Blog / ブログ

 

【報告】マイケル・ハート講演会「記憶と残像のない新自由主義空間」

2008.06.28 西山雄二, Humanities News

『帝国』の著者アントニオ・ネグリは来日できなかった
共著者であるマイケル・ハートは来日を果たした、だがしかし、かろうじて。

Hardt2.jpg

 6月27日、東京外国語大学でマイケル・ハートの講演会「記憶と残像のない新自由主義空間で考える:革命と民主主義」が開催され、約200名ほどの聴衆とともに盛会裏に終わった(司会・岩崎稔、応答・水島一憲、通訳・本橋哲也。主催・WINC〔Workshop in Critical Theory〕)。

 冒頭、司会の岩崎氏から、ハート来日をめぐる理不尽な事態に関して説明がなされた。ハート氏と夫人は成田空港からすんなり出ることができず、入国管理局で待機させられ、取り調べを受けた。事態を知った大学関係者たちが入管にすぐに駆け付け、証明書類を提出してハート氏が解放されたのは五時間後のことだったという。なるほど、G8サミット直前に批判的知識人の来日が敬遠されているということなのだろう。だがしかし、ハート氏の招聘はまずもって大学の学術交流の枠組みでなされていることであって、別に彼は過激な革命行動を扇動するために来日しているわけではない。大学での自由な学術研究を阻害する、ひいては日本の学術の国際的な活力を削ぐ奇異な対応と言わざるを得ない。

Hardt1.jpg

 ハートは講演「革命と民主主義」で次の三つのセクションに即して実に明晰に話をした。

1. 新自由主義と記憶
 従来の資本の体制においては生産行為が重視されたが、現在の新自由主義体制においては生産の再分配が重視される。公共部門の私有化や新たな階級の復興など、社会的な生産関係の総体が再編される。従来の産業資本主義において生産が組織化されるなかで人々の協同の場(公共サービスや労働組合など)が生み出されてきたのだが、新自由主義はまずもってこうした社会的な記憶の破壊を必要とする。「もはや共同することは無意味だ、革命など不可能だ、現下の新自由主義以外に生きる選択肢はない」、と人々が信じるほどに昨今の記憶が根源的に抹消される。社会的な記憶や残像の更地がなければ新自由主義は適切に機能しない。それゆえ、新自由主義は軍事的あるいは経済的な暴力をともなうのであり、ショック療法のような心理的効果と類縁的なのである。

2. 革命と民主主義
 ハートは両者の関係を四つの定義に即して説明した。
 まず、支配的エリートからよりましなエリートが政権を奪取することによって、修正主義的に社会を変革するという「現実主義的な定義」。次に、抑圧的な社会構造を改変すべく多数派の支配を実現することで社会的善が達成されるという「理想主義的な定義」。両者の相違はアプリオリな人間本性観のそれでもあり、前者は性悪説的であり、後者は性善説的である。
 これに対して、第三の定義として、民主主義が実現されるべく人間本性の変形(transformation)を目指す革命がある。レーニンやジジェクが主張するように、革命の手段と目的を分離し、非民主的な手段でもって民主的な目的を達成するという革命の定義である。ハートは第四の定義として、その手段もまた民主的であるような革命モデルを提起する。民主主義の革命的生成はいかにして可能かという問いがマルチチュードの問いとして掲げられる。

3. マルチチュードと大都市

 従来の産業資本主義段階においては物質的労働がその中心をなしていたが、現在の新自由主義体制においてはむしろ非物質的労働が重要な役割を果たす。例えば、知識、イメージ、情報、情動などが重視され、利潤をもたらすのである。こうした非物質的労働の舞台は工場ではなく大都市であり、労働者と工場の関係はマルチチュードと大都市の関係へと移行したと言える。大都市は非物質的労働の生産がなされると同時に、生産物が蓄積され流通する場でもあるからだ。またそれゆえ、大都市はマルチチュードが現下の新自由主義経済への拒絶や闘争を表現する場ともなる。たしかに現在の労働者が置かれている状況は厳しく悲惨であるかもしれないが、しかし、非物質的労働に従事する労働者は確固たる力をもった行為主体でもあるだろう。というのも、コミュニケーション、情動、情報の諸関係を直接的に構成する彼/彼女らの能力こそが民主的な仕方で自律的な生産関係を蘇生させる希望であり、人間本性の変形のための〈共common〉を防衛する抵抗の力なのである。

Hardt3.jpg

 ハートの講演はやや楽観的とも言える論理がみられたとはいえ、しかし、現在の社会のなかで「未来をインスパイアする」(ネグリ)瑞々しい力を感じさせるものだった。とりわけ、次のような言葉が心に残っている。
 「ブッシュ大統領が民主主義という言葉を頻繁に使用しすぎて、この表現は陳腐なものとなってしまった。しかし、革命や民主主義といった概念が腐敗しないような闘争が必要だ。」
 「新自由主義は記憶の破壊を好むのだが、重要なことは、忘れられたかつての公共性を回顧し復興させることではない。あくまでもいま、潜在的に存在する私たちの〈共common〉の可能性をつくり出すことである。」

 来週6月30日および7月1日(中央大学と明治大学)、7月3日(北海道大学)、マイケル・ハートを含め、ハリー・ハルトゥニアンやジョン・ホロウェイら批判的知識人が集い、「G8 対抗国際フォーラム」が開催される。「現在のグローバル資本主義状況において、私たちはいったいどのような世界に生きているのか」――こうした根本的な問いに政治的、社会的、文化的な理論で応答するために、国内外から参加者が集まり、大学という公共空間を中心にこの国際フォーラムは実施される。

(文責:西山雄二)

Recent Entries


  • HOME>
    • ブログ>
      • 【報告】マイケル・ハート講演会「記憶と残像のない新自由主義空間」
↑ページの先頭へ