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【報告】ピエール・バイヤール連続セミナー「極限のエクリチュール」

2008.10.29 小林康夫, 西山雄二, セミナー・講演会

2008年10月14、22、28日、ピエール・バイヤール氏(パリ第8大学)による連続セミナー「極限のエクリチュール」が表象文化学科とUTCPの共催で開催された(司会:小林康夫、パトリク・ドゥ・ヴォス)。

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10月14日(火)第1回「記憶の作品への序論〔Introduction aux œuvres-mémoires〕」

 バイヤール氏が研究対象とするのは、狭義のジェノサイドや集団虐殺に限定されない「極限的暴力」の事象である。とりわけ20世紀の歴史において生じた「極限的暴力」を表象するために文学や芸術は証言や記憶の機能や効果を介して作品を創造し続けてきた。バイヤール氏は表象の限界に直面するそれらの作品を「記憶の作品〔œuvres-mémoires〕」と呼ぶ。
 「記憶の作品」が有する主要な特徴は以下の4点である。
 まず第一に、記憶の作品において、証言が重要な役割を果たす。これは生き残った人々による自伝的な作品だけでなく、虚構的な作品にも当てはまる。つまり、双方とも記憶の働きを行使することで、読者や観者に想起の実践を促すのである。
 第二に、記憶の作品はわたしたちの美的カテゴリーそのものを問いに付す。まず、記憶の作品は伝統的な美の基準によって評価することが難しいため(「『ショアー』は美しい作品だ」と評価することは困難である)、「価値」概念そのものを問題にする。次いで、作者が虚偽を述べたことが分かると、その作品がもつ面白さがすべて失われてしまうようないくつかの例が示しているように、記憶の作品は真理という概念に対してこれまでとは異なる関係を結ぶ。そして、記憶の作品はそれが作られた状況や作者に関する最低限の情報がなければ評価されえないので、コンテクストという伝統的な概念をも修正する。
 第三に、記憶の作品においては、「表象」概念が根本的に問われる。極限を表象することは可能かという問い、つまり、表象不可能性をめぐる問いはすでに、クロード・ランズマンの映画『ショアー』、ジャック・ランシエールやフィリップ・メナールの論考などによって練り上げられてきた。
 そして第四に、記憶の作品はわたしたちの倫理的カテゴリーをずらす。つまりそれは、極限的なものを表象することは可能なのかではなく、わたしたちは極限的なものを表象しなくてはならないのかという問いである。
 このように、第1回目のセミナーでは、「記憶の作品」の歴史的コンテクストや特徴が網羅的に提示され、議論のための見取り図が明確に描き出された。

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10月22日(水)第2回「亡霊たちの弁護〔Plaidoyer pour les fantômes〕」

 記憶の作品においては証言が本質的な要素をなす以上、虐殺のもっとも重要な証人、すなわち犠牲者たちは必然的に欠落したままである。虐殺を生き延びた者でさえその出来事の真の証人とはなりえない。その証拠に虐殺からの生還者は、犠牲者とは異なる境遇にある自分の立場を内省し、しばしば極度の罪責感を抱く。とはいえ、作品の創作者は犠牲者の立場に立って語ろうと尽力するので、彼らは完全に不在であるとは言えない。ここで亡霊という主題の重要性が導き出される。
 バイヤール氏は五つの記憶の作品を取り上げて、この問題を例証した。
 まず、ロマン・ギャリーの小説『ゲンジス・コーンのダンス』において、語り手は強制収容所に送られたユダヤ人で、彼は戦後も加害者のナチ党員のなかに生き続ける。この亡霊のせいで、元ナチ党員は突然イディッシュ語を発するといった不可思議な動作に襲われる。ナチ党員の身体に憑依した亡霊の身振りを通じて、加害者が罪の意識を抱くことの困難さが象徴的に表現される。
 次に、ルワンダの虐殺に着想を得た二つの作品が紹介される。ベルギーの演劇集団Groupovの戯曲『ルワンダ94』では、犠牲者の亡霊に突き動かされて、ひとりのジャーナリストが虐殺の調査をおこなう。犠牲者の償いは彼らに名を与え返すという意味の作業としておこなわれる。チャドの作家Koulsy Lamkoによる『丘のシャクガ』では、語り手は蝶の姿をした亡霊である。作品は犠牲者の身体が象徴的な仕方で埋葬されるための場を提供しているのだ。
 カンボジアの映画監督リティー・パニュの作品『ボファーナ』においては、ある恋愛がきっかけでクメール・ルージュ体制下で死に追いやられた若い女性の生涯が再現されている。彼女は彷徨の形象として、内戦によって路上生活を強いられたカンボジア人たちの苦難を、しかるべく埋葬されなかった犠牲者たちの亡霊の姿を表象する。
 最後に、パトリック・モディリヤーノの『ドラ・ブリュデール』〔日本語訳書題名『1941年。パリの尋ね人』作品社〕では、作者は第二次世界大戦中に強制収容所に送られたある若い女性の足跡を追い求める。その探究は時代を越えて、ユダヤ系であるモディアノ自身の過去、特に戦時下を生き延びた父親の生き様への視線と交錯する。
 当人が発言するにせよ、作家の探究の対象となるにせよ、亡霊たちは何らかの形で明らかに現存し続ける。集団虐殺の犠牲者たちは完全に消え去ってしまうことなく、文学・芸術作品を通じて、彼らが生きた時代と後続の世代に憑依し続けるのである。

