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【報告】「近代東アジアのエクリチュールと思考」2011年度第5回セミナー

2011.08.15 └セミナー, 齋藤希史, 小松原孝文, 柳忠熙, 近代東アジアのエクリチュールと思考

中期教育プログラム「近代東アジアのエクリチュールと思考」のセミナー2011年度第5回目は「足尾鉱毒事件における思想史的考察(仮)―田中正造とその時代」と題し、商兆琦氏(発表者:東アジア思想文化・修士課程)、稲垣友子氏(ディスカッサント:言語情報・修士課程)を中心に行われた。(発表の部:7月15日、討論の部:7月22日)

【テキスト】小松祐「終章:田中正造の国家構想と思想史的位置」『田中正造の近代』(現代企画室、2001年)

◆発表の部(7月15日):商氏によれば、田中正造と足尾鉱毒事件に対する関心が高まってきたのは、1960・1970年代からだという。同時代の公害闘争などの影響を受け、田中を人権と環境、さらには反戦・平和のような観点から考え、日本の近代化の問題にいち早く注目した思想家として田中を評価する動きが見られた。だが、それは田中を特権化することにもつながり、鉱毒運動の中の田中正造から、田中正造における鉱毒運動へと問題を転換した。こうしたことに対する批判は、すでに70年代に見られるが、その後の研究では足尾鉱毒事件の全体像を問題にする研究も現れているものの、田中正造を中心に鉱毒問題を見るやり方は基本的に変わっていない。それに対して商氏は、足尾鉱毒事件が起きた時代的な背景をもっと重視すべきだと考えた。また、田中正造だけでなく、明治政府、地方行政、鉱山側、土地の豪農や小作人など、様々な立場の発言を問題にするとともに、この問題に関する当時の知識人の言説を取り上げることで、様々な角度から「足尾鉱毒事件」という出来事を立体化させる必要があるとした。
 こうした発表について、「公害」という概念について質問が出た。「公害」という言葉は、戦後の経済成長のなかで頻繁に用いられるようになったが、田中正造の時代はどうだったのか。これについて商氏は、田中正造が「公害」という言葉を用いているかは検討を要するが、正造が足尾鉱毒事件について発言するとき、「公へ害を与える」という主旨の発言が存在することを説明した。それは地元の人々の利益を害するものという意味で、「公」の「害」を唱えるものであり、近年の「環境問題」とともに語られる「公害」とは区別を要するものである。

◆討論の部(7月22日):討論部では、ディスカッサントである稲垣氏が、前回の商氏の発表をまとめたうえで、「公害」という言葉について補足を行った。それによれば、「公害とは、企業の生産活動によって地域住民に健康や生活環境の損失・侵害をもたらすこと」で、昭和30年代末あたりから辞典に登場したという。それ以前では公の利害を害するものとして、「鉱害」のような言葉が用いられていた。
その上で稲垣氏は、商氏の述べる「比較の方法」という方法論について質問を行った。それに対して商氏は、田中正造を中心として展開されてきた鉱毒事件に対し、政府、地方行政、農民、他の知識人などの言説を取り上げ、多角的に考察を行うことだと答えた。さらに稲垣氏は、言説を分析するにあたって、どのような軸を設定するかを明確にしなければ、当時の議論の全体像をとらえることは難しいのではないかと尋ねた。これについては、近代化/非近代化、国家/地方、工業/農業など、いくつかの比較の軸を設定して個々の言説を位置づけることで、事件がどのように問題とされていたか明らかになるとともに、田中正造の立場もより鮮明なものになるのではないかという意見が出た。
他にも、田中正造の思想的な背景として、田中がどのような読書および教育に関する経歴をもっているのか、という質問も出た。これについては、江戸時代の安藤昌益などとの思想的な連関を指摘する意見もあった。また、政府や企業と農民の対立だけでなく、その中間にある地方行政の立場を重点的に検討することで、いっそう深く問題を明らかにできるのではないかという意見も出た。

(文責:小松原孝文、柳忠熙)

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