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【報告】第18回国際美学会(北京大学)

2010.09.13 小澤京子, 大橋完太郎

2010年8月9日‐13日の5日間、北京大学にて第18回国際美学会が開催された。UTCPからは、大橋完太郎と小澤京子(本報告者)の2名が参加し、パネル発表を行った。以下、その概要と成果、ならびに国際学会全体を通して受けた印象を述べたい。

私(小澤)は「Housui YAMAMOTO's The Return of Urashima and the Greco-Roman Phantasm in the Third Period of the Meiji Era」と題した発表を行った。
この発表では、山本芳翠が明治26年に描いた作品《浦島図》の「奇妙さ」を導きの糸とし、明治20年代には日本の「古代」に西洋的な「古典古代」のイメージを重ね合わせる試みが、絵画と美術史記述の各分野においてなされたことを示した。《浦島図》では、舞台や人物造形は西洋絵画史に頻繁に登場する異教的古代を下敷きにしつつ、日本の建国神話を象徴する諸々のモティーフも鏤められている。本来は民俗伝承の主人公である浦島が、ギリシア=ローマ神話の主人公でありつつ、日本建国神話の英雄(つまりは天皇の先祖)でもあるという、多重的な存在として描かれているのだ。

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明治10年代に完成した国史編纂を受けて、20年代には日本の美術史・建築史叙述、さらには「国宝」制度の整備が進んでいく。ナショナル・アート・ヒストリーがその叙述の始点に据えたのは、理想的古代としての天平時代であったが、そこにも古代ギリシア・ローマへの幻想が投影された。すなわち、正倉院宝物にギリシアの残響を見出すフェノロサであり、そのギリシア文明東漸説を継承しつつ「日本美術史講義」を構想した初期の岡倉天心であり、形態的類似関係から古代ギリシア建築の日本への伝播を類推した伊東忠太である。
明治20年代は、万世一系の天皇という仮構の上に立憲君主制が敷設され、日清戦争や不平等条約改正を契機にナショナリズムが高揚した時代である。「国史の正統な起源としての《古代》」という概念もまた、当時の気運の中で構築されたものであった。起源としての《古代》がイデオロギッシュな偏向を帯びつつ理想化されるのは、西洋の新古典主義時代においてもまた同様である。しかし、当時の日本は、そこに西洋にとってのオーセンティックな起源という、さらなる権威の重合を必要としたことを、本発表では示した。
私のパネルの発表者は、「美学」というドイツ発祥のディシプリンの韓国における継受プロセスについて(韓国)、中国思想の根幹的特質について(ロシア)、そしてギリシア近代の「オリエンタリズム」絵画について(ギリシア)という構成であり、奇しくも「ギリシア文明東漸説」を遡る配置となった。とりわけ、ギリシア――西洋文明の祖とされつつも、地理的にはオリエントとの結節点に位置し、歴史上長らくトルコ支配下に置かれた地域――の近代において、「郷愁のオリエント」という主にフランスで発生したメンタリティが、ほぼそのままの形で美術の新動向と同期しつつ受容されたという、アテネ大学教授Athanasia Glycofrydi-Leontsini氏による発表は、私の発表と対称を為すものであり、興味深く拝聴した。

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【小澤とGlycofrydi-Leontsini教授(後方)】


大橋の発表「Plan of Nature, Plan of Style : Relationship between the Theory of Natural History and the Rhetorical Idea on Style of Buffon」は、ビュフォンの文体(style)に着目し、その修辞学と自然史が実は共通の構造を有することを指摘したものである。彼特有の躍動的な文体は、自然のダイナミズムを記述するために要請されたものであった。ビュフォンにとっての言語はまた、情動の次元で相手に訴えかけるものであり、一種の身体性を帯びている。「精神」と「心」の二元論を調停し、「魂の動き」をもたらすのが「文体」というわけである。同時にまた、ビュフォンの体系においては、文体も自然も共に、個別の思考や生命を発生させるための「設計図(plan)」をアプリオリに有している。文体と自然史に共通するこの「設計図」は、常に流動性をもつダイナミックなものである。そして、人間の精神に内在する文体の「設計図」も、外在的な自然の「設計図」も、同じ「自然」の一部であり、前者は後者の転写である。つまり両者は、先験的にアナロジカルな構造を有していた、というのである。
博物誌家としての側面とは異なり、文筆家としてのビュフォンは古典主義の系譜に連なる、というのが従来的な理解であったが、大橋の発表はかような通説を裏返し、彼の修辞学もまた啓蒙主義のエピステーメーに属することを立証するものであった。

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【胚芽(germ)の概念について、ポリープの図像を関連させて説明する大橋】

この国際大会は5日間に渡って開催され、発表者は600名以上にも及ぶ大規模なものであった。その参加者のほぼ半数は、開催国である中国の研究者である。このような「数」の論理には、圧倒されることもしばしばであった。(二大公用語が英語と中国語であったことも、その一端を表わしているだろう。)昨今、中国の人文学分野では、膨大な海外文献の翻訳が驚くべき速さで進んでいると聞くが、今回の学会で研究者の層の厚さを目の当たりにし、納得がいった次第である。

膨大な数のパネルが同時並行する中、私が拝聴することができた発表はごく限られていた。そのような中で抱いた印象に過ぎないが、中国人研究者には、「Aesthetics」や「Philosophy」という外来の単語(とディシプリン)を継受する以前の自国の思想体系も「中国美学」「中国哲学」に含めて捉えた上で、それらを西洋的体系と拮抗する思考様式として提示する傾向が強かったように見受けられた。他方で日本からの参加者は、西洋もしくは近代以降の日本をテーマとする者がほとんどであった。近代以前の日本の思想体系についての研究(国文学の範疇なのであろうか)が、このような場で表に出てこないのは、残念なことに思われる。

今回の国際大会は、Aesthetics(美学)という名を冠しつつも、個々の発表のテーマとアプローチは多岐に渡り、実質的には広くHumanities一般についての、国際的なコミュニケーションの場であったと言えるだろう。日本の人文系アカデミアの現状を鑑みるに、国内学会は細分化され、ともすれば個々の学会毎にテーマや方法論に関する暗黙裡の制約――ないしは抑圧――も存在しがちなのではないだろうか。そのような障壁から抜け出し、「自分の話に耳を傾けてくれる者」を、狭義の「ディシプリン」はもちろん国境や言語を超えて探し出すために国際学会を活用するというのも、とりわけ越境的かつ挑戦的なアプローチを採用する若手研究者にとっては、有効な戦略なのではないかと考えさせられた。

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【近代的な中国(オリンピックスタジアム)、伝統的で壮大な中国(紫禁城)、そしてその中に残存している、昔ながらの日常風景(北京大学キャンパス内の青果店)】

(小澤京子)

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