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【報告】「東西哲学の伝統における「共生哲学」構築の試み」第1日目

2009.04.13 中島隆博, 小林康夫, 千葉雅也, 宮崎裕助, ナヴェ・フルマー, 喬志航, 田中有紀, 王前

台湾大学哲学系とUTCPの共催で実施された国際シンポジウム「東西哲学の伝統における「共生哲学」構築の試み」の第1日目の報告です。

 シンポジウムの初日、小林康夫UTCPリーダーが「新たな人間に向かって――人類の共生の地平」と題される基調講演をおこなった。彼は台湾ではあまり知られていない「共生」と「共生哲学」を説明してから、「歴史の転回」、「どんな主体?」と「新しい人のポリティクス」にわけて、詳しく議論を展開する。
 「歴史の転回」では、小林氏はまず、我々はついに一つの歴史のなかに存在しているという驚くべき事実を指摘する。その事実とは、地球上の全てのものがこの歴史から逃れることが出来なく、生物も無機的なものも全て人類という種が自らの存在を通して作り上げてきた「一つの歴史」のなかに存在していることである。グローバリゼーションという正に我々が直面している「事態」はその「一つの歴史」の完成を意味し、それまでの拡張的に、侵略的に、越境的に運動するダイナミズムが一旦超えることが不可能な限界にぶち当たることによって、あらゆる次元において「転回」を迫られているという歴史の危機的な転回点にわれわれは今立っている。

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 その次に、小林氏は「ひとつの歴史の主体」について論じる。まず近代哲学における主体の歴史を振り返って、その近代哲学の功罪を天秤にかける。近代西欧において、哲学は「歴史の誕生」に決定的な役割を果たしているからである。その哲学は新しい「歴史」の主体としての「人間」という理念に対して問い直す責任があるだけでなく、「転回」がもし起こるならば、まず「哲学」において起こるべきかもしれない。哲学は「内在性」という根拠そのものにおいて、「人間」という理念が「転回」する出来事を呼びかける。その過程において、西欧哲学の「人間」とは異なって、かならずしも内在性に還元できない仕方で「人」という存在形式を構想し、そこから別の「世界」と「歴史」を考えようとしてきた東アジアの思考が貢献できる可能性があると、小林氏は東洋哲学にも言及している。

具体的に「転回」を考える場合、小林氏が考えているのは、「人」による「人間」の脱構築ではなく、むしろ「人間」から「人類」へと向かう方向に踏み出すことである。「人類」である私たちはすでに生物学的な存在の形式において「共生的に」存在している。それは単に「人間」と「人間」だけの共生でなく、人間と他の生物の種との間の原理的な「共生」までも指している。言い換えれば、「存在のエコロジー」とでも呼ぶべき新たな地平が開かれていることであり、「人間」の思考はいまこのエコロジーを「内在化」するように促されている。

 この「主体」を論じる部分において、小林氏はさらに「都市」という我々の「脳」が生み出した集積的な「共生」の生態系を取り上げて、その特徴、即ち「人類」は今都市=脳であるような存在形式において存在していているが、この複合的な複雑な、同時に相対的に独立した組織体には絶対的な主体の「座」がないことを指摘する。この都市=脳という怪物的な生態系にあたかも寄生しているかのような我々は、この極めて人間的でもあり、また非人間的でもある存在形式をどのように「正しく」「運営する」すべきなのか、これが猶予のない喫緊の課題であると小林氏は警鐘を鳴らす。

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 そのような危機的状況に置かれているから、「転回」を準備する必要があり、「新しい人」のポリティクスも必要とするわけであると小林氏は言う。「われわれはもはや来るべき『人類』に対して現に存在する『人類』として責任がある」だけでなく、「この責任は全体的であり、同時に無限です。全体とは、未来において、限りなくやってくるはずの存在のことであり、その限りない全体に対して、殆ど無に等しい『いま、ここ、わたし』の責任が問われている」と続く。しかし、ここでは、倫理的な「決意」だけでは危機を回避できないので、あくまでも「人類」の現実的なポリティクスこそが問題であると小林氏は主張する。

 基調講演の最後の部分で、小林氏が強調するのは、我々が今直面している危機的な「事態」は既に我々の「深遠な」内在性の限界を突き破ってしまっていて、そのあるべきはずではなかった限界の向こう側に、ただどこまでも凡庸な散文的な、見慣れた世界の光景が広がっている事実であり、またその問題を解決するためには、哲学そして「人間」の思考は殆ど無効なため、実効のあるポリティクスを如何に打ち立てるかにかかっていることである。この危機的な「事態」にわれわれの内在性はまだ追いついていない。まだみずから「人類=存在」としても「実在」していない。そのために、「唯名」にとどまっているわれわれ「人類」は場合によっては、「哲学」の誘惑を断ち切ってまで、「人類」として「実在」しようとしなければならないかもしれない。そのために、「新しい人」の誕生をわれわれは想像すべきだと小林氏は講演を締めくくる。

