう.

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第3回 (2013.2.15)
高江可奈子
この回では、Prediction Error Minimizationの枠組みを通して自閉症と統合失調症を包括的に説明するという試みを検討した。私が行った特定質問は、Prediction Error Minimizationの核となる「錯覚(illusion)と妄想(delusion)は本質的には類似した現象である」という主張に関するものであった。錯覚と妄想は、どちらも認知的に侵入不可能であるという点で共通している。例えば、ミュラー・リヤー錯視では、上下の矢印が同じ長さであるとわかっていても、異なる長さに見えてしまう。同様に、ラバーバンド錯覚を用いた実験では、実験の内容を理解し、かつ常識ではあり得ないとわかっていながらも、通常の人間がそれに反するような妄想を抱くという結果が出ている。これらの例は、まさに錯覚と妄想が認知的侵入不可能性という点において同じ現象であることを示している。
しかし、2つの矢印が異なる長さに見えてしまうことと超能力や黒魔術といったものを信じ込んでしまうことは、後者が非合理的であるという点で決定的に異なるように思われる。これに対し、Hohwy教授は、妄想を抱くことも合理的な反応として理解できると主張した。今までとは違う感覚データを受け取った場合、脳はその予測誤差を最小にすることを最優先にする。つまり、どんなに奇妙な妄想を抱くことになったとしても、それが誤差を最小にするための帰結であるならば、合理的な反応と言えるのである。
以上が私の特定質問に対するHohwy教授の答えであった。このやり取りを通して、興味深かったのは、Prediction Error Minimizationによると、世界がどうあるのかという真偽に関わる部分を正しく認識できるかどうかは脳にとって本質的ではない、という点である。しかし、長期的に見れば、その妄想が他の諸信念と整合的でないという部分は無視できないものとなってくる。それでもなお、統合失調症の患者は頑なに妄想を保持し続ける。これは、錯覚とは異なる、妄想の非合理的側面と言えるのではないだろうか。もちろん、短期的視点と長期的視点に分け、短期的には誤差を最小化するので合理的であると主張することはできるかもしれない。だが、統合失調症に見られる妄想の特徴の1つは、その妄想に対する異常なまでの執着心であり、この点は予測誤差に基づいて合理的に説明することは難しいように思われる。つまり、短期的に見れば、錯覚と妄想は類似した現象として理解できるかもしれないが、長期的に見た場合に両者のアナロジーがどこまで通用するのかはさらなる検討の余地が必要であると感じた。

林禅之
“Illness and the predictive mind”というタイトルで講演が行われた。その内容は、予測誤差最小化の理論を応用して自閉症と統合失調症(とりわけその症状の1つである妄想)の説明を行うというものだ。予測誤差最小化の理論によればそれらは、世界について行うトップダウンの予測(=先行信念)と、世界の側から送られてくるボトムアップの予測誤差(=予測から外れた感覚入力)のバランスの崩壊によって説明できる。予測が恒常的に過剰になると「内的世界に囚われてしまう」(統合失調症)が、その一方で、予測誤差が恒常的に過剰になると「感覚の奴隷」になってしまう(自閉症)。
このように、同一メカニズムの両極端によって統合失調症と自閉症を説明しようとするならば、両者の疾患が同時に生じた場合をどのように説明するのかという疑問が当然生じる。この疑問に対するHohwyの回答は、予測誤差最小化メカニズムの階層性に訴える仕方でおそらく説明できるであろうというものであった。しかし、とくに統合失調症は非常に複雑なあり方をしているということもあり、現状ではまだ示唆的なことが述べられるにとどまった。

後半につづく】

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