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【報告】近代東アジアの思考を解きほぐす―中国語圏の文学から

2011.03.28 └レポート, 齋藤希史, 津守陽, 近代東アジアのエクリチュールと思考

2010年12月21日、張麗華(シンガポール南洋理工大学)、李婉薇(香港嶺南大学)、津守陽(UTCP)によるワークショップ「近代東アジアの思考を解きほぐす―中国語圏の文学から」を行いました。

本ワークショップが議論の主眼としたのは、近代東アジアの著作行為において、人々の表現行為を載せる器である「文体」や「文学ジャンル」といった「形式」と、それが運ぶ「思考」との間に、いったい何が起こっていたのかという問題です。香港と中国の若手研究者を迎え、3名のメインスピーカーによる報告ののち、2名のコメンテーターを中心に討論が行われました。筆者の怠慢によりご報告が遅れたことをお詫びしつつ、当日の議論の様子をお伝えしたいと思います。なお当日のプログラム順序と異なり、それぞれの報告とコメントを並べて記述いたします。

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一、張麗華「越境する文学ジャンル―魯迅の「狂人日記」とアンドレーエフ「心」」(Mysl’)の対照を中心に」

張さんの報告は、近代東アジアの文学史上最も有名な作品の一つである魯迅の「狂人日記」を対象に、アンドレーエフ「心」との比較を通して興味深い問題を提出した。それは、なぜ西洋においては周縁的形式であった短編小説の形式を採用した「狂人日記」が、中国において近代白話小説の鼻祖となっただけでなく、青年達に絶大な影響力を与える「啓蒙文学」の役割を担ったのだろうか、という問題である。

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張さんはまず「狂人日記」とアンドレーエフ「心」の形式的酷似を指摘し、次にこの二作品を比較する行為の歴史的根拠を、周作人や銭玄同の日記を用いて綿密にあとづけていく。そして「狂人日記」と「心」が「狂気という精神の極限状態のうちに狂人が外部世界を洞察する」というよく似た主題を持ち、この狂人がともに高度な自意識を持つ点において、前近代の文学伝統を抜け出した近代小説となっていることを確認する一方で、より重要な両者の違いとして次の二点を挙げた。

まず、アンドレーエフの主人公があくまで「思考の激情」にかられた「膨張する自己意識」により狂気に陥るのに対し、魯迅の主人公が帯びた「狂」は「真の人間性」の言い換えに他ならず、この点においてすぐれて倫理的であること。次にこれを可能にした条件として、魯迅の「狂人」が、一方的に社会を見るアンドレーエフの狂人の固定した主体性を「転倒」し、個人と社会との間の見る-見られるという相互性のもとに絶えず「覚醒」を深化させる主体であったことを指摘した。張さんは魯迅に関する二点目の特徴を、魯迅小説に共通する「主人公と場との不安定な関係」として提出し、この「自覚」と変化の可能性に富んだ主体形成こそが、近代東アジアにおいて「近代性」と「主体性」が両立するためのかたちであった点に、魯迅の「狂人」が近代小説の嚆矢たりえた所以を見出している。

張報告に対しては東大の代田智明先生にコメントをお願いした。代田先生はまず魯迅研究の観点から、銭玄同と「狂人日記」誕生の関わり、そして「狂人日記」とアンドレーエフ「心」の関わりを指摘した張さんの貢献を評価する。さらに魯迅とアンドレーエフの狂人の主体形成過程における根本的な違いと、魯迅小説の語りの「融通無碍な焦点移動」に関する議論を「奥の深い分析」と讃えた。

