Blog / ブログ

 

【報告】日中哲学フォーラム

2009.09.24 北川東子, 森田團

去る4月25‐26日、中国社会科学院哲学研究所・遼寧大学・中華日本哲学会・日本哲学会主催にて、中国・瀋陽の遼寧大学において「第二回 日中哲学フォーラム」が開催された。UTCPから事業推進担当者の北川東子教授とPD研究員の森田團――今回のブログ報告もあわせて担当する――が参加した。

090425_Shinyo_04.jpg

 フォーラムは、「環境・生命・共生に関する哲学の新展開」、「グローバリゼーションと東洋‐西洋の思想的協同」、「若手特別分科会」の三つの分科会が並行して行なわれた。報告者は若手研究者フォーラムに二日間続けた参加した。他の若手研究者の発表も刺戟的なものばかりだったので残念だが、コメントを担当した廈門大学の呉光輝副教授の発表と報告者自身の発表(コメントは呉さんが担当してくれた)についての報告のみを行なうことにする。

 現在、京都大学で西田幾多郎と儒学の関係についての博士論文を準備中でもある呉さんは、今回の発表「西田哲学と儒学思想の対話」においても両者の関連に焦点を当てていた。まず彼は『善の研究』における陽明学の影響を指摘する。実際、若き日の西田は陽明学だけではなく、井上哲次郎、三宅雪嶺といった陽明学研究者にも影響を受けていたが、呉さんは、『善の研究』に見られる「知行合一」の概念の独特な解釈、さらにそれを基盤として「至誠」の解釈に呉さんは光を当て、それがたんなる儒学思想の引用、受容ではなく、哲学的な再解釈、根拠づけであることを明らかにする。その後の「格物至知」の解釈においても同じことが当てはまるのである。

090425_Shinyo_01.jpg

 発表ではさらに、西田の陽明学、朱子学、日本の儒学的伝統などの批判と接近が、時代ごとに追われ、最終的に西田にとって、儒学思想との「対話」が、周縁に追いやられ、いわば抑圧されたことが、明治以来の日本哲学が行なった儒学思想の受容とともに解釈されていた。西田にとっては、儒学は自らの思想を確立するために必要不可欠な要素ではあったが、西洋哲学との対決、そして日本固有の文化的伝統の再確認のためには、ネガティヴな役割しか演じるしかなかったのである。呉さんは、この十分に実現したとは言えない儒学との対話をもう一度精密に辿り直し、ありうべき西田と儒学との対話の可能性を掘り起こすことによって、西田哲学の東洋的伝統との関係を再考するだけではなく、現在の儒学思想再興の機縁を見出そうと試みていた。この企ては博士論文で十全な展開を見ることだろう。

 報告者は、「歴史哲学と決断――高坂正顕の場合」と題して、高坂の歴史哲学が、大東亜共栄圏を支持するに至る筋道を『民族の哲学』に収録されている「大東亜共栄圏への道」を主要テクストとしながら辿った。高坂にとって歴史哲学は哲学の営みの核心を形成するものであって、哲学の下位部門ではなかった。哲学は「基礎づけ Grundlegung」だけでなく、「方向づけ Orientierung」の学問だからである。歴史哲学は、この方向付けを担うのであり、方向付けを現実に媒介するのが決断という行為なのだが(ここで歴史哲学と政治哲学が交叉する)、この行為は、高坂にとって主体的なものではなく、むしろ出来事として生起すべきものだった。決断とはいわば(民族的)「自然」の生起なのである(同時にそれは反論不可能な「自然」の意志である)。そのとき広域としての大東亜共栄圏(高坂は「広地域」という言葉も用いる)とは、高坂にとって、この決断の自覚の帰結であった。なぜなら、おそらくこの決断の主体としての自然は、たんに国家を支える基盤ではなく、幾重にも媒介された「東亜」の関係の基盤だからである。このような高坂の論理の再構成によって見出そうとしたのは、大東亜共栄圏を支持するに至る内的な哲学的論理だけではなく、その内在的な批判の可能性であった。それを見出すことこそ、京都学派の哲学を受容することにほかならないからである。

090425_Shinyo_02.jpg

 おそらく、高坂の歴史哲学に先鋭的なかたちで現われている思考の批判可能性は、高坂だけではなく、高山岩男、そしてまた由良哲次の「東亜」に関する著作を勘案しながら、この時代の哲学を綜合的に読解することによってのみ見出すことができるように思われる。

 先日、このフォーラムの日本側の発表を集めた冊子『哲学の現在』(日本哲学会国際交流ワーキンググループ編)が完成した。関心のある方はUTCP事務室にお寄りいただきたい(残念ながら現在は閲覧のみ)。目次は以下の通りである。

種村完司 まえがき

I 「日中哲学フォーラム」基調講演
高山 守 「因果必然性と自由」

II 環境・生命・共生に関する哲学の新展開
尾関周二 「共生理念と持続可能な社会の構築へ向けて」
北川東子 「共生とジェンダー――被害の分断から公共の世界へ向けて」
河本英夫 「複雑系(complex system)と環境」
忽那敬三 「遺伝子技術の展開に内在する両義性について」

III グローバリゼーションと東洋―西洋の思想的協同
碓井敏正 「人権の普遍性とその多元的展開」
納富信留 「「哲学」の普遍性――古代ギリシアと現代日本の対話」
李 彩華 「橘樸の東洋的共同社会論の思想――過去から現在へ」
古茂田宏 「自然と権利――明治期における進化論受容に即しつつ」

IV 現代における日中の哲学的諸問題
澤 佳成 「現代日本における「自己責任」観念の思想的分析の試み」
森元良太 「進化と偶然――日本人生物学者がもたらした新しい知見」
稲垣 諭 「リハビリテーションの現象学」
森田 團 「歴史哲学と決断――高坂正顕の場合」

V 遼寧大学における講演
岩田靖夫 「アリストテレスの正義論」

種村完司 あとがき

090425_Shinyo_03.jpg


なお文中に挟んだ写真は、すべて東洋大学の稲垣諭さんの提供によるものである。ここにしるして感謝したい。

(報告: 森田 團)

Recent Entries


↑ページの先頭へ