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【報告】「近代東アジアのエクリチュールと思考」第5回

2010.06.30 └セミナー, 齋藤希史, 裴寛紋, 近代東アジアのエクリチュールと思考

第5回目のセミナーは「韓国における近代的ナショナリズム形成以前のネーション――尹致昊の日記(1889~1906)に書かれた「nation」――」と題し、発表は柳忠熙さん(比較・修士課程)が、コメントは裴寛紋(比較・博士課程/UTCP RA)が担当しました。
(発表5月14日、討論28日)

対象となったテキストは次の通りです.

【テキストⅠ】アンドレ・シュミット著・糟谷憲一ほか訳『帝国のはざまで』(名古屋大学出版会、2007年)第5章「民族という語り」
【テキストⅡ】尹致昊(ユン・チホ、1865~1945;朝鮮末期の啓蒙思想家)の英語日記(1889~1906)

発表の部(5月14日)では、最近の韓国における「親日」論争をはじめ、未だに根強い「民族」意識が残存している韓国ナショナリズムに対して、問題提起がなされた。テキストⅠによると、民族主義的な韓国ナショナリズムの形成は、1900年代から1910年代にかけて、申采浩(シン・チェホ、1880~1936)に代表される朝鮮史研究によって生み出され、植民地期を経て確立されたという。なお、こうした「抗日ナショナリズム」は現在の韓国や北朝鮮における「反日ナショナリズム」の原点として引き継がれている。
さて、テキストⅡの尹致昊日記にあらわれる「nation」は、「民族」としてのネーションが一般化される以前の用語である。そこで発表者は、今日の韓国ナショナリズムを相対化するために、「近代的ナショナリズム形成以前のネーション」を想定する方法を示した。

討論の部(5月28日)では、英語日記の「nation」の分析に加えて、『独立新聞』に載った尹致昊の論説に見られる「nation」との比較、さらに辞書類に関する補足があった。
続くコメントでは、韓国における開化派研究の問題点、とりわけ尹致昊に対しては彼の「親日」行為を理由に今まで正当な評価がなかったという事実を再確認した。ただし、それは(妥当な出発点ではあるが)あくまで大きな問題意識であって、問題の立て方としては「民族主義的ナショナリズム以前のネーション」の意味を積極的に問うべきであると指摘された。とくにエクリチュールの問題として彼の英語日記は非常に興味深い資料であること、また他の開化派知識人との比較を通して尹致昊の位置付けを考えることなどについて、発表者とのやりとりにフロアーからの質疑が加わって活発な議論が展開された。

(文責 裴寛紋)

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