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10月28日(火)第3回「いかにしてひとは加害者となるのか〔Comment devient-on bourreau ?〕」

 加害者の問いは記憶の作品のなかにしばしば登場する重要な問いである。加害者の立場に立たされたなら自分は何をしただろうかと問いかけつつ、作品は私たちに内省を迫るのである。バイヤール氏はこの問いを考察するために六つの著作をとり上げた。
 スタンレー・ミルグラムの『服従の心理』では、服従の能力を測定するためにイェール大学で実施された心理学的実験が物語られる。ハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン』では「悪の凡庸さ」という概念が導入され、階層的な秩序のなかで従順に役目を果たすことがすでに悪をなすことに等しい状況が指摘される。フランスの作家ジョナタン・リテルの小説『慈しみの女神たち』において、語り手はユダヤ人絶滅を組織する架空の人物であり、アメリカの作家クリストファー・ブラウニングの『普通の人びと――ホロコーストと第101警察予備大隊』はドイツの警察大隊による犯罪を物語り、これを説明しようとする。『大鉈の季節』は、フランス人ジャーナリストのジャン・アツフェルトがルワンダ虐殺の加害者たちにおこなったインタヴュー集であり、カンボジアの映画監督リティー・パニュによる『S21』は、クメール・ルージュがプノンペンに設置した拷問所に関する映画である。
 これらの作品の読解を通じて、「普通の」個人がいかにして殺人者に変わりうるのかを説明する一連の観念が浮き彫りとなる。それは権威への服従、集団的順応主義であり、反ユダヤ主義などのイデオロギーの教化である。他者を動物や昆虫として表象することで非人間化をおこなうことである。その結果、加害者はある種の思考停止(non-pensée)に陥るのである。
 たしかに、住民全体を集団虐殺の暴力へと向かわせる広範囲の動向から逃れることは難しい。しかし、極限的な暴力の社会的発生はつねに、上述した予兆や表徴をともなうのであり、20世紀の集団虐殺の経験を通じて、私たちはこうした悲劇を予測することができるのである。

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 3回のセミナーを通じて活発な質疑応答がなされたが、いくつかの質問を記録しておく。
 「20世紀の大規模な集団虐殺と〈記憶の作品〉とを結びつけて分析されたが、それ以前に歴史をさかのぼると、こうした極限的な暴力を表象する文学・芸術作品という視座はどの時期まで有効なのだろうか。」「集団虐殺と戦争の暴力の違いは何か。その違いに対して〈記憶の作品〉はどのように関係するのか。」「〈記憶の作品〉において犠牲者の亡霊が現われて語り行動する場合と、虐殺を経験しない登場人物が事後的に犠牲者の足跡を探求する場合では事情が異なるので、両者をそのまま並列して分析することはできないのではないか。」「集団虐殺において人々が思考停止に陥るとは誇張的な解釈であり、それはやはり別の仕方での思考ではないのか。つまり、無反省的な条件反射にも似た思考ではないのか。」

 集団虐殺という出来事やその犠牲者を、文学芸術の営みを介して、いかに表象し思考し記憶していくのかは極めて重要な問いであり、バイヤール氏は今後もこの主題に即して研究を深化させていく予定である。

(文責:西山雄二)

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