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パリ出張報告(1)国際シンポジウム「カタストロフィの哲学」

2013.03.28 小林康夫, 星野太, 西山雄二

2013年3月15日(金)・16日(土)に、パリで国際シンポジウム「カタストロフィの哲学」が開催された。本シンポジウムは、西山雄二(首都大学東京/国際哲学コレージュ)とジゼル・ベルクマン(国際哲学コレージュ)の両氏を中心に、首都大学東京、国際哲学コレージュ(CIPh)、東京大学・共生のための国際哲学研究センター(UTCP)、パリ日本文化会館(MCJP)の共催によって行なわれたものである。

3月15日(金)

第1日目のシンポジウムは、パリ国際学生都市のメゾン・ハインリッヒ・ハイネ(ドイツ館)で開催された。この日は、左古輝人(首都大学東京)、綾部真雄(首都大学東京)、藤田尚志(九州産業大学)、マイク・ホランド(オックスフォード大学)、アラン=マルク・リュー(リヨン第3大学)の各氏が登壇し、約5時間にわたる濃密な議論が行なわれた。

仏語・日本語の通訳を交えつつ、主に英語で行なわれた前半のセッションでは、左古氏が”Capital, Market, Surplus”と題した発表を行ない、福島の原発事故をもたらした日本の社会状況について、主に経済学的・社会学的な観点から分析を行なった。また綾部氏は”Predicament of “Black Sheep”: Oneness on the Verge of Erosive Catastrophe”と題された発表において、タイ北部の山地民リスが陥った窮状を「侵食的なカタストロフィ(Erosive Catastrophe)」と名づけ、その窮状から脱するため処方箋までをも含めた具体的な事例を文化人類学者としての立場から提示した。

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仏語で行なわれた後半のセッションでは、藤田尚志、マイク・ホランド、アラン=マルク・リューの各氏が、それぞれの立場から「カタストロフィ」をめぐる哲学的な視座を提示した。藤田氏はニーチェ、ベルクソン、レヴィナスの議論を、ホランド氏はユゴーやブランショの議論を援用しつつ、それぞれカタストロフィにおける「記憶」と「系譜学」の問題を扱った。リュー氏は、福島の原発事故以後の日本が抱える「カタストロフィ」の問題を正面から扱いつつ、とりわけ「リスク」と「信頼」に焦点を当てた発表を行なった。

3月16日(土)

第2日目のシンポジウムは、エッフェル塔付近のパリ日本文化会館で開催された。当日は事前予約で座席がすべて埋まるほどの盛況を見せ、150人前後の聴衆を前に極めて熱気に満ちた議論が交わされた。

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この日のセッションでは、前半で西山雄二とジゼル・ベルクマンの両氏が発表を行なった。西山氏は、「カタストロフィを前にした人文学の誠実さ——尽き果てることなきものへ」と題された発表において、古代ギリシアにおける演劇用語としての「カタストロフェー(転覆・反転)」——「カタストロフィ」の語源——から議論を起こしつつ、ヴォルテールの『カンディード』、デュラスの『ヒロシマ・モナムール』、カミュの『ペスト』、園子温の「数」、その他ドゥギー、ナンシー、デュピュイらによるさまざまなテクストを参照しながら、2011年に日本を襲った「三重のカタストロフィ」——地震・津波・原発事故——を多角的に論じた。なかでも強調されていたのは、このようなカタストロフィを前にした「人文学の誠実さ」とは何か、という問題である。「誠実さ」とは、カミュの『ペスト』に登場する医師リウーの言葉であり、そこで彼は、ペストと闘う唯一の方法は「誠実さ(l’honnêteté)」であると述べる。今回の「三重のカタストロフィ」の犠牲者たち、なかでも津波によって生と死のあいだに宙吊りにされた多くの行方不明者たちと、原発事故の周辺地域に取り残され餓死した人たち——および動物たち——の存在は、自然の猛威と科学技術の悲劇によって生じた世界の裂け目を、すなわち生と死のあいだの空虚な間隙を露呈させる。そうした死者たちの視線に敏感であるという倫理を保つこと——そこからようやく「尽き果てることなきもの」(ドゥギー)への喪の作業が始まるのだ、と述べられたところで発表は締めくくられた。

