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【報告】UTCPワークショップ「ロスコ的経験——注意 拡散 時間性」

2009.06.15 近藤学, イメージ研究の再構築

5月22日、UTCPワークショップ「ロスコ的経験——注意 拡散 時間性」が行われた。

UTCPでは三浦篤教授を事業推進者として、新中期教育プログラム「イメージ研究の再構築」を本年度秋から開始する。今回のワークショップは正式発足に先立つプレイベントとして開かれたものである。

川村記念美術館(千葉県佐倉市)では展覧会「ロスコ 瞑想する絵画」が6月11日まで開催されていた。戦後アメリカを代表する抽象表現主義画家マーク・ロスコ (1903–70) は世界中で高い人気を博し、日本国内でも川村美術館をはじめ、彼の作品を所蔵する機関は少なくない。さらに通称「シーグラム壁画」に焦点を合わせた上記の展覧会はきわめて充実したもので、実作品を前にしてロスコについて再考する絶好の機会を提供していた。

そこで本ワークショップはこの展覧会に呼応しつつ、気鋭の美術史家/美術批評家三名をお招きし、〈ロスコを見る〉という経験の諸相に光を当てようと試みた。ゲストは林道郎さん(上智大学教授)、田中正之さん(武蔵野美術大学准教授)、加治屋健司さん(広島市立大学准教授)。企画と司会は近藤学(UTCP)が担当した。 林さん、加治屋さんは川村展のカタログにそれぞれ充実した論考を寄せられており、田中さんも近年、抽象表現主義とアンリ・マティスの関係に注目する講演を行っている。今回の発表は各自が先行する自らの議論にもとづきつつ、さらなる展開を目指すものであった。


加治屋健司さん

はじめに加治屋健司さんが、1930年代から50年代、具象から抽象絵画へと至るロスコの歩みを、画家ミルトン・エイヴリー、クリフォード・スティル、また批評家クレメント・グリーンバーグら同時代人たちとの関連から辿りなおした。コンポジション、色彩の選択、絵具の塗り、キャンヴァスの形状やサイズ、展示法といった具体的な細部を繊細に検討し、さらに画家自身がさまざまな機会に残した発言を広く参照しつつ加治屋さんは、ロスコが初期から一貫して自作に人間像に似た性質を与え、そうすることで絵画と鑑賞者とのあいだに(二人の人間同士が向かいあうときのような)対話的関係が成立することを望んでいたと論じる。画家自身が「親密さ」と呼ぶこうした関係のあり方と、吉本隆明の「対幻想」概念との平行性を示唆して発表は締めくくられた。[加治屋さんによる補足 (5/24)


林道郎さん

つづいて林道郎さんは中期から晩年にかけての三つの壁画(室内装飾)プロジェクトを分析した。自作がいかに見られるかにロスコがきわめて敏感であったことは加治屋さんの発表でも示されたところである。50年代を通じ、この関心は作品の展示条件(照明、掛け方)へのこだわりとして現れていた。したがって室内装飾はロスコにとって、絵の置かれる環境自体を思いどおりに造形できる点で願ってもない好機であったといえる。だがそれはまた、ロスコの芸術にひとつの重大な変化、さらには危機をもたらさずにはいなかった。これを林さんは「単身像的対面構造」と、水平に広がる「場」のあいだの矛盾に由来するものと要約する。 加治屋さんの発表でも示されたように、円熟期のロスコの抽象が人間(身体)同士の対峙にも似た、濃密な体験を約束していた。対して室内装飾プロジェクト群においては、視線はむしろ複数の絵画=焦点のあいだで拡散し、焦点性を失わざるをえない(じっさい壁画プロジェクトのうち初めの二つは、この点に関するかぎり失敗に終わった)。しかし最後の企てとなったテキサス州ヒューストンのロスコ・チャペルに至って、この矛盾は独特な解決を与えられる、というのが林さんの読みである。ここでロスコは八角形の室内に絵画を並べていくさい、つねに隣り合うキャンヴァス同士が三点でひとつのまとまり——いわば三連画——を形成するよう仕組んでいる。それら単位のそれぞれが、かつて一点のキャンヴァスの担っていた焦点化の効果を保証する。と同時に、そのつど眼前にあらわれる「三連画」に集中するさなかで、観る者の意識には横/背後に位置するべつの「三連画」が、予期として、または記憶として、入り込んでくる。停止と旋回、切断と連続、焦点化と拡散、注意とその散逸の相互浸透こそ、ロスコ的経験が最終的に到達した地点だ、と林さんは結論づけた。


田中正之さん

三番目に登壇された田中正之さんは、前述のようにマティスとの連続性という点からロスコ作品の、とりわけ色彩の振る舞いに光を当てた。抽象へと転換しつつあった40年代末、ロスコがマティスの《赤のアトリエ》(1911年)を繰り返し、長時間にわたって眺めつづけていたことはもはや伝説となっている。だが、ならば彼はこの絵にいったい何を見たのか。マティス自身の証言や作品の検討を通じて田中さんはまず〈色彩の変容〉という主題を読み取る。第一に、対象の次元における色彩の変容。《赤のアトリエ》を制作中、マティスは自分の描こうとする対象(=室内)の色彩が、あるときを境に別の色彩に変化して見えたという経験を語っている。これは第二の、作品の次元での色彩の変容に直結している。《赤のアトリエ》を仔細に吟味してみれば、現在の赤に先立って、別の色彩が塗られ、赤に覆われたかたちで潜在していることがわかるからだ。いったんこのことに気づくと、初めは安定した一様なものと見えた赤は、私たち観る者にとって、複数性をはらんだ不安定で移ろいやすい色彩へと変貌する。そして円熟期のロスコの画面においてもまた、複数の色彩が塗り重ねられ、たえず相互に浸透しあい、その結果、色面は確固たる自己同一性を失い、たえず変貌を繰り返す。 ロスコの画面に関してしばしば語られる〈茫漠たる光〉とでもいった非物質性の印象は、この不安定さの所産にほかならない。以上を指摘したうえで田中さんは、ロスコとマティスがともに「感情を表現すること」を究極の目標として掲げていたことに注意を促す。脱物質化し浮遊するかのような色彩によって、光または空気のように包み込まれるという経験、両者の芸術においては、この一見抽象的な経験こそが感情を最大の強度において喚起する条件だったのではないか。ロスコがマティスに学び、かつ継承したものとは、まさしくこのような一見逆説的な経験の力だったのではないか——田中さんはこう示唆して発表を終えた。

三つの発表の後は、短い休憩を挟んで質疑応答が行われた。残念ながら詳しく紹介する余裕はないものの、ひとつだけ、会場とのやり取りに加え、三人の講師の方々どうしのあいだでもきわめて活発な討議が展開したことを記しておきたい。短時間とはいえ、 ワークショップの名にふさわしく、 ダイナミックかつ協同的なかたちで思考を練り上げることができたのではないかと考える。

当日は70人を越す来聴があり、この種の催しとしては異例の大盛況となった。なによりも実力者ぞろいの講師にお集りいただけたからに違いなく、改めて林さん、田中さん、加治屋さんのお三方には篤く御礼申し上げる。いっぽう企画者(近藤)の落ち度で手狭な会場しか用意できず、また空調もなかったことから、聴衆の皆さんには2時間あまりを、いささか「親密」にすぎる環境で耐えていただくはめになった。深くお詫びしたい。「イメージ研究の再構築」プログラムでは、今後も定期的に美術とイメージとを考える多彩な企画を実現していく予定であり、今回に懲りず、ひきつづき多数のご参加を乞い願う次第である。

(文責:近藤 学)

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