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時の彩り(つれづれ、草) 062

2009.03.06 小林康夫

☆ 春の光Ⅱ(サラ・ロイさん)

前回の続き。大貫先生の最終講義を挟んで、月曜にサラ・ロイさんの講演会、そして水曜に彼女と徐京植さんとの対話の会が開かれた。

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最初の講演会は、ある意味ではサラ・ロイさんという「人間」の全体性が開示された場であったと言おうか。冒頭、わたしが拙い英語で、邦訳もされている彼女のエッセイ「Living with the Holocaust: The Journey of a Child of Holocaust Survivors」に出てくる、彼女の母親が、同じ生き残りであるその妹がイスラエルに行くことを選ぶのに対して、アメリカに行くことを選ぶそのときの決意――「I wanted to live as a Jew in a pluralist society, where my group remained important to me but where others were important to me, too」を引用しながら、彼女の声を通して、しかし同時に彼女の母親の声の響きに耳を傾けたい、というような挨拶をすると、サラさんの眼には、涙とは言わないが、ある深い感情が流れる。その感情がこちらにも流れこんでくる。

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その後に続いた彼女の講演は、なによりもホロコーストを、イスラエルのパレスチナ占領の悲劇を語って、しかしつねにほんとうの人間の無力と脆弱を知って、しかしそこから「tolerance, compassion and justice」へと向かおうとする、静かな激しさに満ちたある特別な「声」によって行われたのだった。その「声」を聞かなければならなかった。その「声」を聞くことがわたしには感動だった。

いや、その講演のせいで、サラ・ロイさんがちょっと「声」の調子を悪くされてその後も苦しそうだったことに、わたしは動揺した。長年、声が出ないという不調をわたし自身も抱えていてその苦しさが分かるからだが、そのつらそうなご様子はあまり変わらないままで、水曜の対話の会。

とてもいい対話の会になったと思うが、圧巻は、聴衆のひとりから出た最後の質問への答え。聴衆の方が、みずらかはキリスト教徒だとおっしゃったが、「What is the God for you?」と尋ねたのに対して、サラ・ロイさん、いま、われわれが問うべきはその問いではなく、「What am I for the God?」ではないでしょうか?と一言。

電光石火のその応答に、彼女がどのくらい深い苦しみを引き受けつつ、みずからの思考を「embrace」(これも彼女の口から何度も出てきたきわめて意味深い言葉だった)しているか、その深淵が一瞬、見えたような気がした。サラさんが残したその沈黙の響きのなかにわたしもいまだ立ちすくんでいる。

(なお、サラ・ロイさんの母親の言葉は月曜の講演のなかでも引用されていた。それを語るサラさんの「声」を次のアドレスにあげておく。/_01data/sounds/20090302_sararoy_ex.wav

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