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【報告】 バロック=シェイクスピアについて語ること Speaking of Baroque Shakespeare

2011.03.21 高田康成, 大橋完太郎

2011年2月21日、東京大学駒場キャンパスにて、シェイクスピアとバロックをめぐる国際シンポジウムが、UTCPと京都大学、日本シェイクスピア協会との共催で行われた。

今回のシンポジウムでは海外講演者として、ニュージーランドのアウックランド大学 University of Auckland のトム・ビショップ教授をお招きした。このシンポジウムでは、京都大学の廣田篤彦准教授、東京大学(UTCP)の高田康成教授の講演も含めた三つの講演も行われた。三者三様の視点から、シェイクスピアとバロックの関係について、単なる文学研究にとどまらない幅広い議論が提起された興味深い機会となった。

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「シェイクスピア、レンブラント、デカルト」と題されたビショップ氏の講演は、デカルト的な明晰性に基づいた光と闇の弁証法的二元論をバロック的な特徴とみなしつつ、レンブラントの絵画《イェルサレム崩壊を嘆くエレミア》や、シェイクスピアの『テンペスト』におけるシンベリンのセリフのなかに、時代の支配的傾向としてのバロックにはおさまらない要素を指摘していく、きわめて野心的な試みであった。

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廣田篤彦氏の「リア王の均衡政策:バロック的イニシアチヴ」では、『リア王』における均衡政策の表象が、ポスト・ウェストファリア期以降の実際に政治とどのようなかかわりがあったかが考察された。『リア王』冒頭で述べられる均衡的な政治判断に関する言及は、同時代の政治的文脈を考慮に入れることで、バロック的な政治およびその美学の萌芽を含んだものとみなされうることが説得的に述べられた。

高田康成氏の「シェイクスピア、ルーベンス、他なるモダニティ」は、バロック概念が文学研究に適したものではないということに注意を払いつつ、シェイクスピアにおいていかなる「バロック」を考えることができるのかという点を考察した発表であった。ルネッサンス後期の弁証的運動として『真夏の夜の夢』を位置づけることで、むしろそれをバロック的な運動と接続できるのではないか、そうしてそれこそが見逃されてきたもう一つのモダニティだったのではないかというきわめて示唆的な見解が込められていた。

シェイクスピアのみならず、レンブラントやルーベンス、あるいはそれらを庇護しつつ自己を伸張させていった王権や新興勢力は、それ自体が近代を特徴づける「総合的な」(そして多くの場合「総合芸術的な」)運動体であったに違いない。今回のシンポジウムは、これらの運動をモダニティの伏流として思考する重要性を十分に感じさせる格好の機会となった。

(大橋完太郎)

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