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UTCPイスラーム理解講座第9回“Intercultural Exchanges between Western Europe and the Arab World: A Utopia?”

2009.06.15 渡邊祥子, イスラーム理解講座

2009年6月4日、リヨン第二大学名誉教授フランシス・ガンル教授を迎え、UTCPイスラーム理解講座第9回『西ヨーロッパとアラブ世界の文化間交流:ユートピアか?』が開催された。

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ガンル教授はシェイクスピア研究者であると同時に、舞台演出家の顔を持っている。彼はまた、チュニジアやシリアなどのアラブ諸国で長年を過ごしたアラビストでもあり、アラブ文学や歴史に関する卓越した知識の持ち主である。
 アラブ文化に魅力を感ずる西洋の学者として、彼はまず、西洋とアラブ世界の文化間交流の困難と課題を指摘した。一方において、多くのアラブ人知識人はアラブ文化(しばしばアラビア語と同一視される)に対する愛着を示しており、その文化は他者によって所有されてはならないものと考えられている。この態度は、モロッコ人研究者キーリートゥーの著作の題『あなたは私の言語を話してはならない』に端的に表れている。他方において、フランスにおけるアラブ人(多くは北アフリカの人々)の存在はますます重要なものとなっているにもかかわらず、これらの同国人の諸文化について、フランス人のマジョリティはほとんど知識を持っていない。二者の間には障害と境界が存在するのである。
 アラブ世界に対する西洋の誤解は、オリエンタリズムという歴史的背景を持っている。オリエンタリズムは、西洋の文学や音楽における「東洋的な」表現様式の影響として始まったが、西洋(とりわけイギリスとフランス)の植民地主義が19世紀にアラブ世界にまで拡大するにいたって、ここにより暴力的な側面が付け加わることになる。それは、文化的な搾取という側面である。軍事力に裏付けられた西洋は、アラブ文化を研究する中で、アラブ文化に対するさまざまのイメージや紋切り型を生み出していく。例えば、アラブ人の宗教が正当化する運命論的な態度や、安易で怠惰な生活、恒久的な独裁政治、といったイメージである。アラブ人やムスリムに対するこうした捻じ曲げられたイメージは、今日まで続いている。旧ユーゴスラビアの紛争において、ムスリムが「民族」グループのひとつと見なされたことは記憶に新しい。このような状況において、文化間交流はどのようにして可能なのだろうか。交流という考えは、ユートピアに過ぎないのだろうか。

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 西洋とアラブ世界の分化間交流の可能性を示すものとして、ガンル教授は、アラブ世界において近年行われたシェイクスピア作品の「換骨奪胎」の例を紹介した。シェイクスピアの戯曲に基づきつつ、アラブの演出家たちはそこに新たな解釈を加え、彼らの舞台を単なる翻案劇以上のものにしている。多くのアラブ演劇家にとって、シェイクスピアの上演は、彼らの国々について急進的な政治的意見を表現するための洗練された手段となりうる。例えば、クウェート人スライマーン・バッサムはその作品『ハムレット・サミット』において、現代中東の政治に関わる物語を語っているのである。ハムレットの王国は、彼の叔父で彼の父の代わりに王位に就いたクラウディアスによって推し進められる「新デモクラシー」政策によって脅かされている。古くからの敵で、外国の軍事力の後ろ盾を受けたフォルティンブラスの攻撃が引き起こした危機の中で、ハムレットの妻オフェリアはテロリストとなり、自爆テロを敢行する。出来事を語る際に演出家が用いるレトリックの魔術は、シェイクスピアの原典にある牧歌的な場面を、血なまぐさいものに変えてしまう。こうしてあたかも、全ての物語が中東の緊迫した状況の中で起こっているかのように思えてくる。
シェイクスピアの換骨奪胎の第二の例は、シリア人演出家ラムズィー・シュカイルの『ザィール・サーリムとハムレット王子』である。この戯曲の一部は、伝統的なアラブのスィーラ(大衆的叙事詩)に基づいたものである。この有名なスィーラの主人公であるサーリム王子は、部族のおきてによって互いを殺しあう状態に陥った二つの王族の復讐物語のさなかにある。他方において、やはり正義と復讐の間のジレンマに苦しむ王子であるハムレットが登場する。この戯曲が非凡なのは、二人の主人公が相手の物語に対し、文字通り参加し合う点である。ハムレットはサーリムの物語の登場人物を演じ、サーリムはハムレットの物語の人物を演じる。二人の独白も、交互に行われることによって、ただ一つのせりふをなしているかのようになる。こうした対話と相互作用を通じて、二つの物語は正義と復讐に関する一つの物語に織り合わされていく。ハムレットが代表する西洋と、サーリムが具現化する東洋は、このようにして出会い、交流し、結び合わされるのである。

 質疑応答においては、「オリエンタリズム」の概念について、また、それを克服すべき文化間交流の可能性について、複数の質問が出た。
 西洋と東洋の歴史的な関係を対立的に捉える見方に異議を唱えた質問者に対して、ガンル教授は、軍事的な対立とは別に、とりわけ経済面での相互交流が間違いなく存在していた点を強調した。ただし、西洋においては、東洋への恐怖と不安の感情が、東洋への一般化したイメージ形成のためにしばしば利用され、動員されてしまうのである。
 また同時に、アラブ人側にも一種の「オクシデンタリズム」が存在する。つまり、西洋やアメリカのテレビ番組や映画を通じて得られた一連の表象のことであるが、これによってアラブの人々は、西洋について暴力的で物質主義的なイメージを抱いている。
 二つの世界の間の文化間交流の可能性については、現在の状況においては、彼はペシミストであらざるを得ないと述べた。アラビア語の言語としての複雑性や難しさに加えて、政治家たちの文化交流に向けた行動の欠如があり、個人の努力にすべてがかかってしまっている。
いまのところ、文化間交流はユートピアであるかもしれない。しかし、演劇の魔術は、東洋と西洋を対立的に捉える「二元論的」な言説を乗り越える方法を、少なくとも象徴的に示したのである。

(文責:渡邊祥子)

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