 この基調講演に対して、台湾大学哲学部前学部長の曾漢塘教授が司会をしただけでなく、コメントもした。彼から見れば、小林リーダーが指摘したポスト・モダン社会の問題は台湾の文脈ではまだ俄かに実感できないところがあるが、全体的には、去年彼が台湾大学哲学部訪日団を率いて、UTCPを訪問した時に聞いた小林リーダーの「カフカの法」をめぐる講演と同じ、大変刺激的で、大いに勉強になったと言っている。
(以上、文責:王前)

第一場は、佐藤将之氏(台湾大学哲学系)と野村英登氏(東洋大学共生思想センター)の両名による報告であった。
佐藤将之氏は「共生理念の基礎価値としての荀子の『礼』概念」として報告を行った。共生という言葉は、台湾の人文学研究においてまだ馴染みが薄い。そのため佐藤氏は、まず共生をめぐる日本の状況を説明した。現代日本において、政府或いは民間、人文系或いは理工系を問わず、共生という言葉が非常に流行している事実を指摘し、椎尾辨匡の主導による「共生(ともいき)運動」、そして黒川紀章の共生概念について紹介した。そして中国哲学の伝統に共生の理想がどのようにあらわれているかについては、東洋大学の山田利明氏の研究に応答するかたちで、「礼」の問題を取り上げた。佐藤氏は特に、中国古代の思想家による「礼」にまつわる議論(「礼論」)の重要性を示唆し、『荀子』「礼治論」に見られる共生思想について詳しく論じた。

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また、野村英登氏は「静坐と共生―岡田式静坐法の近代性を中心に―」として報告を行った。野村氏はまずWHOの定義する健康の概念を引用し、共生の実践においては、個人の肉体的・精神的な健康が必要とされると述べた。その具体的な方法として、中国哲学の伝統の中では静坐が重視されたとし、朱熹が読書と並んで静坐を修養の基礎としたことを指摘した。野村氏は、伝統的な静坐法を近代化し、個人と社会とを結びつける実践技法として再発見した例として、岡田式静坐法や、その同時代の中国への影響を紹介した。さらに現代日本においても類似する健康法が見られ、そこでは「日本における身体文化の中心軸」として腰肚の構えと呼吸法が重視されるという。しかし野村氏は、こういった健康法は、決して「日本固有」の文化ではなく、仏教や道教の内容を多く含み、また自己修養を通じた社会変革が儒教の重要なテーマであったことを指摘する。

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両名とも、近代以降の日本での共生思想、およびそれに伴う実践について詳しく紹介すると同時に、その背後にある中国伝統思想との関連について、専門家の立場からそれぞれ言及した。台湾の参加者にとっても、日本の参加者にとっても、共生という概念について理解を深める良い機会となった。
(以上、文責:田中有紀)

第二幕は、蔡耀明氏(台湾大学)、蔡家和氏(東海大学)、杜保瑞氏(台湾大学)が発表した。
蔡耀明氏(台湾大学)は「一法界の世界観が展開した住地に関する考察及び異なる世界観に対する包容的性格:『不増不減経』を根拠とした共生同成の理念」と題して発表を行った。蔡氏は『不増不減経』を主な根拠として、そこにおける世界観の構成形式と構成内容を説明したうえで、輪廻思想が凡庸な「住地」(abiding-places)概念に与えたインパクトを考察して、煩悩、誤った見解、一法界、如来蔵、ないし生命実践でさえ住地となりうると指摘しながら、多様な住地概念を切り開こうとした。また、蔡氏によれば、他の様々な世界観に対して、『不増不減経』は一法界の世界観に基づき、縁起という角度から認識しており、先入観に固くとらわれる者に対しても、包容的態度を取り、ともに成長するという方向に導く。

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蔡家和氏(東海大学)は「向、郭注<斉物論>における共生精神」を題目として発表を行った。蔡氏は、向秀、郭象が注釈した<斉物論>の特色を分析し、向、郭注は荘子の「斉物」思想を徹底して、荘子と比べてより「斉物共生」の精神に符合しているという結論に至った。しかも、向、郭注は道家の自然無為の思想を保持し、性分に合うもの以外承認せず、ひたすら現実を引き受ける没理想の学問に堕しなかった、と蔡氏は述べた。

