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【UTCP Juventus】池田喬

2011.08.10 池田喬, UTCP Juventus

【UTCP Juventus】は、UTCP若手研究者の研究プロフィールを連載するシリーズです。ひとりひとりが各自の研究テーマ、いままでの仕事、今後の展開などを自由に綴っていきます。2011年度の第4回目は特任研究員の池田喬(ハイデガー哲学・現象学)が担当します。

昨年の今頃、私は、自分の研究を、(1)M. ハイデガー研究(2)行為者性の現象学(行為論と現象学の関係)(3)コミュニケーションとリハビリテーションの現象学(障害当事者研究と現象学の関係) の三つに区別して紹介しました(こちら)。以下では、この一年間での変化と今後の展望について書きたいと思います。

(1)M. ハイデガー研究−−−−存在と行為、初期ハイデガーとフッサール−−−−
 まず、単著『ハイデガー 存在と行為−−−−『存在と時間』の解釈と展開−−−−』を創文社からもう少しで出版できそうです。外界問題の解体、行為(行為者性)の現象学、道徳性の基礎付け(エートスの学)、声と政治、死と幸福などがテーマになっています。フッサール、カント、アリストテレスといったハイデガー哲学のルーツとの関係において『存在と時間』を「解釈」し、現代の行為論・倫理学・政治哲学の文脈の中で独自に「展開」する内容です。
 また、『存在と時間』以前の初期フライブルク期と呼ばれるハイデガーの哲学とフッサールの現象学の関係について研究を進めています。初期フライブルク期とはハイデガーがフッサールの助手としてフライブルク大学で働いていた時期のことです。この最初期のハイデガーは「現象学」とは「根源学」だと言います。そして、フッサールが「純粋意識」と呼んだ「絶対的所与性」の領域を「生即かつ対自」の「根源領域」と呼び直し、これに接近しようとします。そのプログラムは、フッサールの厳密学的な現象学の理念に驚く程忠実であり、フッサールが「私とハイデガーが現象学だ」と言ったというのも納得できるものです。しかし、これまでのハイデガー研究においては、純粋意識や厳密学のようなフッサールの中心的概念はハイデガーがもっぱら否定したものとされてきました。たしかに、『存在と時間』の時期から(結果論的に言うと)するとそう思えるのですが、初期のハイデガー現象学を読むと簡単にはわりきれない両者の深い関係が見えてきます。そしてこの関係を押さえた上ではじめて、なぜハイデガーにおいて現象学が「現存在の実存論的分析」というフッサールとは一見似ても似つかないものに変化したのかも理解できるはずです。これについてはいくつか共著の予定があり、執筆中ですが、出版予定などについてはまだ確実なことは決まっておりません。
 
(2)行為者性と現象学−−−−共同行為の現象学−−−−
 数年前から哲学的行為論の研究会に参加しているのですが、その研究会で、最近「共同行為/共同志向性」についての論文集を作成しました(行為論研究会編『行為論研究』第二号、オンライン公開中)。
 常識的にも哲学的にも、「行為」は、明りのスイッチを入れるとかハンマーで釘を打つとか、個人単位の振る舞いとして考えられがちです。しかし最近の特に分析哲学における行為論では、「共同行為/共同志向性」と呼ばれるものが頻繁に話題になるようになりました。ここで話題になる共同行為とは、例えば「二人で重い机を運ぶ」というような行為です。
 行為の哲学的研究に新たな視点を提供する「共同行為/共同志向性」ですが、この話題に対して「現象学」はいかに寄与できるのか。これをテーマに、「共同行為の現象学」に関する研究ノートを上記論文集に掲載しました。H–B. シュミットというスイスの現象学者によるハイデガーの世人論の解釈を中心に、現在の議論状況をまとめています。

(3)コミュニケーションとリハビリテーションの現象学−−−−当事者研究と現象学−−−−
 この一年間は、UTCPで「コミュニケーションとリハビリテーションの現象学」研究会を運営する中で、障害当事者、その支援者や家族、教育学者、工学者など、様々な方のお話を聞き、議論する機会をもつことができました。特に、「当事者研究」と呼ばれる営みと「現象学的研究」には、内容面だけでなく方法論の面でも様々な親近性があることに強い関心を抱くようになりました。当事者研究で有名な浦河「べてるの家」で討論会「当事者研究の現象学-べてるの家の人々と現象学の出会い」を行い、この点を議論できたことは私にとって2010年度最大の出来事でした(その時の報告はこちら)。
 ところで、これまでにも、精神科医が「精神病の現象学」を展開したり、看護・ケア実践の研究における現象学的方法が話題になったりすることは少なくありませんでした。そして、当事者を単なる臨床例としてではなくパートナーとして見るということが言われてきました。ただし、その場合「研究者」であるのは精神科医、看護師、学者などであり、「当事者」ではありません。身体のみならず精神障害の当事者自身も「研究者」となる「当事者研究」を、「現象学」の真正な実践の一つと捉えることに進むとすれば、「現象学」の自己理解に新たな問題が提起される(また、様々な疑念が表明される)でしょう。私はあえてそう説得的に議論するつもりです。ポイントは研究の「共同性」のあり方です。
 今年秋には「当事者研究と現象学」に関する研究会などを比較的多く予定しています。当事者研究と現象学の方法論については11月12日に行う「コミュニケーションとリハビリテーションの現象学」研究会でお話する予定です。また、一番近いところでは、9月16日にUTCP共同研究員である熊谷晋一郎氏による当事者研究の著『リハビリの夜』について、私と熊谷氏で討論会「当事者研究と現象学−−−『リハビリの夜』をめぐって」を行います。興味のある方はぜひお越しください。(近日中にUTCPのHPで告知を開始します)

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