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【UTCP Juventus】数森寛子

2011.08.12 数森寛子, UTCP Juventus

【UTCP Juventus】は、UTCP若手研究者の研究プロフィールを連載するシリーズです。ひとりひとりが各自の研究テーマ、いままでの仕事、今後の展開などを自由に綴っていきます。2011年度の5回目は特任研究員の数森寛子(19世紀フランス文学研究・精神分析と文学)が担当します。

私の現在の関心は、精神分析と芸術的創造との関係です。19世紀に「科学」として登場した精神分析は、瞬く間にフランスの多くの芸術家や思想家たちの関心を捉えます。この社会現象としての精神分析の流行と、「創造」とは何かという問いを、あわせて考えていきたいと思っています。
精神分析が理論として成立するのは20世紀初頭のことです。しかし、それ以前から「無意識」的な領域の探求は、文学作品を通じて実践され続けてきたと言うことができるでしょう。夢を通じて、日常の世界とは別の世界の真実を垣間見るという主題は、ヨーロッパでは聖書にはじまり19世紀にいたるまで繰り返し描かれてきたものです。また夢とは何か、意識とは何か、というより直接的な問いにも、作家たちは向き合い続けてきたのでした。そうした観点から、近年は、フロイト以前の作家や思想家たちが、後に精神分析理論によって概念化される「無意識」の存在を、どのように思索したのかを考察しています。
芸術的創造と精神分析の関係について。私は、精神分析の登場が、作家たちの「創造」についての観念を根底から覆すことになったと考えています。それ以前の時代には、芸術を生み出すインスピレーションは、人間とは別の次元に存在する「詩のミューズ」によって、選ばれた詩人にのみ特権的に与えられるというひとつの形式化された観念がありました。詩的霊感の源泉は作家の外部にあると考えられていたのです。ところが、精神分析は、作家自身の内部にある「無意識」の存在を指摘します。そして作家たちは、自らの「無意識」を表出させることと「創造」とをひとつのものとして捉えるようになるのです。この傾向はシュルレアリスム運動の中に顕著に見て取ることができます。
私が研究を続けているヴィクトル・ユゴー(1802−1865)は、フランス・ロマン主義運動の旗手として紹介されることの多い文学者ですが、シュルレアリスム運動に関わった作家たちは、「無意識」の世界の探求者として、この詩人に注目していました。とりわけ彼らの目を引いたのは、この作家が残した数多くの幻視的絵画作品だったのですが、ユゴーは文学作品のなかでも、「無意識」とは何かを考え続けているように見えます。例えば『レ・ミゼラブル』の中には、フロイトの提示する記憶のモデルと酷似したイメージが見出されるし、登場人物が「無意識的」に行動してしまう場面では、その精神状態をクローズアップしたような描写がなされていたりもするのです。今後の研究では、精神分析以前と以降の時代における、芸術的「創造」をめぐる思想と実践の比較研究を進めていきたいと考えています。

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