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時の彩り(つれづれ、草) 120

2010.11.23 小林康夫

華東師範大学の許先生・楊先生らの一行がいらっしゃいました

先週19日(金)朝9時半から、上海の華東師範大学の中国現代思想文化研究所ならびに思勉人文高等研究院を代表する一行4名をお迎えして、人文科学の世界的な現状についての意見交換と今後の研究協力の打ち合わせの会議が開かれました。

一行を率いていらした許(XU JILIN)先生とは、3年前だったか、ベンヤミンについてのシンポジウムがNYUとの共催で行われたときに、わたしも上海に出かけていって講演をしたことがあったときからのおつきあい。久しぶりにお会いして「旧交」を温めました。楊(YANG GUORONG)先生とははじめて。でも、哲学の使命とそのあり方などについて、いろいろな点で意見の一致をみて楽しかったですね。英国留学も長かった楊先生とはもっぱら英語でのコミュニケーションでした。昼食もともにして、今後の研究交流プランを話しあいました。

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エルサレム・ハイファ報告(3)(「嘆きの壁」など)

エルサレム2日目は、今春駒場に来てくださったメロン・ベンベニスティさんの案内による旧市街のツアーから。ベンベニスティさんは、エルサレムの副市長だったこともあり旧市街の都市整備にも深くかかわっている方で、この人以上のガイドはまずいない。少し持病が出て苦しそうなのを、「いや、大丈夫」とジャファ門から、聖墳墓教会、スーク、Via Dolorosa(イエスの十字架の道ですね)を抜けて「嘆きの壁」へと旧市街を横断するように案内してくださいました。多くの刺激を受けたこの体験は数行ではとても書けません。

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でも、ベンベニスティさん、旧市街のあとは、そこから車で十分のところにあるあの「分断壁」の現場にもわれわれを連れていくことを忘れてはいなかった。あらゆる種類の聖なる遺跡がところ狭しと重なりあう世界の特異点エルサレムに、こんな露骨で醜悪で邪悪な「壁」が構築されているということに、われわれ一行、ほとんど言葉を失うのですが、それは実は、まだわれわれが体験することのほんの序章にすぎませんでした。

エルサレム・ハイファ報告(4)(ベツレヘム)

当初は予定されていなかったのですが、運転手さん紹介の西エルサレムの庶民的なレストランで昼食のあと、やはりベツレヘムに行こう、ということになりました。車で30分くらい。でも、われわれが借りた車では行くことができない。「壁」の前で車を降りて、国家の悪意がそのままむき出しになったような殺風景な検問所を抜けていかなくてはならない。そしてパレスチナの黄色のタクシーに乗り換えなければならないのです。チェックポイントを通ると、風景がとたんに変わって、そこはアラブ的な世界。社会インフラが整備されていないのもすぐに感じ取られる断絶です。その風景を抜けていって、ここがイエスの生誕教会だと言われても、素朴に宗教的な感慨に浸るわけにはいきません。その帰りには、われわれはタクシーの運転者さんたちに交渉して、市内の難民キャンプを抜けて、またしても「壁」を今度は、パレスチナの側から見ることになりました。難民の人たちが住む建物の屋上に上がらせてもらって向こう側を見ると、そこはオリーブの畑。しかし、そのオリーブを所有するパレスチナ人は「壁」の向こうのオリーブを収穫に行くこともできないという話。人間を侮辱する「壁」を前にして誰もが「speechless」にならざるをえない。帰りのミニバスでは誰もが黙りこくっていました。

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