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【報告】UTCP日本思想セミナー「美的カテゴリーの過去と現在」

2009.01.17 中島隆博, 内藤まりこ, 日本思想セミナー

11月28日、UTCP日本思想セミナーとして、マイケル・マラ氏(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)による講演「美的カテゴリーの過去と現在」が行われた。

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まず、19世紀後半のヨーロッパにおいて美学の概念として成立した「美的カテゴリー」が、その後時差を伴って日本に移入された過程が概観された。E・スーリオらによって美学に導入された「美的カテゴリー」の概念は、1930年代に大西克礼によって「美的範疇」として紹介された。注目すべきなのは、この時すでにヨーロッパでは、「美的カテゴリー」は問題含みの概念として議論されていたことである。1930-40年代のヨーロッパにおいて、美的カテゴリーはその本質主義的志向が批判されていたのだが、日本では、むしろその脱歴史性が強調され、西洋/東洋の二分法を象る「美的範疇」として機能していたのである。

「美的範疇」を導入した美学の方法は文学においても採用され、久松潜一、能勢朝次らによって日本文学史が編まれることとなる。そもそも、大西らが見出した「幽玄」などの美的カテゴリーの語彙は古代や中世の文学に由来する。とはいえ、歴史的文脈をもつにもかかわらず、過去から現在までの日本の文学に通底する普遍的な美的カテゴリーとして意味づけられたそれらの言葉は、ほかならぬ近代の創造物としてみなされよう。こうした美的カテゴリーを採用して編纂された文学史は、過去から現在へと連綿と連なる文学の伝統を創造しようとする欲望によって支えられていたのであり、それは国民国家の形成の運動の一環としてあったのだ。

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九鬼周造は、美的カテゴリーによって日本文化を論じた『いきの構造』で知られるが、大西が美的カテゴリーを通して西洋と東洋との二分法を調和的に解消しようとしたのに対して、九鬼は、「偶然性」の概念を導入し、むしろその対立や齟齬を和解させようとしなかった。ここで問題とされたのは、美的カテゴリーをカテゴリーたらしめるその概念の輪郭、すなわち限界である。日本文化に美的カテゴリーを見出した美学者たちにとって、美的カテゴリーそれ自体の限界が問題となるのは当然であり、美的カテゴリーを実践する者として「隠者」の存在が美学において脚光を浴びたのには、こうした背景があるだろう。実生活とは、美的カテゴリーと一致するどころか、そこから逸脱していくものである。それに対して、「隠者」は実生活において美的カテゴリーと調和し、「幽玄」や「さび」「わび」「あはれ」を生きる者として見出されたのであり、美的カテゴリーと実生活とを一致させようとする欲望によって、西行、鴨長明、兼好法師、芭蕉の名があげられる「隠者」の系譜は創造されたのである。

マラ氏は、こうした「数寄者」たちの系譜を現代社会の「オタク」にみる。「オタク」は「萌え」なる美的カテゴリーを創造してもいるとし、そのほかに現代社会にみられる美的カテゴリーとして、村上隆の作品に代表される「かわいい」や「ゆるキャラ」、篠原資明が掲げる「まぶさび」をあげる。

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議論では、マラ氏が現代日本の美的カテゴリーの例として挙げた村上隆と篠原資明との差異や、篠原が既存の美的カテゴリーを使用することの背景などへの質問がよせられた。美的カテゴリーを通して日本文化を論じた美学者や文学者たちの理論的な枠組みだけではなく、そこに働いていた欲望や歴史的要請を明らかにしたマラ氏の議論は、現代の日本社会の現象が美的カテゴリーとして語られる時、そこに働く欲望のありようを問題化してもいるだろう。

(報告者:内藤まりこ)

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