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梶谷真司「邂逅の記録32: P4E(Philosophy for Everyone)への道(3)」

2012.12.16 梶谷真司, Philosophy for Everyone

《漠然とした確信》

就活の書類づくりの手伝いという、限られた学生との経験を積み重ねていたころ、もっと大きな、大学全体に関わることが起きていた。当時、全国の大学では、「初年次教育」なるものが導入され、その内容について議論されていた。初年次教育の趣旨は、大きく分けて3つある。1つ目は、高校から大学での学生生活への移行をスムーズにすること、2つ目はレポートの書き方のようなアカデミック・リテラシーを身につけさせること、そして3つ目が大学卒業後の就職への意識を高めること、である。
こうした流れに対応して、T大学でも、それに該当する科目名を「文章表現演習」から「ライフデザイン演習」に変えた。個人的にはこの新しい名称は、けっこういいと思っていた。趣旨をよく表している。大学生活から就職、さらにはその後の人生まで視野に入っている感じがする。しかし、ほとんどの教員の間でこの新しい科目名への変更は──容易に想像しうることだが──大いなる不評を買った(どんな変化であれ、変化は変化だという理由だけで反対されるものだ)。反発、嘲笑、困惑を引き起こし、「無意味だ」「中身が分からない」「アリバイ作りにすぎない」という、いかにもありがちな言葉を誘発した。「どうすればいいんだ?」と途方に暮れるのは、むしろ率直で誠実な反応だろう。
そもそも教員の中には、会社で働いたことがなく、したがって就職活動をしたことがない人が多い(私もそうだ)。つまり、普通の意味では社会人ではない(社会人とは会社人のことだ)。そういう人間に就活に役立つことを教えろというほうが無茶である。そこで困った教員は、何とかそれらしいこと、例えばSPIの問題演習のような、一種の試験対策をする。本人自身、勉強と言えば受験勉強しか思い浮かばないのだろう。あまりに芸はないが、これはまだいいほうだ。多くの教員は、何事もなかったかのようにこの変化を無視して、従来通りレポートの書き方や、それ以前のステップとして、新聞記事の要約をさせたりしていた。結局はそれが社会に出た時にも役に立つんだ、という論理で正当化しながら。
しかし私には、名前の良し悪しはともかく、「初年次教育」なり「ライフデザイン」は、理念としては非常に大事なものを提示しているように思えた。上で述べたように、1つ目の趣旨は、大学生活へのオリエンテーション的なことなのだが、これはやってあげれば親切という程度のことだ。重要なのは2つ目と3つ目であるが、問題は、レポートや論文の書き方と、就活の準備と書類づくりの折り合いをどうやってつけるかである。
これら二つのことは、一般には別のことだと考えられている(もちろんいずれも「社会人」として必要なこと、という説明はされる)。一方が、章立ての仕方や、文献の調べ方、注の作り方、事実と意見の区別など、他方は、企業研究や履歴書の書き方、マナーや一般常識など、という具合に、かなり違っている。大学教員にとっては、前者のアカデミック・リテラシーのほうが慣れているので、こちらに逃げたくなる気持ちは分かる。だが、ここで挙げたようなことはすべてテクニカルなことで、表面的なことにすぎない。根本においては、この二つは共通しているはずだ──私にはそういう“漠然とした確信”のような感覚があった。しかし当時はまだ、それをどのように関連づければいいのか分からなかった。
それでもいろいろ試行錯誤して教える傍ら、何かいい参考文献がないか探していて、一冊の本に出会った。山田ズーニーという風変わりな名前の女性が書いた『伝わる・揺さぶる!文章を書く』(PHP選書)である。

(続く)

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