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時の彩り(つれづれ、草) 039

2008.07.07 小林康夫

☆ Dancing Philosophy(なにが残るのか、なにかが残らなければならないのか。)

2~3ヶ月ごとにそういう波がやってくるのだが、またしても疾風怒涛。

なにしろ6月半ばから7月いっぱい、週末を含めてすべての日がなんらかのイベントで埋まっているという状態。21日の代官山のディスポジションをめぐるシンポジウム、その翌日には京都(これはすてきな友人たちとおいしい鮎を食べたというだけだが)、28日は札幌の北海道立文学館で吉増剛造さんを囲むシンポジウム。その翌日には、イサム・ノグチのモエレ沼公園(すばらしい!なんというスケール感!)を見て、そのまま安藤忠雄さんの「水の教会」を見にトマムまで車をとばし、次の日に、これも長いあいだの念願だった東京大学北海道演習林を梶幹男先生にご案内いただいて見せてもらった。2日は東京都現代美術館の外部評価委員会に続いて、夜はシネマヴェーラで吉田喜重監督の「美の美」のトーク。さらにこの週末は表象文化論学会2日間。

まあ、基本的には楽しいのですが、そして人に遭い、人と話し、人に酔う「楽しさ」はきわめて重要なことだと思っているのですが、しかしこういう「綱渡り」のスリルを楽しんでいると、ときには今朝のようにどんより曇った空を見上げて、これでいいのか、と思わないわけでもないんですねえ。この合間に小さな原稿もいくつか書いていないことはないが、この怒涛からなにかが残るのかどうか。でもなにかが残らなければならないのか……そんなことを考えてしまいます。

でも、ある意味これは、ダンス。その場で消えてしまうダンス。しかもひとりで踊るのではなく、次々と相手を変えて、しかしそのたびごとに相手とともにステップを踏むというような。下手なステップなんですけどねえ。シンコペーションもうまくできないし……踊れるうちは踊るしかないのか。いや、死ぬまで踊り続けるのか。ダンス!ダンス!ダンス!

でも、吉増剛造さんとお会いしていた影響で、数十年ぶりに、新しい万年筆を買った。とっても小さなことだけど、なにかの、そう、「クリティカル・ポイント」なのかもしれませんね。今夜、七夕、自分のなかの「織姫」へのプレゼントということかな。

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