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【UTCP on the Road】池田喬

2012.04.03 池田喬, UTCP on the Road

 私の好きなドイツ語に「シュピールラオム(Spielraum)」というものがあります。シュピールラオムとは、文字通りに訳せば、「空き地・遊びの空間(playground)」であり、「自由の余地」を意味することができる語です。特任研究員として二年間所属したUTCPでの「研究」の日々は−−−−それを一言で表すとすれば−−−この意味で「自由」でした。

 研究とは、問いを立て、答えを探るプロセスです。このプロセスの中には驚きや挫折があり、一からやり直す必要があることもあれば予想外の飛躍的進展を見せることもあります。研究とは、人生と同様に、本来ドラマティックなものなのだと思います。
 予想を裏切るドラマが生まれるためには、失敗や挫折を許容する余裕がなくてはなりません。「研究」においては、世界に生じる無数の出来事に無垢な疑問を抱くことが許されていなくてはなりません。それどころか、特に「哲学的」研究の場合には、世界に投げ出されて間もない子どもが発するような素朴な問いを手放さないこと、これこそが肝心なのだと思います。
 子どもは、「死んだらどうなるの」とか「世界はどこまであるの」とか、おおまかにいって哲学的な、形而上学的な問いを立てるものです。しかしこれに明確な答えを与えられる大人はそうはいない−−−−おそらくはまったくいません。たいていの場合、「そんなことに拘ってないで、早く学校に行かないと遅れるよ」とせかされながら、子どもは根本的な疑問をもつこと自体を断念しつつ大人の一部になっていくように見えます。
 研究の場とは、本来、空き地で道草をする時のように、本質的にゆっくりとした時間が流れるべき場所であり、「自由」な問いと思考が飛び交う場所だと思います。それは子どもの頃に帰る場所だ、というのは多分正確ではないでしょう。むしろ、子どもの頃に望んでも手にできなかった思考と会話を取り戻す場所なのでしょう。そういう過去の取り戻しを試みながら大人になることが許される社会、そのような場所を公的空間に創設できる社会は、それが許されない社会よりも、ただそれが許されるというだけの理由で良い。そう思います。
 UTCPの活動は、大学を中心とするアカデミック界の一部ですが、公開イベントには大学内外から多様な人が集まります。しかし、アカデミック界の一部といっても学会のように個人の研究に権威付けをする機関ではないし、また、公開イベントであっても集客を課題とした営利活動でもありません。この大学と生活世界の間に、まるで中心部と住宅街の間の空き地のような「余地」があったのです。
 UTCPで私は、哲学者、他分野の研究者、多様な背景をもつ市民が語り合う場を何度も目撃し、そこに参加しました。このような「共生のための哲学」が存在したことは歴史的な出来事として記憶されるべきものでしょう。繰り返せば、そのような自由の場がある社会は、それがない社会よりも良いからであり、その意味で、社会的な出来事だからです(このように強調したくなる背景に、集会の自由を保障されているはずの公園というシュピールラオムをますます縮小する社会への異議があることを一応付け加えておきます)。
 欲を言えば、もっとこの時間が続いて欲しかったと思います。二年間で、空き地での遊び方がわかった頃に引っ越しするかのような名残惜しさがあります。しかし、無期限のゲームは退屈にもなるでしょう。UTCPは新しい時代に入ります。私は新しい勤務先に移ります。UTCPでの記憶を、どこからでも哲学の未来につなげたい。いや、つなげていきましょう。

池田喬のUTCPでの活動履歴→こちら

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