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杜保瑞氏(台湾大学)は「牟宗三の周濂溪解釈に関する方法論的反省」と題して発表を行った。杜氏によれば、牟宗三がその独特な形而上概念を以て到達した宋学解釈は却って学者の宋学理解を妨げた。これに対して、宋学を宇宙論・本体論・工夫論・境界論の実践哲学体系と思弁哲学の存在論体系とに分けて論議すべきだと杜氏は提唱した。杜氏は具体的に牟宗三『心体と性体』における周濂溪解釈を検討して、周濂溪哲学が本体宇宙論の形而上学であり、主体実践の意識を欠いているという牟宗三の意見に反論し、周濂溪哲学は『中庸』、『易伝』の形而上学的体系に依拠しながら聖人の境地を論ずる「境界哲学」であり、それによってこそ主体実践を講じる工夫論の哲学だと位置づけた。

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(以上、文責:喬志航)

第三場は、森川裕貫氏、小野泰教氏、田中有紀(ともに東京大学人文社会系研究科)が報告を行った。
森川裕貫氏は「章士釗とその『有容』・『不好同悪異』制度」として報告を行った。晩清から民国期にかけて言論を展開した章士釗は、袁世凱の専制に見出されるような「好同悪異」の心性が、異端の存在を徹底的に排除し、社会発展の可能性を奪うことになると考えた。章士釗のこのような思想は、求心力を追求すると同時に多様性を尊重する態度として、彼の国家制度構想にも表れている。森川氏によれば、梁啓超が国制を論じるのをやめ、「社会教育」或いは「君子」の存在を重視し始めるのに対し、章士釗は国制が人々の生活を基礎づけ、その変革こそが中国の停滞を解決すると考え、国制を論じ続けたという。章士釗にとって人類はあくまで不完全な存在であるため、有能な「君子」の誕生はむしろ、人間の多様性の排除につながる危険があり、「新青年」の動向に対しても彼は同様の懸念を抱いていた。共生の問題を考える上でも、章士釗の思惟は重要な示唆を与えてくれるだろう。

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小野泰教氏の報告は、「清末における官民の共生――湖南戊戌変法時期の保衛局」である。小野氏は、清朝末期の湖南地方に建設された保衛局をめぐる議論を取り上げた。保衛局は、中国における近代的警察機構であるが、その組織原理はまさに官民の共生と呼ぶことのできるものあった。すなわち、官が行政の専門家として行政に従事し、民が政策決定のみに従事するという役割分担を明確に自覚し、ともに社会秩序を構築しようとしたのである。確かに保衛局は、不完全な改革下の制度であり限界があったものの、歴史的制約のなかで官民の共生が提示されたことには大きな意義がある。また、小野氏は、従来の研究が保衛局における民の政治的発言力の拡大ばかりに注目し、官民の分業の歴史的重要性に注目してこなかったと指摘した。小野氏は最後に、保衛局に見られる官民関係が目指すものが、湖南一省の発展ではなく天下や国家の発展という当時としては最も公共的な目標であった点を指摘した。

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田中有紀は「凌廷堪の経学と燕楽研究―『理』のもたらす『礼』の共存」として報告を行った。清代中葉の凌廷堪は「以礼代理」を主張した経学者であり、また従来の雅楽研究、特に朱子学の楽律研究を批判し、燕楽研究を開始した人物として知られる。しかし彼は、経学において燕楽研究がいかなる位置にあるのか、つまり、彼が「礼」として研究することを選択した典章制度が、いかなる点において、他の「礼」よりも考証するに値する「礼」であるのかを明確に説明しなかった。そして、「以礼代理」を唱えながらも、皮肉にも「理」の思想に頼らなければ、結局のところ、彼の燕楽研究は単なる制度研究に留まることになる。古代雅楽も隋以降の燕楽も、同じ「理」から生まれた優れた制度であり、対立するように見える様々な「礼」が「理」という概念によって根本的にはつながり、共存しているという思想があることで初めて、彼の燕楽研究に存在意義が生まれるのである。

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三名とも中国の事例を取り上げ、共生についてそれぞれの見解を示した。共生という言葉そのものは、中国語においてそれほど馴染みのある言葉ではないが、中国の歴史や思想の中には、あるべき理想の社会について数えきれないほど豊富な議論があり、共生思想を考える現代の我々にとっても不可欠な存在であろう。
(以上、文責:田中有紀)

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