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【UTCP Juventus Afterward】高榮蘭

2011.09.20 高榮蘭, UTCP Juventus Afterward

UTCPを巣立って新天地で活躍されている六名の方にUTCP Juventus特別篇としてブログ執筆をお願いしました。題して、UTCP Juventus Afterwardです。4回目は高榮蘭さん(日本近代文学)です。

UTCPには、特任研究員として、2007年10月から2009年9月まで在籍していた。2010年4月から、日本大学文理学部国文学科で働いている。UTCPでの活動については、こちらを参照していただければ幸いである。

2007年11月に日本での在留資格が切れることになっていた私にとって、UTCPからの採用連絡は、在留資格の取得を意味していた。これは、採用面接の際にお話できなかった本当の応募理由である。今年の6月に日本の法務省は「日本での就労を希望する外国人について、学歴や職歴、年収などを点数化し、高得点者を優遇する〈ポイント制〉を年内に導入する」(『読売』6月13日)と発表した。法務省の「数字化」の基準は、新自由主義的な競争から日本が勝ち抜くために貢献できるかどうかにあるのはいうまでもない。「人文学」に関わる外国出身の研究者が学位を取ってからも、日本で研究を続けることに対する理解はあまり得られないのが現状であろう。

UTCPとの出会いによってもっとも変わったのは、いろいろな形でワークショップを企画することが増えてきたことである。これについては、卒業後の研究についてふれながら説明したい。卒業以後、私が関わった研究活動については、以下の三つにわけてお話したい。

・「戦後」という言葉の機能について
2010年6月に、拙著『「戦後」というイデオロギー』が刊行された。占領や55年体制の遠近法が文学や歴史の記憶の編成に如何に介在していたのかについて論じたものである。この本を媒介に多くの方たちに出会う機会を得た。合評会以外にも、例えば、今年の2月には、大阪産業大学で開かれたアジア共同体を模索する国際会議で、「「1950」をめぐる記憶の抗争―新聞『アカハタ』における朝鮮人表象を軸に」、3月にはシカゴ大学で開かれた「Rethinking Hihyō:」という会議で、「「1955」という遠近法―金達寿「日本の冬」と記憶の抗争」について議論した。また、4月には、ワシントン大学で、拙著を大学院の教材として使用してくださった、テッド・マークさんと一緒に大学院の授業を行った。しかし、震災の一ヶ月後であったこともあり、質問が集中したのは、本の内容よりも、震災に関するものであった。

・身体・書物・制度の移動
日本帝国が植民地を領有し、大陸への侵略を進めていた時期、制度・身体・書物は日本軍とともに、鉄道メディアなどを媒介としながら、多くの地域へと拡散していった。もちろん、その逆のベクトルも機能していたのはいうまでもない。このような移動が起こした偶然な接触がどのような論理に規定されながら歴史化されきたのかについて興味を持っている。この主題については、科研費や日本大学内の共同研究費を利用し、韓国の研究者との共同研究、国際ワークショップなどを企画しながら考えている。とりわけ、「検閲」に関する会議、文化政治に関する会議などを、それぞれ半年に1回の割合で開催している。個人的なテーマとしては、1930年代前後の出版市場の再編によって帝国の出版資本が植民地市場を発見していく時期と、植民地における資本主義的システムの本格化の時期が重なっていることに注目している。特に、移動が禁じられた「非合法的」な身体・書物が制度と駆け引きしながら、抵抗のための「資本」を生み出していく流れに関する調査を進めている。

・接続の政治学
昨日(9月19日)、大江健三郎さんらの呼びかけによって、明治公園には3万人~6万人が集まっている。これだけの人々の動き(声)がTVメディアの注目を受けないのは何故なのだろうか。このような、きわめて単純な疑問を、震災を契機に持ち続けている人は多いのではないだろうか。多数の被害者を生んだ3月11日の東日本大震災、とりわけ原発など、収束の目処が立たない事故は、その対応をめぐる政治や制度の問題はもちろんのこと、抵抗をめぐる主体と運動の形成、沈黙を含む言説の政治性と世論の動向など、種々の問題を浮き彫りにすることとなったといえよう。

これまで「メディア」と言語の問題について考えてきた研究者らとともに、「接続の政治学」というワークショップを企画している。これまでの私は、文字言語として刻まれている「過去」が、イマ・ココのコンテクストによって意味の再編を繰り返しながら、歴史化される過程に焦点を当ててきた。現在、自分自身が置かれている文脈の相対化が出来るほどの距離を確保するのは難しい。しかし、イマ・ココで、自分自身が遭遇している出来事の重大さを考えると、その距離の確保を待つ余裕はない。しばらくは、分野や立場の異なる研究者とともに、イマ・ココへの多面的アプローチを試みること、それによって、現在も進行している事態への介入を試みたい。

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