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「世俗化・宗教・国家」セッション6

2009.06.18 羽田正, 渡邊祥子, 世俗化・宗教・国家

2009年6月15日、「共生のための国際哲学特別研究Ⅲ」第6回セミナーが行われた。

今回は、中村廣治郎『イスラームと近代』(岩波書店 1997年)を取り上げた。檜山智美(総合文化研究科博士課程)と渡邊祥子(総合文化研究科博士課程)による報告が行われる予定だったが、檜山が急用で欠席したため、檜山の担当分は渡邊が報告書を代読する形になった。

中村の関心は、1970年代以降の「イスラーム復興」現象をめぐる言説が隠している「護教論的」態度、つまり諸宗教のうちイスラームのみを特殊化して捉える態度を相対化し、よりグローバルな視点から現代イスラーム思想の展開を理解することである。

その上で中村は、イスラーム思想を「伝統主義」「モダニズム」「原理主義」「ネオ=モダニズム」の4類型に分類し、それぞれの歴史的背景と問題点を叙述する。「伝統主義」と「モダニズム」以降を分かつ転回点となっているのが、18-19世紀の西洋の衝撃である。
 
第1章「伝統主義」で中村は、一切の革新を拒否する「拒絶型Rejectionist」伝統主義の中に「原始イスラームのエートス」への志向を認め、イスラーム思想史を思想的革新に対する反動の繰り返しの歴史と見る。復古主義的改革運動の例として、18世紀のワッハーブ運動が取り上げられている。

これに対し、アフガーニー、アブドゥ、リダーらのサラフィーヤ運動が代表する「モダニズム」の潮流(第2章)は、原始イスラームの中に西洋近代の価値を読み取ろうとする。サラフィーヤ運動は、一方では西洋近代への拒否の表明としての「原理主義」(第3章)を生み、他方では世俗主義と急進的ナショナリズムと結びついて、政教分離の立場からイスラームを個人の領域に限定する態度へと発展した。

「モダニズム」の立場を引き継ぎながら、方法論的な刷新を行ったのが「ネオ=モダニズム」である(第4章)。この潮流は、西洋近代諸科学を取り入れつつ、聖典やイスラーム法の新たな解釈のための体系的方法論を打ち立てることを模索した。

ディスカッションにおいては、イスラームと他宗教の「近代」の比較を可能にする類型学という中村の方法を評価したうえで、そもそも「イスラーム」「諸宗教」という問題の立て方自体が、「近代」的な宗教学の認識に拘束された捉え方ではないかとの疑問が提示された。また、中村の第一の類型、「伝統主義」の議論が不鮮明であり、内実が不明であるという指摘もなされた。本書第1章で「イスラームの(前近代的な)伝統」とされているものこそ、後世の論者が事後的に構築したものではないかという議論も行われた。

本書がカバーする内容については、地域的偏重があり、大枠の議論がなく羅列的であるという問題はあるものの、西洋近代との出会いを機軸に、現代イスラーム思想の鳥瞰図を描いた点で、示唆に富む著作であるとの意見が挙がった。

(文責:渡邊祥子)

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