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【UTCP Juventus】 勝沼聡

2008.08.22 勝沼聡, UTCP Juventus

 UTCP若手研究者研究プロフィール紹介の第10回は、PD研究員の勝沼聡(エジプト近代社会史)が担当します。

 以下では、主に私のこれまでの研究テーマについて述べ、今後の展望について若干言及したいと思います。

1.近代エジプト史における民衆運動
 私が中東地域、ひいてはエジプトに関心を持ったのは湾岸危機(1990-91年)を契機としてでした。湾岸危機を介して、近代中東における西欧の植民地支配の歴史に眼を向けるようになった私は、修士論文では19世紀末のイギリスによるエジプト植民地(的)支配開始の契機となったとされる、ある都市騒乱をとりあげました(「「アレクサンドリアの虐殺」再考」『アジア・アフリカ言語文化研究』第63号,pp. 81-123,2002年)。この都市騒乱は、後にヨーロッパ人によって「虐殺」として記憶され、その記憶はエジプト人の認識にも大きな影響を与えることにもなりました。私はこの事件に関する同時代の証言といった一次史料の分析を通じて、そうした言説の虚構性や政治性をあきらかにすると共に、騒乱に参加した人々の自律的な行動形態を史料中から析出する試みも行ないました。これは、長らく統治エリートを主対象とした歴史叙述や、彼らの指導を介してのみ民衆を歴史の表舞台に登場させるような歴史認識を批判し、民衆の主体性を回復させるささやかな試みであったことは言うまでもありません。

2.エジプトにおける近代
 エジプトは、上記の都市騒乱による外国系住民の生命・財産の保護を「口実」としたイギリスの軍事介入によって、その占領下(1882-1914年)に置かれます。その占領時代にイギリスによって導入された「近代」を批判的に再検討しようというのが次の私の関心です。従来のエジプト近代史においては、「近代」の起点および、その主体の特定が主な論争の対象となってきました。すなわち、前者においては1798年のナポレオンのエジプト侵攻をその起点とするか否か、後者においては西欧かそれともエジプト自身か、という論争です。しかしながら、西欧対エジプトという二項対立的な図式に基づいた議論においては、どちらの立場も、エジプト史における「近代」自体の問題性には眼を向けることなく、肯定的な評価を共有しているという点は否めません。
 こうした従来の研究動向の問題点を克服すべく、60年代末の近代化論の衰退以降、停滞しているイギリス軍事占領時代に着目しました。なぜなら、当時こそ、世界中のほとんどの地域の共通体験である「西欧近代」がエジプトに暴力的なかたちでかぶさってきた時期であるからです。「西欧近代」の一部をなす世俗主義も、まさにこの時代にエジプトに紹介されることになりますが、占領時代からその後の立憲王制時代にかけて活躍したエジプトの世俗主義者サラーマ・ムーサーの思想をとりあげ、その問題性・限界性をあきらかにすることを試みました(「サラーマ・ムーサー―立憲王制期カイロにおけるあるコプト教徒知識人」『アジア遊学(特集:アラブの都市と知識人)』第86号,pp.116-125,2006年)。当時(そしておそらく今も)ヨーロッパ文明の源流の一つとして認識されるようになったエジプトの特殊性を背景として、世俗化(アラブ・イスラーム文明からの離脱)と西洋化が不可分の関係として成立していた当時の世俗主義の問題点を指摘しました。この議論は、新たな資料なども参照して認識を深めたうえで、私が所属している中期教育プログラムである「世俗化・宗教・国家」の中間報告会(2008年7月開催)で新たな発表を行ないました。

3.エジプトにおける「監獄の誕生」
 イギリスによる軍事占領時代は、新たな統治技法の導入がさかんに行なわれた時代でもありました。エジプトの監獄が、犯罪者の隔離と同時に矯正を目的とするようになったのもこの時期のことでした。犯罪者の処遇に関する諸問題は、彼らがまさに社会的逸脱者であるがゆえに、近代国民国家における統合と排除の様態が最も先鋭化する局面の一つであると考えられます。イギリスによって導入された、このような性格を持つ監獄制度が、当時のエジプト社会にどのような影響を与えたのか、そして西欧起源の監獄制度が示す行刑思想をエジプト人が如何に内在化させていったのか、というのが現在の問題関心です。その第一歩として、19世紀末~20世紀初頭におけるエジプトの監獄改革の経緯と、改革後の監獄の実態について論じたのが「近代エジプトにおける監獄制度の再編」『オリエント』,第50巻第1号,pp. 106-127,2007年になります。
 また、現在、監獄制度による隔離と矯正という二つの側面が、当時のエジプトにおいてどのように展開していたのか、という問題について、恩赦制度の変容と、感化院における未成年犯の矯正に焦点を当てて研究を進めています。

4.今後の課題
 それをどのように評価するにしろ、国民国家の存在、あるいは国民国家建設への志向というものを全く抜きにして近代エジプト史を語ることは困難であると思われます。今後は現在進めている犯罪や刑罰に関する研究テーマに加え、早尾貴紀氏(UTCP研究員)の著作の書評会などで得た示唆を参照しつつ、国籍法など国民国家に不可欠な制度構築の進展に伴って生じたエジプトにおける国家と社会のインタラクティヴな関係に焦点を当てて、研究を進めていくことを考えています。

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