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【現地報告@パリ】学問の無償性――国際哲学コレージュ取材記(続)

2008.09.08 └哲学と大学, 西山雄二

 この週末、カトリーヌ・マラブー、ジゼール・ベルクマン、フランソワ・ヌーデルマン、ボワイヤン・マンチェフのインタヴューが終了し、国際哲学コレージュに関する取材が無事に終わった。

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カトリーヌ・マラブー(パリ第10大学。1989-94年コレージュのプログラム・ディレクター)

 今回の取材では事前から100ユーロ(約16,000円)の報酬を条件に交渉を進めてきた。今回の仕事は個人科研費によるものだが、既定の取材報酬料としては標準的な額である。だが取材が終わり、報酬を手渡す時になると、みな一様に心底驚いた様子で「もちろん無償でいいのに……なんて寛大なことを……」と言葉を返してきた。「これは公的な資金による報酬なので、私が個人的に出資しているわけではないから大丈夫です」と言うと、やっと納得して報酬を受けとってくれるのだった。そもそも、フランスではシンポジウムでの研究発表や雑誌への寄稿など、学術的活動が無償でおこなわれることは多い。それゆえ、今回の取材が無償であることはフランスの常識からすれば当然のことなのだろう。だが、私見では、彼らの驚きはコレージュにおける無償性の原則とも深く関わるように思えた。

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ジゼール・ベルクマン(現在のコレージュのプログラム・ディレクター)

 国際哲学コレージュでの研究教育活動は、どんなに著名な研究者(昨今の例を挙げると、シクスー、バデュウ、スティグレール、アガンベン、ネグリなど)であってもすべて無報酬である。常駐する事務局スタッフには給与が支払われるものの、研究者は役職に就いていても報酬はない。国際シンポジウムの場合でも、旅費と滞在費は出るが講演料は支払われない。とくにアングロサクソン系の研究者がこの規定に驚きの色を隠さないという。

 逆に、聴衆の方からすれば、コレージュの研究教育プログラムは原則的に無料であらゆる人に公開されている。そして、ゼミを受講する人々に客観的な見返りはない。コレージュは大学ではないので、授業をいくら受けたところで単位が出るわけでも、学位が取得できるわけでもないからだ。なぜこれほどの研究教育が無償性の原則に基づいて実現されるのだろうか。

 今回の取材で私がこだわった主題のひとつがこの無償性だった。コレージュが反時代的な仕方で実践している学問の無償性は、いわば学問を通じたキャリア主義と相反するものである。研究教育活動を通じて、教師は報酬を受け取り、学生は社会的な評価(単位や学位)を獲得する。しかし、コレージュではこうした経済的な交換関係とは異なる論理で研究教育が実施されるのだ。実際、コレージュに影響を受けて、この20年間で、大学で市民公開講座が開設され、市中の喫茶店での自由討論会「哲学カフェ」の試みが広がっていき、あらゆる社会階層の人々が無償で哲学の研究教育に接する機会が増えたという。

 研究教育活動が特定の個人の成果やキャリアに還元されえないとき、学問は無償性の原則に基づいて、もっとも強い意味で共同的なものとなるのだろうか。

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フランソワ・ヌーデルマン(パリ第8大学。2001-04年コレージュ議長)

 今回の取材では国際哲学コレージュ関係者7名にインタヴューをするというこの上なく貴重な機会を得た。新自由主義的な経済的価値観が浸透する中、フランスでも人文学や哲学に対する風当たりはきわめて強くなっている。取材した誰もが人文学研究に対する切迫感を抱きながら、国際哲学コレージュという枠組みにおいて人文学の展望を今後どのように考えればよいのか、真摯な言葉を情熱的な口調で返してくれた。彼らの重々しい言葉に耳を傾けながら、私はつねに、それらの言葉を引き継ぐべき自分の姿を想像するように強いられた。今後はインタヴュー記録を映像作品として完成させ、何らかの形で公開したいと考えている。インタヴューに快く応じてくれた関係者の方々、現地でアシスタントをしてくれた友人たちには深く感謝する次第である。

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ボワイヤン・マンチェフ(現在のコレージュ副議長)

 最後のマンチェフ氏の取材はリュクサンブール公園で実施されたが、一週間前、日光浴でごった返していたあの和やかな風景はもうない。新学期が始まって一週間、もう秋の涼風が吹くパリの街は日常生活がすでに始まっている雰囲気だ。私も東京での日常に戻らなければならない。取材記録を携えて帰路に就くため、今からシャルル・ド・ゴール空港に向かう。

(文責:西山雄二)

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