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自由研究ゼミ「いま、知の現場はどこにあるのか」開講

2009.10.02 └哲学と大学, 西山雄二

学生の依頼と発意により自由研究ゼミ「いま、知の現場はどこにあるのか——大学、批評、出版、書店」(担当:西山雄二)が冬学期木曜5時限目(16.20-17.50)に開催されます。UTCPでの共同研究「哲学と大学」の続編に相当し、今度はむしろ学部学生との教育的な協同作業となります。履修者でなくとも毎回、聴講自由ですで、関心のある方はご参加ください。

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学生による全学自由研究ゼミナール(2009年度冬学期 時間割コード21171 ) 
「いま、知の現場はどこにあるのか——大学、批評、出版、書店」
毎週木曜5時限目16.20-17.50 東京大学駒場キャンパス 515教室
担当教員:西山雄二(東京大学特任講師)
履修者でなくとも各回聴講自由

【概要】
 現在、グローバル資本主義における知識基盤経済の競争のなかで、大学は経済的な価値観によって決定的な変容を被っており、大学固有の理念を構想することが難しくなっています。社会からある程度自律した大学の「孤独と自由」を前提として、学問の宇宙を想像することはもはや困難です。確固たる「大学の理念」は失われ、「大学は必要なのか」「大学は可能なのか」といった問いに大学は曝されています。

 本ゼミナールでは、おもに人文学(とくに哲学)の知見を参照しつつ、人文科学―社会科学―自然科学の関係、教育―研究の関係、職業教育―教養教育の関係、教師―学生の関係、大学と在野の関係など、大学や学問を構成するさまざまな関係を浮き彫りにします。また、本ゼミナールでは狭義の大学だけではなく、出版やネットにおける批評や創作活動の現状を踏まえて、いま、知のアクチュアリティはどこにあるのか、を討議します。そのために、大学人だけでなく、文部官僚、批評家、出版人、書店員といった多彩なゲストスピーカーをお招きして参加者とともに議論します。

【日程】
10/8 初回ガイダンス(西山)
10/15 「大学という問い」(西山)
10/22 「教養の行方」(西山)
10/29 「日本の大学の現状と展望」ゲスト:鈴木敏之(東京大学本部経営支援系統括長)、合田哲雄(文部科学省大臣官房会計課副長)
11/5 「駒場キャンパスと教養」ゲスト:小林康夫(東京大学教授)
11/12 「知の交流空間の創造——シノドスの試み」ゲスト:芹沢一也(シノドス主宰)
11/19【情報更新】ワークショップ「大学の未来――『現代思想』2009年11月号を読む」@18号館4階コラボレーション・ルーム3
11/26 「編集者とはどういう生き物なのか」ゲスト:河村信(編集業者)
12/3 「批評の現在形」ゲスト:宇野常寛(批評家)
12/10 「人文書を販売することの喜びと苦しみ」ゲスト:辻谷寛太郎(東大生協本郷書籍部)、永田淳(早稲田大学ブックセンター)、阪根正行(ジュンク堂新宿店)
12/17 学生発表
1/14 学生発表
1/21 総括討論(西山)

【ゼミ開催に向けた「東大批評」によるインタヴュー】

質問者——まず先生はシラバスの目標概要で、確固たる「大学の理念」は失われ、「大学は必要なのか」「大学は可能なのか」といった問いに大学が曝されているのだという問題提起をなさっています。このことについて教えていただけますか?

西山雄二——初回ガイダンスが終わった後に、2回、私がお話をする回があります。第1回目は「大学という問い」、第2回目は「教養の行方」というタイトルになっています。

近年、大学はその存在意義をますます問われる場所になってきています。一番最近の例で言うと、2004年の4月から日本では国立大学が一斉に独立行政法人化されました。これは明治以来、日本におけるもっとも大きな大学の改革です。また、それ以前の大きな改革としては1991年の大学審議会による大綱化があげられます。これは「大学の自由化」といってもよいと思います。つまり、これまで大学という場所は、カリキュラムがどれくらい充実しているのか、キャンパスの広さがどれくらいあるのか、図書館の本の数はどのくらいあるのかといったクオリティの基準を文科省が定めることで創設されてきました。しかし、91年の大綱化によって、そうしたクオリティの事前規制がなくなりました。その結果大学は比較的緩やかな条件のもとで創設され、また各大学で自由にカリキュラムやキャンパス、施設をつくってよいということになりました。これは現在の新自由主義の流れとも合致する、競争と自己規制、事後評価の流れの中での改革です。

