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[Report] Graduate Workshop of the Philosophy of Mind

2011.04.12 信原幸弘, 筒井晴香, └イベント報告, 朴嵩哲, 西堤優, 佐藤亮司, 科学技術と社会

2011年3月25日、イギリスのバーミンガム大学のPhilosophy DepartmentでGRADUATE WORKSHOP ON THE PHILOSOPHY OF MINDが開催され、UTCPからは4人の研究員が参加しました。この場を借りて会全体の印象や各自の発表内容を手短に報告したいと思います。

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ワークショップは以下のようなプログラムで行われました。

Sutetsu Boku: "Theories of Autism."
Reply by Josephine Reichert
Andrew Wright: “The Phenomenal Principle and Representation”
Reply by Ryoji Sato
Ryoji Sato: "On Ned Block's Mesh Argument"
Reply by Khai Wager
Pegah Lashgarlou: “Thomas Nagel and Category Mistakes”
Reply by Haruka Tsutsui
Haruka Tsutsui: "Constructing Common Knowledge"
Reply by Nathaniel Grant (TBC)
Yu Nishitsutsumi: "Epistemic Akrasia and Desire"
Reply by Naomi Thompson

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このワークショップは東京大学の学生とバーミンガム大学の学生の議論の場を設け、それによって相互交流を深めていくことを目的としています。発表内容は、それぞれのテーマや関心に沿ったものであったため、普段自分の専門分野に没頭しがちな若手研究者にとっては、現在哲学において話題となっていることが直接知れる良い機会となりました。バーミンガム大学のナガサワ先生やこのワークショップの開催に携わって下さったすべての方々には、この場を借りて改めてお礼申し上げたい次第です。

ここまで西堤優(共同研究員)
ここから、各参加者のコメントです。

朴嵩哲(共同研究員)"Theories of Autism."】

UTCP共同研究員の朴は、「自閉症の理論」と題した発表を行なった。通常、理論説やシミュレーション説は「マインドリーディング(心的状態の帰属)」メカニズムについての仮説を表すが、これらは自閉症の中心症状であるマインドリーディング(心的状態の帰属)の障害の仮説とみなすことができる。本発表では、自閉症の中心症状がマインドリーディングの障害であることを前提として、それを理論的能力の障害とみなすべきか、シミュレーション能力の障害と見なすべきかを検討した。

一つ目の検討課題は、自閉症がマインドリーディング以外の障害も伴うことをどう説明するかである。彼らは、マインドリーディングとの関連がなさそうな、フリ遊びの少なさや、「ハノイの塔」課題の失敗に代表される実行機能の障害ももっているのだ。第二の課題は、バロン=コーエンらによる最初期の実験でも、アン-サリー課題のような誤信念課題を通過する自閉症児が少なからず存在することである。これは一見すると自閉症者がマインドリーディングが可能であることを示唆し、さきほどの前提を疑わせるものだ。
上記の論点について、理論説として、レスリーとカラザースの説、シミュレーション説としてはカリーの説を挙げて検討した。その結果、レスリーの説は、フリ遊びについての実験事実と食い違っており、カリーの説とカラザースの説は、ハノイの塔課題の失敗の説明において、どちらも可能な説明ではあるが、カリーの説のほうがより簡潔で説得力があるという結論に至った。また、第二の課題の検討から、誤信念課題を通過する自閉症者は、定型発達児とは異なるバイパス経路を用いてマインドリーディングを行なっている可能性が高いという結論に至った。このこと自体は、理論説とシミュレーション説のいずれかを支持するものではないが、他の課題や日常のコミュニケーションでも彼らなりの方略を用いていることが考えられるので、自閉症をより深く理解するためには、それらの方略を明らかにすることが必要であることが示唆される。

特定質問者のジョセフィン・ライヒャートは、アスペルガー症候群をもつダニエル・タメットの自伝を引用して、私が支持したシミュレーション説よりもカラザースの理論説を支持するコメントを述べた。ここでは一点についてのみ応答したい。自閉症スペクトラムの人々は、たとえば想像上の友達と遊んだりするので、「自閉症者は想像力がない」というカリーの説は間違っている、という論点である。

自閉症のシミュレーション説は、自閉症児が想像力を持つことを否定するわけではない。シミュレーション説によると、自閉症者は豊かな想像力を持っていても、フリ遊びやハノイの塔の課題において、想像力をうまく発揮することができないだけなのだ。しかし、具体的に何が原因でそうした状況で想像力を発揮できないのかは、検討の余地がある。タメットなどの当事者による一人称的体験記述は、これらの問題に光を投げかけるかもしれない。

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佐藤亮司(共同研究員)"On Ned Block's Mesh Argument"】

去る3月26日、バーミンガム大学哲学科において、グラヂュエイトワークショップが開催された。私を含めて4人が東京大学から発表し、2人がバーミンガム大学から発表した。私は、ネッド・ブロックの2007年の論文、“Consciousness, accessibility, and the mesh between psychology and neuroscience”における、現象的意識とアクセス意識(この論文では主にある心的状態について報告する能力)とが異なる神経基盤を持つという彼の主張と、それを示すために用いるメッシュ論法と呼ばれる論法について批判的に論じた。

