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アメリカ出張報告

2009.11.17 中尾麻伊香

2009年10月27日から11月9日にかけ、ワシントンD.C.とニューヨークに出張し、研究発表および資料調査を行った。

10月28日から31日にかけて、Annual Meeting of the Society for Social Studies of Science (4S)に参加した。この学会は、STS(科学技術社会論)関係で、最も長い歴史をもつ最大の組織である。会場となったのは、ワシントンD.C.の中心部からメトロで15分程度のCrystal CityにあるHyatt Regencyで、会議はホテル内の会場で4日間にわたって開催された。会議の詳しい情報は以下のページを参照されたい。
http://www.4sonline.org/meeting09.htm

私は、最終日の午後のセッションで発表を行った。発表タイトルは、“Prevention, Therapy, and Enhancement: Brain Images in Japanese Medicine Advertisements, 1896-1977”というもので、住田朋久氏(東京大学・UTCP)と朝倉玲子氏(岩波書店)との共同発表である(実際に4Sに参加したのは私のみ)。中尾と住田はUTCPの中期教育プログラム「脳科学と倫理」のメンバーとして、社会における脳のイメージについて、特に歴史的観点から検討を行っている。近年の脳に関する言説の氾濫は、社会における脳への期待の大きさを物語っているが、脳への期待は今にはじまったことではない。日本において脳に思考力があると考えられるようになったのは西洋医学の受容による。文明開化以降、迷信を払う啓蒙言説や記憶術ブームなどとともに脳が注目されるようになり、「脳病薬」とよばれる薬が登場する。医学的な「脳病」概念は、そうした動きに先行される形で明治30年代に広まった。発表では社会的関心と科学的言説をつなぐ存在として脳病薬広告に注目し、先行研究をふまえながら、主に当時の代表的な脳病薬「健脳丸」の広告から日本における脳イメージの形成過程を検討した。興味深いのは、脳病薬と謳われていた薬の効能が、便秘薬であったということだ。これは心身一如という東洋医学の考えに基づいているが、便秘薬が脳病薬として売り出された事実からは、当時の身体観や、脳への期待の大きさがうかがえる。質疑では、脳病患者は脳病薬を飲んだのかどうかということや、日本の医療・製薬業の特殊性に関する質問が提起された。私の発表したセッションは、薬の使用、治療とエンハンスメントをテーマとしたものだった。全体としては患者の側における薬の選択の問題が中心的に議論された。私たちの研究でも、実際にどのようなひとびとが脳病薬を飲んだのか、脳に効く薬だと受け入れられていたのかという点については今後調査すべき課題であると考えている。

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(写真:カンファレンスディナーの様子)

今回の4Sの発表テーマは、ナノテクや生命科学関係の多さが目立ったが、とにかく規模が大きく全体を総括することは不可能である。核廃棄物をめぐって原子力研究者とSTS研究者がコラボレーションしたセッションや、原子力をめぐって市民団体とSTS研究者とが語り合うというセッションもあった。前者では、原子力業界のPRのためにSTS研究者が利用されているのではないかという懸念に始まる喧々諤々とした議論がなされた。意図は常に問われるべきであるが、こうした対話の試みは必要であるし続けられるべきだと感じた。戦争をテーマとするセッションでは、発表者が自作の映像を流しながら朗読するなど演出にこった発表もあり、プレゼンテーションの仕方も多様であった。4Sのよさはオープンであるということに尽きると考える。それは学問領域や国境によって分断された研究者を結びつけるという学会の理念からくるものであり、これが4S特有の活発さを生んでいるといえる。私自身、思っていた以上に、研究分野の異なる関心の近い研究者たちと出会うことができ、大きな励みとなった。
来年の4Sは8月25日から29日にかけ東大駒場で開催される。アブストラクトの締切は1月15日となっている。駒場での開催というまたとない機会なので、積極的に参加したい。
http://www.4sonline.org/meeting.htm

