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【UTCP on the Road】続く彷徨(守田貴弘)

2011.04.10 守田貴弘, UTCP on the Road

UTCPには2010年度の1年間,お世話になりました.その間に感じたこと,そして今思うことを,個人的に率直な形で書いてみたいと思います.

* * * * *

高校生の頃,家から学校まで10km程度の道程があった.いつもは自転車で往復していたのだが,雨が降った日などは,母親が仕事に行く時間に合わせて送ってくれ,帰りも迎えを頼むなり,バスを使うなりしていた.
午後になって雨のあがった日など,歩いて帰ることもあった.1人で歩くこともあれば,もう1人,友人が一緒のこともあった.そんなとき,若さならでは悩みをしきりに語り合いながら,「自分たちは,ペリパトスだよね」と,倫理の時間に共に覚えた言葉を使っては喜んでいた.

あの頃,学者として身を立てるだとか,就職を決めるだとか,現実的なことは考える必要がなかったし,「自分の専門」などあるはずもなかった.生きることにただ必死だったような気がするし,自分の考えていることをがんばって伝えようとする愚直さのようなものだけがあったように思う.

2010年.あの頃から10年以上の時が流れ,UTCPで過ごした1年間は,高校生活で味わったあの喜びや苦しみの再来のようでもあり,言語学という,科学を標榜する学問に勤しむ自分を窮地に追いやる過程でもあった.異分野との交流を繰り返すのは,自分のような他分野に暗い人間には居心地が悪く,また自分の研究を人に伝えようとするなかで自分自身の再発見につながることがあるという意味では,喜びでもあった.

言語学はことばの科学だと,おそらくどんな言語学者に聞いても答えるだろう.そして,科学で扱いきれない言語の側面について,誰もが何か心の奥底に抱えながら,科学的にアプローチできる範囲に自らを限定するという姿勢を取るだろうと思う.しかし他の分野を見渡してみれば,科学や非科学という区別など関係なく,あるいは科学というものを蔑視するかのような態度で,多くの人文学者が言語について論じているという状況もある.そこで論じられている言語と自分の扱っている言語は,何が同じで何が違うのか.本当は問わなければならない問題でありながら見ないふりをし続けているのではないか...
博士論文を書き上げるまでは,自分自身,ずっと科学的手法にこだわろうとしてきたし,そういう自分の態度に疑問を持つこともなかったように思う.だが,UTCPに所属するということは,異分野との狭間に立つことであり,自分にとっては言語をめぐって,言語学とその他の学問の狭間に立ち,自らの立ち位置を見つめ直すことに他ならなかった.明快な言語学批判を聞かされ,反発したくなることもあれば,爽快さを感じることもあった.

このようにさんざん揺さぶられた末に改めて今思うことは,それでも自分は言語学を続けていくのだということだ.そして,さんざん揺さぶっておきながら,「お前は言語学をやって悩み続けろ」と,UTCPの側も言っているような気がするのだ.異分野との交流,国際交流などを活発に推し進めておきながら「言語学なんてやめてしまえ」という気にさせないところが,この組織のすごいところかもしれないし,「共生」なのかもしれない.

* * * * *

最後に,私を事務局スタッフとして採用し,バックアップしてくれた小林先生,中島先生,立石さんと,その他の事務局スタッフの方に感謝しています.そして中期教育プログラム「近代東アジアのエクリチュールと思考」で共に活動してきた齋藤先生,呉さん,津守さん,裴さん,イベントに参加して下さった方々には,「また一緒にやりましょう」と伝えたいと思います.

守田貴弘さんのUTCPでの活動履歴 ⇒ こちら

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