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【報告】池内恵「イスラーム政治思想による動員とアイデンティティ」

2010.12.09 羽田正, 阿部尚史, イスラーム理解講座

2010年11月29日(月)、東京大学駒場キャンパスで、イスラーム理解講座(通算第12回目)が開催された。今回は、東京大学先端技術研究センターの池内恵さんをお招きして、「イスラーム政治思想による動員とアイデンティティ」と題するご講演をいただいた。

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 池内さんは、現代のイスラーム政治思想を専門とし、論壇でも大変活躍されている。著書も数多く、代表的なものとしては、『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書, 2002)や『イスラーム世界の論じ方』(中央公論社, 2008)がある。

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 講演で、池内さんは、「ジハード」というイスラーム思想における重要な概念を取り上げた。いまや誰でも知っているジハードという語が、日々、いかにメディアに取り上げられ、「イスラーム=ジハード」とさえ言えるような印象を与えていることを指摘した。そして、この語が、実際にムスリム(イスラーム教徒)のアイデンティティとしてどのような役割を果たしているのかを概観した。前半では、ジハードの歴史的な意味を確認し、中東も近代化する文脈で、どのようにこの語が再解釈され、ムスリムの行動に影響を与えたのかを明らかにした。
 まず近年、ムハンマドの風刺画事件や、フランスにおけるベール禁止、スイスにおけるミナレット規制などといったメディアの報道に、ムスリムが敏感に反応し、世界各地で抗議行動を起こしている点に注目し、これをグローバルな「ウンマ」への帰属意識と考える。その中で、抗議の対象も特定の象徴に収斂される点は興味深い。一方で、抗議するムスリムたちは、組織化されているわけでなく、指揮系統ははっきりしない点が特徴的であるという。このようなメディアを契機とした動員と呼応の関係が現代のムスリムを見るときに重要な視点となるという。また今年だけでも何度も発生したムスリムによるテロ行為、テロ未遂行為の実行者にしても、組織的背景を持たず、グローバルなウンマ意識を背景とした単独犯が多いことを指摘した。
 以上のような今日的な状況を概観した上で、ジハードをコーランや古典法学に遡って説明した。前近代のジハードの概念は、その政治思想の一部をなし、池内さんによれば、その政治思想は、マーワルディーの『統治の諸規則』に完成をみたという。なお、イスラーム政治思想の中では、異教徒に対してジハードを行う権利は、法的な操作によって抑制されていたという。
また、前近代のイスラーム法学・政治思想を考える上で、重要な論点は、「ナスフ(廃止)論」であることを指摘した。コーランにはお互いに矛盾するような章句も存在する。そのため、「廃止する章句」と「廃止される章句を」指摘して、コーランの一貫性を弁証する議論が形成された。これが「ナスフ論」である。ナスフ論により、信仰の多様性を認めるような章句は「廃止」される傾向にあったという。
 近代の潮流の中においては、ムハンマド・アブドッサラーム・ファラジュの『ジハード論』(1970年代に執筆)に注目して講演を続けた。ファラジュは、上記のナスフ論を利用しつつ、前近代政治思想の文脈では制約されていたジハードを、「個々人が行うもの」と読み替える議論を提唱し、「心のジハード」と同時に不信仰者や偽善者に対するジハードも推敲しなければならないと説いたという。池内さんは、こうした論理が、現在、指揮系統がなく、組織的背景もないが、個々のムスリムがジハードを行う理論的背景となっていると指摘した。

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 質疑においては、ムスリムが「なぜ」ジハードを行うのか、その「なぜ」を問うものが多かった(講演では「どのように」、という論理のテクニックが中心であったためであろう)。ファラジュが主張し、個人的なレベルでのジハードの実行を可能にしている「個人」義務における「個人」という概念がそもそも近代的なのではないかという指摘や、そうなると、コーランを典拠に西洋近代に対抗する解釈を生み出しているファラジュの議論の建て方それ自体が近代的ではないのかという強い疑問が呈されたほか、官製メディアとグローバルメディアの違いによる影響の違いを問うものなど、議論は盛り上がった。
 前近代の政治思想を踏まえて現代における「ジハード」の流行を取り上げる講演であったため、内容も盛りだくさんであった。ジハード、テロといった日々耳にする出来事の背後に潜む理論について、歴史的背景を踏まえた議論は大変貴重であった。

(文責:阿部尚史)

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