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【報告】ワークショップ「ピラネージの建築空間を遊歩する:『幻想の牢獄』3D映像化の試み」

2012.01.22 小澤京子, イメージ研究の再構築

2012年1月10日、映像作家のグレゴワール・デュポン(Gregoire Dupond)氏を迎え、ワークショップ「ピラネージの建築空間を遊歩する:『幻想の牢獄』3D映像化の試み」が開催された。

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【プレゼンテーションを行うデュポン氏】

デュポン氏はフランス出身、現在はスペインの Factum Arte社で、文化遺産の高解像度な写真撮影とそのデータ処理を手掛ける。3Dやアニメーションを使用したアート作品展示技術の開発も手掛けており、これまでにアニッシュ・カプーア、マーク・クイン、ピーター・グリーナウェイらとコラボレートしてきた。

今回の主題である3DCG映像「幻想の牢獄(原題:Carceri d'invenzione)」は、ピラネージによる同題の版画集(1761年初版)を元に、デュポン氏が作成したものである。2010年にヴェネツィアで開催されたピラネージ展で展示され、今後はバルセロナ、マドリード、アメリカを巡回の予定である。

このワークショップのきっかけは、デュポン氏側からの突然のメールから始まった――日本滞在に際して、手掛けたピラネージ映像の上映の機会を探している、と。ピラネージ一流の「空間詐術」による巧妙な構成により、三次元化は不可能とされてきた『幻想の牢獄』を、果たしていかにして「3D」化するというのだろうか。これは是非お話を訊いてみたいと思った。二次元だからこそ成立していたように思われるピラネージ特有の「幻想」や「カプリッチョ」を、3Dに移行させることの困難やその解決策について、映像制作の現場から語って頂くことで、ピラネージの空間構成に対する一解釈を提示しうるのではないだろうか――これが、本ワークショップの企画意図であった。

デュポン氏はまず、エッチング(腐食銅版画)16枚から成る版画集から、いかに「時間的・空間的シークエンスとしての映像」を作成したのか、技術的な面も噛み砕きながら説明してくださった。

Piranesi: Carceri d'invenzione from factum-arte on Vimeo.


【デュポン氏作成の映像『幻想の牢獄』】

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【専用ソフトを用いた画像分析と映像制作についての説明】

「不可能な空間(impossible space)」を、いかに一見すると連続的で破綻のない空間として映像化するか。デュポン氏が導き出した解は、特定の「カメラ・アイ」からの視野のみを映像化し、視点移動のプロセスとして牢獄空間のシークエンスを描き出す、というものであった。ピラネージによる図面から、まず透視図法上の消失線を確定し、仮想上のカメラ位置と焦点距離を設定、目印となる要素を参考に距離やサイズを算出していくのである。専用のソフトを用いた作画プロセスを解説して頂いたが、そこでの「カメラ・アイによる視野」は、 ルネサンス期の画家・建築家・芸術理論家レオン・バッティスタ・アルベルティらが説いたのと同様の「視覚のピラミッド」である点もまた印象に残った。

一点の視座からの移動という体裁を採ることで、観者の視点はカメラ・アイとほぼ一致しつつ、映像を眼差すこととなる。ピラネージによる「空間詐術」の代表的なものは、例えばアーチと柱の接合角度の矛盾であるが、デュポン氏は視座移動によってこの破綻が露呈するのを避けるため、途中でさりげなくアーチの角度を回転させるという裏技を用いている。このような部分を「視覚のピラミッド」の周縁部に配することで、そのさりげない「誤摩化し」をそれと分からせないという仕組みである。