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一方で代田先生がもう一歩問題を掘り下げたのは、「狂人日記」が獲得した清末小説とは異なる新しさ・近代性についての具体的検討であった。代田先生は近代における内面主体の形成そのものが、近代的諸制度の成立と相関した、そもそも倫理性と同時に政治性を帯びたものであったことを指摘して、「狂人」の自己形成を倫理的とした張さんの議論を補強した。さらにアンドレーエフとの違いには「西洋的個人とアジア的人間観」の文化差異、および「近代性」に対する二つの社会そのものの「タイム・ラグ」――すなわち「近代性」批判が可能であったアンドレーエフのロシアと不可能であった魯迅の中国の差――が作用していたのではないかとする。代田先生が「狂人日記」の真の「新しさ」として最も着目したのは、「狂人日記」が内面の語りを文体のなかで表現しつつも、その主体形成の過程をも物語の中に溶かし込んで表現したという特徴であった。

二、李婉薇「啓蒙と革命と文人的戯れと―清末民初の広東語創作」

李さんの報告は、現在香港で普通に見られるような、広東語(粵語)を漢字で表記するという行為およびそれを可能にする書記システムが、どのような清末の実践を経て形成されてきたのかという問題を、豊富な資料を用いて分析するものである。清末の広東語を用いた著作活動における三つの事例から李さんが指摘したのは、民智を啓く「啓蒙」・清朝打倒の「革命」・そして文人同士の「遊戯的要素」という三つの要素であった。

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まず梁啓超が横浜で書いた粵劇「班定遠平西域」は、それまで用いられてきた「戲棚官話」とは異なる非常に口語的な広東語台詞を含み、また梁自身による民間歌謡「龍舟歌」の創作を含む点で、粵劇の歴史において先駆的な地位を占める。また革命ジャーナリズム系の新聞・雑誌においては、下層階級の民衆に革命思想を鼓吹するため、南音や木魚書などの民間口承文芸の改作版が毎日のように掲載され、滑稽・諧謔味を含んだ古文形式のコラムや歴史物語が広東語による語りで記述された。梁啓超とジャーナリズムの広東語創作に共通するところとして、李さんは(一)民衆を啓蒙して革命思想を宣伝する手段として、下層階級にわかりやすい広東語の口語体を選んだこと(二)高雅さや壮烈さの表現には文言が用いられ、広東語はユーモラスな諧謔味を担っていたこと、の二点を挙げる。

これらと若干毛色の異なっていたのは文人廖恩壽による広東語旧体詩であった。廖恩壽自身にとって広東語による詩作は、自らの詩業の中心を占める「詞」の創作と比肩できるものではなく、友人との私的な交流に過ぎなかった。しかし広東語で押韻し、俗語や罵り言葉まで含んだ彼の風刺的な広東語詩集『嬉笑集』は、1940年代まで版を重ねるほど広東文士の人気を得た。なかでも激烈でユーモラスな時事批評という分野は、細々とではあるが後人に大きな影響を与え続けた。以上三つの事例を通して、李さんは清末民初の広東語著作を、民衆に影響を与えることを主眼とした点から「広義の教育」と結論づける。李さんの分析からは、書記された広東語という「スタイル」が、革命・啓蒙思想の喧伝という「内容」を伴ってはじめて知識分子に重要視され、広まっていった過程が浮かび上がる。

李報告にコメントしていただいたのは東大の吉川雅之先生である。吉川先生は本報告の土台となった李さんの博士論文『清末民初的粵語書写』について、書記された広東語が成立していく過程を豊富なデータで論じた力作と称賛したが、より言語学的な立場から、李さんの報告が看過しているいくつかの現象に疑義や質問を提出した。

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一点目に、粵語に特有な形式の出現頻度に文学作品間の差異が認められること。二点目に、梁啓超の「龍舟歌」と「軍談」に現れる広東語語彙では、前者が機能語に留まるのに対し、後者はより多くの内容語を含むこと。これを通時的にみて前者から後者へ進化論的な発展が見られたと考えて良いのかどうか。三点目に、龍舟歌には現代広東語では非文となる形式が含まれていることから、梁啓超は文言文か白話文をまず想定し、そこから機能語のみを広東語形式で置き換えたのではないかという疑問。本ワークショップの司会を勤めてくださったUTCPの齋藤先生の研究によると、こうした置換は聖書翻訳の場で見られるという。四点目に、戦後には革命派以外の保守派の新聞にも広東語使用が同様に見られることから、戦前の革命派以外にも広東語使用が見られたのではないか。吉川先生のコメントは、本来は音声中心であった広東語が「文字言語化する」という現象に、よりはっきりと焦点をしぼり、詳細で具体的な言語現象に基づいて議論を深化させてくださった。

