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【旅日記】シナイ半島の歩き方 第4回 シナイ山

2009.04.14 太田啓子

太田啓子のシナイ半島旅日記の第四回です。今回はヌエバアからダハブを経由して聖カトリーナへと向かい、シナイ山に登ります。

3月15(日)

朝7時過ぎにヌエバアにて下船。私がエジプト入国時に取得したシングルビザは一度出国すると無効なので、再度銀行でビザを購入(15ドル)。その後イミグレーションオフィスに行って船中で渡された引換券とパスポートを交換し、ビザをパスポートに貼る。ビザがシール式でいかにもお手軽なのが面白い。入国手続き、荷物検査を済ませ、港を出る。今日の目的は聖カトリーナだが、ヌエバアから聖カトリーナまでの直行バスはないので、ダハブ経由で行かなければならない。折良くダハブを目指しているバックパッカー二人をつかまえたので、三人でセルビスに相乗りして(三人で50ポンド≒1000円)ダハブに向かう。

一時間後、バックパッカーに有名なSeven Heavens Hotelに到着。彼らはしばらくダハブに滞在するとのことなので、私はホテルのスタッフと交渉して、各ホテルから希望者を拾って聖カトリーナへと向かうツアーに無理矢理参入。近年シナイ山登山において道に迷う者が増加したため、シナイ山に入山する者にはガイドを雇うことが義務づけられている。個人で雇ってもグループで雇っても85ポンド(≒1700円)なので、集団で入山した方がお得。ラッキーなことに10分後にはツアーのミニバスに拾われ、二時間半後に聖カトリーナへ。

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(聖カトリーナ修道院)

シナイ半島の港町をまわるという今回の旅の趣旨からは、聖カトリーナ訪問は逸脱するように見えるが、実は深い関係がある。そもそもシナイ半島はキリスト教徒の巡礼の地であった。モーセは「出エジプト」の際、シナイ山山頂にて十戒を授かったと言われている。200年代後半には今回訪れたラーヤ・トゥール地域に修道士が住み始め、初期修道制の中心地の一つとなった。その後ビザンティン帝国のユスティニアヌス帝(在位527-565年)によって寄進されたのがシナイ山修道院(のちの聖カトリーナ修道院)とライソウ修道院(のちのワーディー・アットゥール修道院)であり、これらの修道院の発展が巡礼者、修道院への物資輸送のための港の成立を促したのである。

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(聖カトリーナ修道院)

まずは聖カトリーナ修道院へ。2002年に世界遺産に登録されたこの修道院にはモーセが神の言葉を授かったと言われる「燃える柴」のほか「モーセの井戸」、数々のイコン、聖遺物があり、ヴァシリカ様式の主聖堂とともに多くのキリスト教徒巡礼者を惹きつけている。

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(「燃える柴」と「モーセの井戸」)

また、修道院附属図書館にはギリシャ語、コプト語、アラビア語、ヘブライ語、シリア語などで書かれた貴重な写本が多数収蔵されている。中はかなりの人出で、欧米からの観光客の姿も多い。聖カトリーナは現在も修道院として機能しており、見学出来る時間が制限されているため、人出が短時間に集中するのである。正教会の装束に身を包んだ修道士をあちらこちらに見かける。

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その後、いよいよシナイ山登頂開始。シナイ山はエジプトで唯一積雪(~2月)が見られる場所であり、かなり寒い。夜中に登頂を開始して山頂にてご来光を拝み、下山するのが通常のプランだが、私は寒さが心配だったので日中に登頂し、日没を見て下山することにする。登山道にはゆるやかなラクダ道コースと、距離は短いが傾斜の厳しい階段ルートがあるが、ラクダ道コースを選択。しかしこのコース、最初こそゆるやかなのだが、だんだんハードになってくる。一時間も経つと息が上がってくる。

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それを見越したようにラクダ引きが後ろからついてきて、「camel ? キャメール?」と聞いてくる。まるで死にかけた人を狙ってくるハゲタカみたいである。しかしラクダというのは、乗ったことがない人にとっては楽しそうに見えるが、実はかなり揺れるので乗るのに骨が折れる乗り物である。その上、すでにラクダ道の左右は急な崖になっているのでかなり怖い。ラクダに乗るくらいなら自分の足で歩く方がましなので、ひたすら登る。「なんでモーセは山頂なんかで十戒を受け取ったのか、ふもとでも受け取れるだろうに……」との思いが胸をよぎる。コースの最後は階段コースと合流し、ラクダもついて来られない。

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登山を始めて二時間半後、山頂に到着。
ちょっと感動。
何千年も前から変わらないであろう景色がそこにある。
天国に近付いた気がする(実際少し死にかけているので近付いている)。

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頂上には小さな教会とモスクがある。そのまま日没を待つが、想像以上の寒さと強風で顔から血の気が引く。手もかじかんでくる。二時間ほどねばったが、最終的に日没を見るのを断念、下山することにする。六時過ぎにふもとにたどり着いた時にはすっかり日が暮れていたのでした。

(文責:太田啓子)

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