本発表では、直接に彼の議論の結論の誤りを示そうとはせず、むしろ彼の議論の、隠された前提に焦点をあて、それが様々な観点から支持されえないものであることを論じた。ブロックの議論は、アクセス意識とはせいぜい現象的意識を“読みだす”だけのものであり、現象的意識は因果的にさえアクセス意識から影響を受けないことを前提にしてしまっているのだ。本発表ではこれを、日常的直観、神経科学的証拠、心理物理学的証拠の三つの観点からこれを批判した。ブロックの結論-現象的意識とアクセス意識とが異なる神経基盤を持つ-そのものは構成に関わる主張なので、それらの間の因果的相互作用を否定するものではないが、私の主張の要点は、彼はその結論を得るために、アクセス意識の現象的意識の内容への因果的な影響の不在を前提にせねばならないということである。ディスカッションにおいては、私があまり注意を払っていなかった実験の詳細や、私が議論に用いている証拠が弱すぎるのではないか、という指摘がなされた。どちらの指摘も議論をより精緻なものにするために非常に重要で、参考になった。

終始活発な議論が交わされながら和やかなワークショップであったが、ワークショップ後のディナーにおいては、さらに深い交流を行うことができた。私と研究上の興味を同じくする生徒だけではなく、意識の問題について似たような立場をとる生徒を見つけることもできた。今後の実りあるさらなる交流が期待できそうである。

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筒井晴香(共同研究員)"Constructing Common Knowledge"】

筒井の発表 “Constructing Common Knowledge” の概要は以下の通りである。“Common knowledge/mutual knowledge” (CK/MK) とは、人々の間で何事かが開かれた(open)事実、あるいは周知の(public)事実として知られているとき、具体的には何がどのように知られていることになるのか、その知識のあり方を捉えた概念である。発表では二つの代表的なCK/MK概念の定義について論じた。反復的定義(The iterate definition)は人々に、互いの知識に関する、無限量の高階の知識を帰属させるが、この点は心理学的妥当性を欠くように思われる。他方、共有環境定義(The shared environment definition)は、人々がひとつの環境を共有していることと、彼らが持ついくつかの補助前提とをCK/MKの基礎として位置付け、その基礎に基づいて無限の高階の知識を導出できることがCK/MKを持つことに等しいとする。この定義は無限の知識の帰属という問題に解決を与える一方で、CK/MKの基礎が成立すると信じる理由を我々が持つのはどのような場合かというさらなる問いを生じる。発表では、CK/MKの基礎の成立が、人間の標準的あり方についての理解に基づいてデフォルトで仮定されていることを論じた。この点は、CK/MKを共有する特定の個人についてコミュニケーションを通して知識を得ることが、CK/MKの成立においては必ずしも必要でないという帰結をもたらす。最後に、以下の二点を今後の課題として挙げ、発表の締め括りとした。即ち、人間の標準的あり方についての理解はいかにして得られるのか、そして、コミュニケーションはCK/MKにどのような影響を与えうるのかである。

筒井がCK/MK概念に関心を持ったのは、この概念が共同行為論における重要な基礎概念であったためである。従って、発表後の議論において、共同行為としてのCK/MK(「我々」が知る:WE-knowing)の可能性への言及がなされたことは印象的であった。この可能性は以前から念頭にあったものだが、今後、詳細に検討してみたいと考えている。

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西堤優(共同研究員)"Epistemic Akrasia and Desire"】

2011年3月25日、イギリスのバーミンガム大学のPhilosophy DepartmentでGRADUATE WORKSHOP ON THE PHILOSOPHY OF MINDが開催され、私はこの会で口頭発表を行いました。ここでは会全体の印象や自分の発表内容を手短に報告したいと思います。

私は今回の発表で、Epistemic Akrasiaが可能かどうかを問いました。Epistemic Akrasiaとは、手持ちの証拠からすると、あることを信じるべきだと思うのに、実際はそうではないと信じるというものです。その可能性を探究するために、Epistemic Akrasiaの不可能性を唱える論者の主張と可能性を探る論者の主張を比較することにより、Epistemic Akrasiaが不可能であることを示しました。それに加え、欲求の影響を踏まえた新たなEpistemic Akrasiaが可能かどうかを検討しましたが、そもそも真であることを目指す信念の本性として欲求を理由とする信念形成はあり得ないことから、新たなEpistemic Akrasiaも不可能であることを示しました。私の発表に対しては、たくさんの忌憚ない貴重なご意見を頂くことができました。ただ、英語での質疑応答であったため、質問者に対して適切な回答をすることも、また、相手の質問をうまく理解することもできませんでした。その点に関しては非常に悔やまれる思いです。発表後、日本から同行した皆さんから、どのような質問だったかを説明してもらってやっと理解できた程です。本当にまだまだ勉強が足りないと痛感した次第です。このワークショップで得られた示唆は今後の研究に大いに役立てていきたいと思います。今回の旅では信原先生をはじめ、筒井さん、佐藤さん、朴さんには本当にお世話になりました。また、バーミンガム大学のナガサワ先生やこのワークショップの開催に携わって下さったすべての方々にこの場を借りて改めてお礼申し上げたい次第です。

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