三、津守陽「「いなかもの」は夢を見るか――沈従文と泉鏡花の文体比較から」

津守の報告は、中国近代の作家沈従文の描く辺境地帯が、郷愁を誘う桃源郷的世界のかげに不可思議な陰翳を含むことの意義について、日本の泉鏡花の文体を参照することで新たな考察の視野を獲得しようとするものである。津守は「静謐で純朴な太古の農村」を描いた作家という沈従文の公認イメージに対し、沈従文の描く「いなかもの」や「いなかむすめ」の形象には狂気や死、或いは交錯する人間認識といった陰翳があり、これが彼の「いなか」表象に奥行きを与えていることを指摘する。そのうえで、この「もう一方の沈従文像」は、果たして単なる「グロテスクな土俗性」という、桃源郷とは別種の神秘化にすぎないのかという問題を提示する。この問題は近代中国において、「いなか/郷里空間」やそこに住む人々(女性)が、都市発の文学を触発し得た想像力の方向性が、「清浄な桃源郷」「懐かしき少年時代」「土俗的パノラマ島」「啓蒙すべき愚鈍な世界」という4象限に吸収されてしまうのか、という問題につながる。今回の報告ではこの4象限から脱出するための読みの探索として、沈従文の文体を再度解析することを目指した。

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沈従文と泉鏡花に、「夢や水へのこだわり」といったモチーフ上の類似性を指摘することは可能である。しかし津守が着目したのは、こうした「事物」「概念」の類似性よりも、みずから紡ぐ言葉に引きこまれていく、二人の作家の「言葉への固執」であった。津守は渡部直己の鏡花批評から、(1) 長引く饒舌な語りがもたらす時間性の騒擾 (2)人物の形象が隣り合う言葉の交錯の中に朦朧と立ち上ること、という二点の特徴を挙げ、鏡花が女性の着物に示した過剰なトリヴィアリズムは、沈従文が故郷湘西地方に与えた語りの中にも見られるのではないか、とした。そして沈従文の描く、ほとんど白地に見える少女像たちの魅力の源泉も、鏡花の描く女性が「着物の柄」といった細部に支えられているのと同様に、彼女らの周囲にちりばめられた数々の多義的機構に支えられているのではないかと考察する。最後に今後の方向性として、沈従文が前近代の文学伝統から何を汲み出して、自分の、ひいては近代中国の文体を形成していったのかという問題意識を提示した。

津守報告にはコメンテーターを設けなかったが、代田先生から質問をいただいた。今回はまだプロローグの段階に過ぎない内容だったが、津守報告が考察しようとしているのは、おそらく「文学・小説の近代性とは何なのか」という壮大な問題である。しかし30年ほどのタイムラグを持った鏡花と沈従文の間には、かたや近世のparadigmaticな表現を継ぐ自然派以前、かたや近代を通過して表現と生活現実がsyntagmaticに結合した自然派以降、という大きな歴史的差異があるのではないか。この差異をどう処理して、沈従文が近代を打ち破る文体として(日本における)近世的なものを取り込んだという方向に結びつけられるかが今後の鍵ではないかというご主旨であった。

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今回は報告時間が長くなり、また通訳を挟んだこともあって、十分に質疑応答の時間がとれませんでしたが、コメンテーターや司会の先生方のご協力で密度の濃い問答になりました。企画者としてここにお礼を申し上げます。

                                               (文責:津守陽)

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