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時の彩り(つれづれ、草) 066

2009.04.25 小林康夫

☆ 「時代と無意識」

今学期のわたしの教育プログラム「時代と無意識」は金曜Ⅴ限に設定されている(8号館・323教室)。表象文化論の大学院の演習とも兼ねた授業。前年度はあまりにもUTCPにアクセントを置いた運営だった(修士課程の学生にはちょっとついてくるのが難しかった!)ことを反省して、今年は少し変えて複数の軸をはっきりと打ち出している。

すなわち、

1) UTCPの森田團さんとの共同運営でヴァルター・ベンヤミンのいくつかのトピックを追う軸。これはすでに4月10日と17日の2回、一応、「せむしの小人」というフィギュールをめぐって、かれのカフカ論を展望し、「ベルリンの幼年時代」のいくつかのテクストを読みという形ではじまっている。この問題設定は5月8日と17日の回で区切りをつける予定。

その後は、6月に「虹」というテクストをめぐって行うことになっている。これはベンヤミンの専門家である森田さんという人材を得てはじめて可能になったことだが、かつてのラクー=ラバルトとナンシーの組み合わせではないが、人文科学において「二人で講義をする」ことの重要性(これは坂部恵先生も強調していた)を少しく実験させてもらっている。そういう意図もあることを理解してほしい。人文科学におけるsolipsismeの壁を打破しなければ・・・

2) もうひとつは、表象文化論の軸に沿ったもので、芸術作品という研究対象にどのようにアプローチするか、それをなるべく実践(実戦?)形式で演習するというもの。まあ、「道場」という感じか。この第1回は4月24日に今年修士論文を書いた横山さん(表象D1)のボナールについての発表を受けて、わたしが問題提起の仕方を即興するという形。

別に「模範演技」というわけではなく、単に、わたし自身の「批評的アプローチ」をちょっとやってみるというようなことだが、それでも体を動かしていれば、必ず発見はあって、昨日はそれが「多層的な時間」、「(タッチによる)繁茂する群としての時間(色)」(あんまり詳しく語る時間はなかったが)というようなところに着地したことだったのがおもしろかったけど……

これは次回は5月22日でブランクーシがテーマになる予定。

以上、案内を兼ねて報告をしておきます。


☆ メランコリー

先週、フィンスクさんの講演に備えてブランショのテクストを読んで頭がひさしぶりにブランショ的になり、その効果か、それを「忘れるために!」書いておかないと、と1日で十数枚走り書いて、その奇妙な疲れを癒すというわけでもないのだが、日曜は神奈川県立音楽堂にフランスの古楽のグループ「ル・ポエム・アルモニーク」を聴きに行った。17世紀バロックの音楽ですね。

その透明なハーモニーに耳を傾けているうちに、突然、「人間」はメランコリーの空の下に「誕生」したのだな、と実感。デューラーの「メレンコリア」ではないが、われわれの思考はメランコリーの空に立ち昇っていくのだ、「人間」ははじめから「疲れて」いるのだ、と……とても幸福な「忘却」の形だった。

(なお、フィンスクさんからは「優しい」お礼のメールが届いている。そこには、「あなたのセンターにはある特別な雰囲気がある」と書いてあった。その「雰囲気」こそ、わたしは大事にしたい。)

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