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【報告】過去から現代へ――記録画が伝えるイメージの異質性

2009.06.17 高田康成, 金原典子, 「アカデミック・イングリッシュ」セミナー

  東京大学非常勤講師、ウィリアム・シャング(安田震一)先生を迎え、6月10日「過去から現代へ――記録画が伝えるイメージの異質性」(“Images from the Past: Imagination and Reality seen in Visual Records”)と題した講演会がUTCPのアカデミックイングリッシュの一環として催された。

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  講演では、十八世紀から十九世紀にかけて中国と西洋(アメリカ、イギリス、イタリア人の画家が主に挙げられた)の画家による絵画を分析する際の問題が中心に扱われた。そして絵画の分析から中国と西洋との貿易により流通した中国と西洋の画家の作品がそれぞれの社会に与えた文化的・政治的影響や、画家達がお互いに与えた影響について論じられた。シャング先生によれば、イメージを分析する際に、それは想像上のものか現実を描写しているものか、そしてどれほど中国または西洋の芸術家の影響を受けていたのかを読み取ることが重要であり、そこに研究の可能生があるとのことである。
  中国との貿易を通して、中国人の画家によるアメリカ大統領の肖像画が複写されアメリカで消費された。ギルバート・スチュアートによるジョージ・ワシントンの肖像画が、中国の画家によって非常に優れた技術で複写され、米国で大量に安く売られたのだ。しかし、スチュワートが裁判所に訴状を提出したため、一八〇二年には、大統領の絵はアメリカから持ち出されることも持ち込まれることも禁止された。権力者はよく白馬と一緒に描かれていて、ワシントンの横には白馬がいつもいると思うが、それは本当にあったことか、それとも作られたイメージか。ひょっとすると我々が思い描く白馬と権力者というイメージは中国の画家の複写によるものなのかもしれない。
  イギリスは、乾隆帝の描写から彼の性格を調べようとした。そこで、マカートニー使節団専属の画家ウィリアム・アレクザンダー(William Alexander)に、乾隆帝を描かせた。しかしながら、アレクザンダーの日記によれば、彼は乾隆帝をちらっとしか見ていない。彼の描いた乾隆帝は、横を向いていて何かを隠しているようである、狩猟用の指輪をしているなど中国の作家なら描き得なかった姿である。しかしながら、このように正確に現実を捉えていないアレクザンダーの作品は西洋にとっての中国を作り出すことに大いに貢献した。
  アレクザンダーは、中国を科学的に描くことでイギリスにとって分析可能な国とした。以前から宣教師による中国の絵画が出回っていたが、それらは中国を誇張して描いており、日常生活の描写ではなかった。イギリスは、中国を産業革命により生産された物を売るためのマーケットとして関心を持っていたため、政府が中国社会を分析できるような人々の日常生活の描写がアレクザンダーに求められた。このような記録画の他に、西洋の消費者向けに作られた作品もあったが、こちらはどちらかというと現実的でなかった。

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アレクザンダーの作品は、多くの西洋の画家により複写され中国のイメージとして彼が中国を訪れてから約五十年後、一八四〇年代までリサイクルされ続けた。例えば、「中国人墓地から見る西湖湖畔の雷風塔」 (1795) は、他の作家による色々な場所のイメージを合成して描かれており、正確な場所の描写ではないにも関わらず、一八四二年にはまだ トーマス・オルム(Thomas Allom)の作品にこの作品の面影をみることができる。アレクサンダーの必ずしも現実を正確に描写したとはいえない作品が、イギリス人にとっての中国として捉えられていた。繰り返し見るイメージの影響というのは、人々の世界観を形勢する際に重要であることがわかる。
  多くの研究者はアレクサンダーが中国の画家に影響を受けたことを認めていないが、彼が描いた中国での日常生活の作品にはプウクワー(Puqua)という中国の画家のイメージに似たものが多い。シャング先生によれば、アレクザンダーが中国の作家のイメージを「借りてきた」可能性は非常に高い。このように、中国と西洋の画家がどのような影響を与え合い、お互いのことをどのように思っていたのか、そしてそれぞれの作品はどのように違ったのか、これらについて今後さらに研究していかなければならない。
  講演後聴講者から質問があった際にシャング先生は、アレクザンダーの作品を分析する上での注意点について補足された。アレクザンダーの作品は、東インド会社のために描かれたものもあれば、王立芸術学校に展示されるものもあった。そのため、誰に向けて描かれたのかをよく踏まえた上で作品を分析する必要がある。また、中国と西洋との貿易と共に芸術家が移動しており、中国の作家がインドに移動することもあった。色々な場所へ作家が移動したので、それぞれの場所で影響を受けていたのではないか。このような文化交流についての研究を進めることに可能性があると聴講者も賛同した。

報告者 金原典子

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