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4Sのあと、国立公文書館での資料調査、エノラ・ゲイ機の展示の調査を行った。エノラ・ゲイ機はスミソニアン国立航空宇宙博物館別館のスティーブン・F・ウドバー・ハジー・センターに展示されている(写真上)。スミソニアン国立航空宇宙博物館で原爆投下50周年に企画された展示をめぐってまきおこった論争、そしてその後の展開は、私の研究の出発点といえる。論争の結果、エノラ・ゲイ機が被爆地に与えた影響の展示はなくなり、単に機体の技術的説明に焦点をあてた展示へと変更されたのであった。現在もエノラ・ゲイ機には簡単な解説パネルがつけられているのみである(これは博物館に展示されているその他の機体についても同様)。解説には、広島に原爆を投下したという記述はあるが死傷者数は載っていなかった。エノラ・ゲイ機の横には、あたかも当時の日米の技術力の違いを示すように、はるかに小型な日本の戦闘機「キ45改」や「紫電改」、特攻機「桜花」が並べられていた(写真下)。 

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(写真:奥はエノラ・ゲイ機)

ワシントンD.C.での調査のあと、ニューヨークへと向かった。ニューヨークではまずイントレピッド海上航空宇宙博物館を訪れた。イントレピットは1943年から1973年まで活躍した米海軍の空母である。任務を終えた後、博物館としてリニューアルされ、公開されることとなった。イントレピッドの歴史を中心に、潜水艦や航空機なども展示されている。イントレピッドは第二次世界大戦中に数度にわたって特攻機の攻撃を受け、数十名の死傷者を出した。この出来事はイントレピッドの歴史の中でも重要なメモリアルとして記録されている。そして展示は、死者を称え、イントレピッドが日本の攻撃機を何機撃ち落としたか、戦鑑を何隻沈めたかということを、誇らしげに伝える。

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イントレピッドのとなりには、ワールド・トレード・センターの鉄材を用いて作られた軍艦が停留していた。9.11の記憶は、このように国家防衛(そして攻撃)と物質的にも結びつけられている。この軍艦は私の滞在中にちょうどニューヨークに寄港しており、軍艦の外には見学のための長蛇の列ができていた。軍事がとても身近な存在であるアメリカ、を感じた一コマであった。

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ニューヨーク行きの主な目的は、コロンビア大学での研究発表であった。この企画は、コロンビア大学の院生で日本に留学中のAdam Bronsonさんが、コロンビア大学東アジア研究所教授のCarol Gluck先生と大学院生のYumi Kimさんを紹介してくれたことで実現した。Adamさんとは5月にUTCPの主催したGraduate Conferenceの際に知り合ったので、UTCPの縁ということになる。

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コロンビア大での発表はBenkyokaiという研究会のスペシャルイベントとして開催してもらい、"Imagining and Representing the Superweapon: Scientific Discourse on Atomic Weapons from Pre-war to Post-war Japan"というタイトルで、博士論文につながる研究について話した。これまで、戦前から戦時中にかけての原爆に関する言説を分析していたが、今回はこれらを戦後の言説とつなげて理論的に考察することが本発表の目標であった。何故ならCarol Gluck先生は戦争の記憶に関する示唆に富む論考を書いており、さらに長崎での原爆の語りを研究しているChadさんという院生もいたからである。また、これまで以上に研究の意義と目的を明確にすることも意識して発表を行った。研究会の参加者は、日本史を専攻している院生が多く、小規模ながら熱気のある会になったと思う。発表後のディスカッションでは、たとえば、小説の中で想定された敵国はどこかということや、読者の問題、publicとpopularのちがいなどが議論された。私自身も検討していたいくつかの論点について意見交換したり、また新たな論点に気付かされたりした。戦前から戦後へのつながりについては分析しきれない点が残ったが、Gluck先生から有益なコメントをいただいた。発表後にも大学近くのお店に移動して話は続いた。コロンビア大の人々と研究の意義を共有することができたことは、今後の研究活動への大きな励ましとなった。

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今回のアメリカ出張での2回の研究発表を通して、海外の研究者からの日本の事例への高い関心を感じた。4Sでは、日本における科学技術観や科学技術政策に関する話題がセッションで議論されたり、会食中に尋ねられたりした。私は「日本」を研究対象としており、国際学会では、日本の事例を紹介するだけでも新鮮で興味深いという反応をもらうことができる。その事例をどこまで深められるか、さまざまな領域における議論と接続できるかが今後の課題であると考えている。
以上、とても充実した出張となった。お世話になった皆様に感謝いたします。

報告:中尾麻伊香(UTCP若手研究員)

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