では、この制度改革で何がもっとも大学にとって致命的だったかというと、それがまさに「教養」だと思います。それまで日本の大学では一般教育科目と専門教育科目とが分かれていました。一般教育科目では人文・社会・自然科学からそれぞれ36単位ずつ履修することが義務付けられていました。第2外国語、体育も必修でした。それが91年の大綱化で廃止され、各大学が自由にカリキュラムをつくってよいということになりました。その結果、実学ではない、外国語や人文社会科学のウェイトはどんどん減っていきます。アメリカやヨーロッパにおいては、教養科目というのはリベラル・アーツという伝統的な科目によって主に人文科学が担っていました。「教養」とは応用科目の基礎をなす幅広い学識ですが、日本では91年の改革によって、大学の核心をなす「教養」とはいったい何なのかということが分からなくなってきています。最近言われている「学士力」は、ある種の能力主義でもってかつての教養概念を名づけ直そうとする兆候です。これが今回のゼミで、「大学の存在」を東京大学の「教養」学部で問う最大の意味のひとつです。

質問者——今回のゼミナールの特色は、多彩なゲストスピーカーを招くことにあると思います。西山先生が今回のゼミナールに期待することを、各回の内容にも触れながら教えていただければと思います。

西山——まず、今回のタイトルに「現場」という言葉が入っています。大学というのは、世界に対する本質的問いが研究・教育という形で生まれてくる、そういう場所です。そういう根源的な問いが生まれてくるためには、大学がもっとも生き生きとした場所でなくてはなりません。ですから、今回は、さまざまなジャンルのゲストを呼ぶことで、講義とは違った形で大学という場所をつくっていくつもりです。

ゼミナールの序盤では大学に関係する人たち、文部科学省の関係者の鈴木敏之さんと合田哲雄さん、東京大学教授の小林康夫さんをお招きして、大学の現状と展望について議論をしていきます。

11月12日にはシノドスセミナーを主催されている芹沢一也さんをゲストに招きます。芹沢さんは大学の外で自立した知の交流空間を運営されています。ですからこの回は、大学の外から大学を問うという回になります。

大学の研究活動は出版活動と切り離すことができません。11月26日には『思想地図』など編集で知られる編集業者の河村信さんにお越しいただいて、出版についてお話を伺います。またそれと関連して、批評家の宇野常寛さんをお呼びして、批評の現在形についてお話を伺います。

最後に、これはあまり意識されないけれどもとても重要なことなのですけれども、書店は知の現場としてきわめて重要です。そこで、辻谷寛太郎さん、永田淳さん、阪根正行さんという書店員の方々をお呼びして、人文書を販売するということはどういうことか、お話をうかがいます。

質問者——では、最後に、このゼミに参加する学生にむけてメッセージがありましたら、よろしくおねがいします。

西山——大学は中世から講義とゼミによって構成されています。講義はlectureですけれども、語源的には「読むこと」です。決められたテクストを皆で一緒に読んだり、あるいはそれをもとにして教師が解釈を加えるというのが「講義」です。他方で、ゼミナールは、むしろ学生と教師がともに真理をめざして議論をする、そういったスタイルです。ゼミナールの語源は「種 same」で、ゼミナールは「苗床」のことです。教師と学生がともに知の種をまくという作業にあたります。講義とは違って、教師と学生とが共に問いを発しあうことがゼミナールでは重要になります。今回のゼミでは学生発表の回も設けていますけれども、それぞれの回で質疑応答の時間をとりますので、その時間に積極的に発言されることを期待します。

(文責:西山雄二 質問者:前田和宏〔東京大学教養学部2年〕)

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