Blog / ブログ

 

【UTCP Juventus】桑田光平

2009.09.01 桑田光平, UTCP Juventus

2009年のUTCP Juventus、第12回は特任研究員の桑田光平が担当します。

専門は20世紀フランス語圏の文学・美術です。これまでの主な研究内容、そして現在の関心は以下の二つです。

(1)ロラン・バルトを中心とする20世紀フランスの批評・文学

今年6月にパリ第4大学(ソルボンヌ)での口頭審査を通過した博士論文では、ロラン・バルトが『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(1975)の中で提起した《道徳性》(moralité)という概念――ただし概念化した途端に消滅してしまうような矛盾した概念――について考察しました。《道徳性》とは、言語がもつ定義づけの力を裏切るような仕方でしか考察できないものであり、バルトは《道徳性》を「友情」、「俳句」あるいは「メモ書き」、「断章」、「意味の免除」、「零度」といった問題系と結びつけながら、概念として考察するのではなく、文学的実践(エクリチュール)として展開しています。同時に批評的であり、文学的であり、演劇的であり、詩的であるような、狭義の文学ジャンルには分類しがたい70年代のバルトのテクスト群はこの《道徳性》の観点から考察されなくてはならないでしょう。バルトは社会的通念(ドクサ)、ステレオタイプ、紋切り型――初期の『零度のエクリチュール』や『現代社会の神話』では、それらはブルジョワ的価値観の反映だと考えられています――に絶えず抵抗し続けましたが、その抵抗の仕方は、ダダやシュルレアリスムのように、あるいはヌーヴォー・ロマンやテル・ケル派のように、明確に破壊的・秩序転覆的なものではなく、ブレヒトを経由した「間接的」なものであり、また、マルクス主義者やサルトルのように階級闘争的・道徳的なものではなく、ニーチェを経由した「個人主義的」なものでした。時代が下るにつれ、ますますこの「間接的」・「個人主義的」抵抗の方法は洗練されます。その結果、70年代のバルトのテクストは、一見、政治や倫理の問題から離れた快楽主義的なものに見えるわけです。70年代の彼のテクストが快楽主義的だというのは間違いではありませんし、サルトル主義者から、記号論者へ、そして快楽主義者へという具合にバルトは絶えず立場を変えていったと言うことはできますが、博士論文では、そうした変容の中に絶えず働いている一貫した彼の倫理的かつ美学的な思考と、それを具現化する彼の文学的実践のダイナミズムを、同時代の作家、彼が影響を受けた作家たちとの連関のなかで描き出そうとしました。

また、2年ほど前から『水声通信』(水声社)でバルトについてのエッセイを細々と連載させていただいています。こちらは終始一貫したテーマに沿ってバルトを論じるというよりも、毎回異なるテーマ――多くは、博士論文の執筆から漏れた小さなテーマです――を扱っています。


(2)戦後フランス詩と造形芸術の関係

シュルレアリスム以降のフランス現代詩、なかでも雑誌『エフェメール』に集まった詩人たち(アンドレ・デュブーシェ、フィリップ・ジャコテ、イヴ・ボヌフォワ、ジャック・デュパンら)に関心を寄せ、彼らが主に造形芸術とどのような関係を結び、そして、それがどのように彼らの詩作に影響を及ぼしてきたのかについて研究しています。『エフェメール』周辺の詩人たちは日本ではあまり知られていませんが、若き日のポール・オースターが傾倒したことでも有名であり、欧米の現代文学に少なからぬ影響を及ぼしているといえます。これまで論文の形で発表したのはアンドレ・デュブーシェとジャコメッティの関係、とりわけデュブーシェの詩における「余白」の問題と、彼のジャコメッティ経験との関係についてです。デュブーシェの詩に特徴的な「余白」の支配や、シンタクスの破壊、メタポエム的性格などは即座にマラルメを想起させるのですが、「造形芸術との対話の場」として創刊された『エフェメール』の理念や、ジャコメッティの書いたテクストとの間テクスト性を考えれば、マラルメ以上にジャコメッティが彼の詩作にとって重要な役割を果たしたことは間違いありません。

デュブーシェに限らず、ボヌフォワやデュパンらもジャコメッティの芸術に強く関心を抱きジャコメッティについての著作を物しているわけですが、彼らの共通の関心の一つは、ジャコメッティの作品が示す「現実性(réalité)」だといえます。よく知られているように、ジャコメッティは一時期シュルレアリスム運動に参加した後、すぐに運動を離れ、「目に見えたものをそのまま描く」という独自の道を歩みました。この「現実」をどのようにつかまえるかという問題は、シュルレアリスム以降に詩を書く人々にとっても同じく重大な問題だったわけです。したがって、『エフェメール』の詩人たちがジャコメッティに関心を寄せたのも当然だったといえるでしょう。こうしたことを考慮に入れつつ、現在では『エフェメール』の詩人たちの作品とジャコメッティの芸術との関係についてより広い視野で研究を行っています。

Recent Entries


↑ページの先頭へ