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【報告】「近代東アジアのエクリチュールと思考」2011年度第10回セミナー(報告最終回)

2012.02.24 └セミナー, 齋藤希史, 柳忠熙, 近代東アジアのエクリチュールと思考

中期教育プログラム「近代東アジアのエクリチュールと思考」のセミナー2011年度第10回目(最終回)は「義太夫調査書の内容とその周辺」と題し、川下俊文氏(発表者:比較・修士課程)、柳忠熙氏(ディスカッサント:比較・博士課程、UTCP)を中心に行われた。(発表の部:1月13日、討論の部:1月20日)

【テキスト1】徳島県教育会『義太夫調査書』(大正2年7月)
【テキスト2】川北雅子『徳島県教育会の義太夫に関する教育思想―『義太夫調査書』(1913)を中心に』『教育実践学論集』第12号(兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科刊、2011年3月)

◆発表の部(1月13日):川下俊文氏は、徳島県教育会によって大正2年に三回にわたって刊行された『義太夫調査書』に注目し、義太夫の分類と評語から読み取れる編纂の意図について発表した。三種類の『義太夫調査書』には、大きく四つの種類で義太夫が分類されている。この分類はそれぞれの演目が民風の改良に有用であるかどうかに基づいて行われた。「忠」「孝」「貞節」のような風俗改良に適する「徳目」として認められる演目は高く評価された。一方、「性愛」「花柳界の描写」のような民風に害を与えうる「悪徳」として判断される演目は低く評価された。
 「民風改良」への意図が反映された『義太夫調査書』から、天皇を頂点とする近代国民国家の形成との関連性を読み取ることができる、という。例えば、『義太夫調査書』には「忠」と「義理」に基づいた「武士道」と「大和魂」の言説が前面化されており、国家への忠誠を強調する様子がうかがえる。しかし、『義太夫調査書』の「国家への忠誠の強調」は、単にナショナリズム的な行為として捉えられるものではなく、当時の義太夫が民衆の「娯楽」の場から姿を消しつつあった状況と、徳島県の義太夫愛好者らが持つ義太夫を生存させたいという願望が日本政府の意図と符合したことにも注意しておく必要がある、という。
 川下氏の発表について以下のようなコメントと質問が出た。まず、『義太夫調査書』に関わった教育会の人物の学問的な背景について質問が出た。次に、「民風改良」を掲げた『義太夫調査書』についての反応には、賛同と反対の声が共存しており、その反対する理由についての質問があった。そして、『義太夫調査書』編纂が徳島の義太夫文化を出発点としており、当時の地方の人々が持つ自分たちの地方文化への意識、つまり「ローカリティ」の問題に注目すべきであるというコメントがあった。最後に、『義太夫調査書』の評語から、人情と義理との葛藤が存在するとき、人情を捨てて義理を選ぶという考え方が読み取れる。この論理は「大和魂」と称されており、こうした論理に基づいた「大和魂」概念の形成に注目すべきであるというコメントもあった。

◆討論の部(1月20日):討論部は、ディスカッサントである柳忠熙氏のコメントと質問から始まった。
 まず『義太夫調査書』編纂をめぐる歴史的な背景について質問した。明治44年から大正2年まで設置された「通俗教育調査委員会」について述べた。この調査会は、日露戦争以後、発生した不穏な思想の現象を防ぐため、民風改良を目的として設置され、全日本の風俗を調べ、地方の現状を把握しようとした試みだった、という。徳島県教育会の『義太夫調査書』の編纂は、まさにこの中央教育の動きに応じることだった、という。徳島の教育界における義太夫の愛好家たちの「義太夫への愛」が編纂の一要因になったことは否定できないものの、現実的な理由は「人民の改良」という日本の教育システムの変化にあったのではないかという意見を述べた。
 そして、通俗教育調査委員会による全日本の風俗実態調査の問題を「中央」と「地方」という図式で考えれば、1910年の朝鮮併合も考える必要がある、という。朝鮮総督府は、朝鮮の植民地化と同時に、朝鮮の風俗・文化を調査する「旧慣制度調査」を行った。もちろんこの調査は、植民地統治を目的とするもので、日本国内の通俗教育調査とは性格が異なると言えるかもしれない。しかし、時期が重なっている点に加えて考えるべきなのは、朝鮮の植民地化は日本の「地方」として朝鮮が編入されたことを意味し、日本にとって1910年代初め頃は、「地方の再編成期」にもなるからである。日本政府は、新たな地方システムを管理する試みとして「通俗教育調査」を行ったと考えられ、徳島県教育会の『義太夫調査書』の編纂は、こうした地方システムの再編成という背景に絡み合っているのではないか、と質問した。
 川下氏は、柳氏のコメントと質問に対し、まず今回の発表が『義太夫調査書』の評語と分類基準の仕方のような内容に注目して論じたものであると述べた。『義太夫調査書』をめぐる外的背景については、これからの課題とするという。
 そして、植民地朝鮮における義太夫の興行についても述べた。日本人居住地を中心に義太夫と浪花節の興行が盛んに行われた、という。この問題についてもこれから取り組んでみたいと述べ、討論部を結んだ。

(文責:柳忠熙)

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