私がとりわけ知りたいと思っていたのは、『幻想の牢獄』中の図版IXをいかに処理するかであった。マンフレード・タフーリは『球と迷宮』の中のピラネージ論で、この図版について次のように述べている。すなわち、「『外部』と見えたものが実は『内部』であり…観る者もまた。巨大な楕円の連なりによって形成される構造の中に、取り込まれていることに気づく」(Manfredo Tafuri, La sfera e il labirinto, Torino: Giulio Einadi editore, 1980, pp. 34–35.)と。デュポン氏の映像では、問題の巨大な開口部に視点が近づき通り過ぎる段階になると、楕円形の窓枠と見えた構造物は、中空に吊るされた車輪状の構造体へと姿を変える。これもまた、空間詐術的な趣向の一環に他ならない。

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【ピラネージ『幻想の牢獄』図版IX】

この映像で目を惹く要素としては、半透明の紙で出来ているかのような人物像も挙げられよう。冒頭、空中に架かる橋を歩いてくる小さな人影以外は、人物はまったく動かず、書割のように静止している。技術的にはリアルに肉付けすることも可能だが、意図的に薄っぺらく「亡霊」のように描いた、とデュポン氏は言う。かつてマルグリット・ユルスナールは、ピラネージによる『幻想の牢獄』内に描かれた人物像を「人間蟻」と呼んだ。デュポン氏による人物像の特殊な処理もまた、迷宮じみた巨大な牢獄の中を仮想的に彷徨う観者の孤独感と、世間から隔絶された「囚われの身」であるという感覚を亢めることに貢献しているであろう。

ピラネージの画面構成においては、複数の光源が存在しており、その位置関係も複雑である。この問題に対してデュポン氏は、光を投影するのではなく、陰影を加えることで明暗を表現したと言う。

具体的な説明を受けるうちに、デュポン氏による映像の制作プロセスには、ピラネージによる創作と共振する点がいくつか潜んでいることに気付かされた。すなわち、事物ごとの「固有の」テクスチャーを丹念に探求し再現する手つきは、陰影のハッチング表現に神経症的な細やかさをみせたピラネージと似ている。柱、梁、階段、拷問器具といった画中の個々の要素を、Photoshopのレイヤー構造を利用して重ねてゆくという隠された重層性は、特に『幻想の牢獄』において顕著であった、銅版への加刻プロセスが潜在させているマルチ・レイヤー構造と通じている。また、本来は空間的・時間的に不連続な断片の間に滑らかなシークエンスを偽造している――別個の牢獄空間を描いた版画どうしを、デュポン氏はPhotoshopを用いて巧みに連結させている――という点は、ピラネージが例えば『古代ローマのカンプス・マルティウス』(1762年)において、古代帝国時代の大地図を「復元」する際に用いた手法と通底し合うのではないだろうか。

仮想的なカメラ・アイから捉えられた空間には、時折急激なズーム・イン、ズーム・アウトが加えられ、観ている者の感覚も撹乱されて、眩暈のようなものに陥る。映像の終盤は、ピラネージによるエッチングの特徴でもある漆黒のハッチングの増殖によって視界が埋め尽くされ、ブラックアウトして終わる。コールリッジやド・クィンシー、ミュッセといったロマン主義の文学者たちは、ピラネージによる牢獄空間を「夢」と形容した。ピラネージのinvenzioneに現代のデュポン氏がさらに付け加えた「創意」は、このような「夢」(ないし阿片吸引によって得られる酩酊)の感覚を、さらに強化しているように思われた。

デュポン氏は様々な解釈や「創意工夫」を加えることで、ピラネージが二次元上に築いた牢獄を、巧みに3D映像に仕立て上げている。その映像作成の過程を辿ることで、ピラネージによる牢獄空間が持つ特異性が逆照射されてくる――今回のワークショップでは、そのような幸福な邂逅が遂げられたと思う。

当日は、会場のメディアラボが満席になるほどの来場者に恵まれた。ピラネージ研究の第一人者である岡田哲史さん(建築家・千葉大学教授)も、多忙の合間を縫って駆けつけてくださった。実り多いワークショップとなったことに、この場を借りて感謝を申し上げたい。
(小澤京子)

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