ベルクマン氏の発表のタイトルである“Detruire Detruire”(「ぶっ潰すぶっ潰す——日本のカタストロフィの事後」)という言葉は、和合亮一の詩から取られたものである。ベルクマン氏の発表は、フランスで震災・津波・原発事故の報道に接し、その後連続講演のために訪れた日本で破局の爪痕を目にした自身の経験に基づくものだった。性急な分析や断言を慎重に避けながら、破局をめぐる自身の記憶を再構成しつつ語られた言葉は、まさしく先の西山氏が「誠実さ」と述べた思考の動きを実演したものであるという印象を受けた。ベルクマン氏の議論は、ナンシーの『破局の等価性』、ドゥギーの『世界における終わり』、ブランショの『災厄のエクリチュール』などを参照しつつ、自身が東北地方で書き留めたメモを適宜引用する形式で進行した。最後にベルクマン氏は、ツイートを通じて発表された和合亮一の詩の特異性——圧縮による断片化と時間の秩序の再構成——に触れつつそれを結論部において提示していたが、カタストロフィをめぐる思弁と自身の経験を再構成しつつなされた彼女の発表じたいが、そこで述べられている議論を行為遂行的に示していたと言えるだろう。

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二人の発表につづいて、小林康夫、ミシェル・ドゥギー、ジャン=リュック・ナンシーの各氏が応答を行なうかたちでシンポジウムの後半は進行した。とはいえ三者のコメントは、その前の発表に対する応答というよりも、それぞれ異なる立場から2011年のカタストロフィについての思考を提示するものであったことを言い添えておこう。小林氏は、震災が生じたそのまさに翌日に(以前から予定されていたシンポジウムのために)フランスへ出発したという自身の経験について語り、その機上で体感した〈日本——あるいは大地、世界——を見捨てた〉という感覚について語った(この点については、小林康夫『存在のカタストロフィー』[未來社、2012年、166-168ページ]も参照のこと)。また、ドゥギー氏は震災後に書かれた自身の詩「マグニチュード」(Écologiques, Hermann, 2012)を朗読し、その後ナンシー氏とともに、それぞれの立場から日本を襲ったカタストロフィについてコメントを加えた。

以上、両日のシンポジウムの内容をやや駆け足で要約してきたが、最後にこのシンポジウムの副題に触れておきたい。今回の「カタストロフィの哲学」には”repenser les Humanités après Fukushima”という副題が沿えられている。”humanité”とは通常もちろん「人間性」のことであるが、複数形・大文字で記されたその言葉は、何よりも「人文学」を意味している。シンポジウムの内外において、企画者の西山氏は震災後に人文学がなしうることを繰り返し問いかけていた。震災後、とりわけ原発事故によって科学者の責任がさかんに問われるようになったが、対する哲学や文学の営為に対しては、しばしばその無力さを主張するだけの否定的な視線が投げかけられてきた。この副題に込められているのは、こうした冷ややかな視線に対して人文学がいかなる応答をなしうるかという問いかけでもあるだろう。

カタストロフィは、まさに「人間(humanité)」に対して決定的な打撃を与えるだけに、「人文学(Humanités)」に対しても多大な影響を及ぼさざるをえない。今回のシンポジウムでは、たんにカタストロフィのあとで人文学そのものを「問い直す」のみならず、そこで人文学がいかなる貢献をなしうるかという問題が終始突きつけられていたと言える。ふたたびカミュの『ペスト』に立ち戻るならば、それはおそらく「誠実さ」、すなわち「自分の職務を果たすこと」にほかならないのだろう。とはいえ同時に、その「職務」の内実が何であるかということは、もはや以前ほど自明ではありえない。おそらく人文学に携わる人間に問われているのは、その土台を揺るがされ、無力さを突きつけられたところから、ふたたび人文学を再起動することである。

報告:星野 太(UTCP)

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