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【報告】第1回「コミュニケーションとリハビリテーションの現象学」研究会

2010.06.30 └イベント報告, 池田喬, 科学技術と社会

2010年6月6日、第一回『「コミュニケーションとリハビリテーションの現象学」研究会—当事者研究、理論研究、臨床研究、支援技術開発をつなぐ』が、UTCP中期教育プログラム「科学技術と社会」の主催で開催された。

第一回目となる今回の研究会では、まず、石原孝二UTCP事業推進担当者から、「当事者研究、理論研究、臨床研究、支援技術開発をつなぐ」本研究会の趣旨説明が行われた。その後、(1)『発達障害当事者研究』(医学書院2008年)の著者であり、アスペルガー症候群当事者である綾屋紗月さんと、(2)同書の共著者・『リハビリの夜』(医学書院2009年)の著者であり、脳性まひ当事者である熊谷晋一郎さんが、それぞれの最新の当事者研究について発表した。

(1)綾屋紗月さん「その後の発達障害当事者研究」
綾屋さんは、「うまく話せないこと」を、通常考えられるような「発声器官の障害」としてではなく、「聴覚情報の非同期性を過剰に拾ってしまう身体」という特徴から理解することを試みた。とりわけのどを押しつぶして発声すること、けれどもその話し方が自身にとってはラクに感じられることの仕組みが探求された。

綾屋さんは「運動指令とフィードバック」に着目する。発声のフィードバックの内、「空気伝導フィードバック」は、自分の運動指令とは無関係の非同期な環境音(ノイズ)と共にフィードバックするため、運動指令と同期した自分の声だけを抽出することを要求する。しかし綾屋さんは、余計なノイズを排除できず、大量の刺激や情報を等価なものとして拾ってしまうため、このフィードバックを頼りにできない。また「他者のリアクションフィードバック」も人や場所によって変化するため信頼できない。したがって、「声帯からの体性感覚フィードバック」や「肉体伝導フィードバック」のように比較的安定し同期性が高い(が、公共性は低い)フィードバックが発声調整の羅針盤になる傾向がある。そのため、のどをつぶして話すことが自分には自然でラクに感じられるのではないかと考える。

また、〈まるで居酒屋にいるように騒がしく感じられる中から、同期した自分の声だけを拾いにくい→負けずに大きな声で話す→さらにフィードバックが増す→自分の声が聞こえない→さらに大声〉と大声がエスカレートしていく「ヒトリ居酒屋現象」についても語った(逆に、空気伝導フィードバックを音なしヘッドフォンで減らした場合、自分の声の輪郭がはっきりとし、普通に話せている感覚が得られるとも言う)。

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(2)熊谷晋一郎さん「痛みと記憶—二次障害をめぐって」
熊谷さんは、脳性まひ者がぶつかる問題としての「二次障害」への対応について発表した。まず、最近自身が経験した頸椎症性神経根症について、「安静を続けていると、ますます痛みが強くなってきたのに対して、慎重に動き始めたところ、痛みが和らいでいった」というエピソードが語られた後、痛みの「記憶」や「学習」である慢性疼痛の治療のポイントとしての「再学習」が取り上げられた。特に、「認知行動療法」には、「痛みがあるから、できない」から「痛みはあるけれども、できる」という肯定的な考えへの修正、あるいは「自己身体のイメージの書き換え」が含まれており、「慎重に動き始めたところ、痛みが和らいでいった」という経験との関連性が伺われる。他方、「痛み」は罰則ベースの運動学習における罰則の大きさを表すマーカーであることが指摘され、「目標の動きから外れると罰を与えるという監視的なリハビリ」を発達期に受けると二次障害に伴う慢性疼痛のリスクは増すのではないか、という問題提起がなされた。

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綾屋さん・熊谷さんの発表の後、続いて、お二人の著書についてあらためて質問会が行われた。議論の中で主要な話題となったものを要約しておく。

(1)「当事者研究」について、多くの障害当事者は自身を語り出せないでいるという事実、例えば、障害当事者の間でも、発声ができるかできないかなど、自身を表現する能力には個人差があるという事情がある。しかし、問題なのは、こうした議論において語りや表現の能力が話者に帰属されがちなことだ。実際には、聞き手の受容能力の貧しさによってコミュニケーションが成り立たないということもあるし、想像力や共感の能力を含む聞き手の受容能力によっては、表現は言語的なものに限られず、汗や心拍数などさまざまなアウトプットがありうる。当事者の「語り」の可能性はこうした対人的関係性の中で探られるべきだろう。

(2)脳性まひ者の「緊張」にとって一番大きいのは「自己否定のイメージ」かもしれない。人と違う振る舞いをなすことへの恐れなど、健常者のまなざしへの意識によって、緊張が高まっていき、体がこわばる。逆に、酔っ払って意識がなくなりそうな寸前に、緊張がほぐれ、コップを手にとる等、通常はできない行動が起こることがある。すると、リハビリは、指定された軌道から外れないように体をこわばらせて練習するという形態ではなく、自分の身体が動き出すように「緊張を解く」ものとなるべきではないか。

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今回の研究会は、参加者にとって、当事者研究の最先端の成果に触れ、理論的にも実践的にも多くの論点を学ぶ機会になったと思われる。綾屋さんと熊谷さんの緻密な当事者研究は、単なる体験談ではなく、知覚論・行為論・コミュニケーション論として哲学的に重大な指摘をいくつも行っている。「コミュニケーションとリハビリテーションの現象学」をどう「共生のための哲学」として展開できるのか。研究会を重ねる中で模索していきたい。

池田喬(PD研究員)

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